もう7月?
今年半分終わり!?
梅雨明け?
確かにもうセミ鳴いてるけど。
……ぼちぼち行きます。
2年前の鼠経ヘルニア入院騒動以来、ずっと体調は良い。
持病だった腰痛や胃腸炎も、ほとんど出ていない。
身体の方は堅調なのだが、理不尽がまかり通る現代ニッポンに、心の平衡を保つのに苦労している。
こういう時は自分の原点に立ち返り、そこから外れないようにするのが良い。
私は元弱視児童で、その頃感じた様々な事柄が、生きる上での基本になっている。
最初の修行1
最初の修行2
最初の修行3
最初の修行4
中高生の頃は、カルト教団じみた超スパルタ受験校でサバイバルしてきた。
青春ハルマゲドン
そしてその後には、阪神淡路大震災のガチサバイバルが待っていた。
阪神淡路大震災被災記
以上のような成育歴を持っている私は、権力の肥大やカルト化、棄民の惨状には警戒心が強く働く。
心の平衡を保つためには、あくまで「弱きを助け、強きをくじく」であろうと努め続けるしかないのだ。
日々の暮らしに追われる中で、なかなか実践は難しいけれども、志だけは持ち続けたい。
お地蔵さまとお不動さま、阿弥陀さまは、やはり心の杖となる。
BGMは登川誠仁、川口真由美、THE冠で!
ジャンルバラバラでも共通項は「反骨」!
2018年07月01日
2018年07月02日
「隠れキリシタン」関連記事まとめ
先日、長崎の「潜伏キリシタン」文化財が世界文化遺産に認定されたとの報道があった。
そう言えばブログで何度か「隠れキリシタン」についての記事を書いたことがあったなと思い出し、関連記事をまとめておくことにした。
まとめるにあたって少し調べてみると、厳密には「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」は区別して定義されているようだ。
私の関心の対象は日本の土俗に深く沈潜し、習合した「隠れキリシタン」の方なので、今回のまとめでもこの言葉を用いる。
これまでに投稿した記事を集成してみよう。
---------------
びるぜんさんた丸や
キリスト教のことはほとんど知らない。
このブログでよく取り上げる仏教や神道、道教についても、専門に学んだわけではないので「本当に理解しているのか」と問われると困るのだが、知識としてはある程度持っている。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と言った旧約聖書の世界を母体とする教えについて、もちろん興味はあったのだが、なかなかそこまで手が回らずにいた。
ただ、キリスト教の流れをくむ、日本の「かくれキリシタン」の信仰については、いくらか調べてみたことがある。
特に独自の創世神話である「天地始之事」に描かれる世界はとても魅力的で、繰り返し何度も読んだ。
一応聖書の神話がベースになっているものの、「天地始之事」は非常に日本的なアレンジになっていて、素晴らしい物語世界だ。
中でも生き生きと描かれているのが「びるぜんさんた丸や」というヒロインで、このキャラクターは「聖母マリア」に相当する。
天帝でうすが苦しみの中にある人類を救うため、自らの身を分けるために選んだ少女・丸や。
あんじよさんがむりあ(天使聖ガブリエル)の受胎告知を受けた丸やに、でうすが蝶の姿になって口から入りこみ、処女懐胎が成就する。
王様のプロポーズも断り、父のわからぬ懐妊に両親から家を追われ、丸やの苦難の旅が始まる。
身重の旅路の中、大雪に降られ、しかたなく牛馬の小屋に入りこんで寒さをしのいでいるうちに産気づき、ついに「御身様」を誕生させる。
寒さの中の新生児を気の毒に思った周囲の牛馬は、息を吐きかけて赤ん坊を温め、食み桶で産湯をつかわせてやった。
そして暁になると家主の女房が母子を発見、家の中に招じ入れて、様々に親切な施しを与える。
原典の聖書神話にはない、細やかな情に満ちたイエスの誕生シーンの細部描写だ。
丸やの苦難はこの後もまだまだ続くのだが、新しい命の誕生、極寒の中の温もりのイメージは、読んでいるとこちらも優しい気分になってくる。
貧しい暮らしと苛烈な弾圧の中、信仰を守ってきた人々の思いが伝わってくるようだ。
今回の図像は隠れキリシタンの御神体の中から、聖母子像を元に再現している。
元図はおそらく専門の絵師ではなく、ごく普通の信徒が心をこめて描いたであろう素朴なもの。
何パターンかの「聖母子像」があるが、いずれも「丸や」は赤ん坊を抱き、十字をアクセサリーにつけ、月または日月の上に立った姿で表現されている。
胸元はゆったりくつろげられているものが多く、はっきり乳房が描いてあったり、赤ん坊が授乳している姿のものもある。
絵描きのはしくれとして自分でも描いては見たものの、やはり思いのこもった元図には遠く及ばない。
興味のある人は以下の本で。
各種図像と詳細な解説、「天地始之事」全文も収録されている。
●「かくれキリシタンの聖画」谷川 健一 中城 忠(小学館)
ヒロイン・丸や以外にも、様々な魅力的なキャラクターが登場する。
堕天使ルシフェルも、「七人のあんじよ頭じゆすへる」として登場し、天帝に反旗を翻した結果「鼻ながく、口ひろく、手足は鱗、角をふりたて」た姿に変わり果て、「雷の神」にされてしまう。 じゆすへるを拝んだあんじよも全て、天狗に変わって天から落ちてしまう。
ともかく、一読の価値あり。
隠れキリシタンに伝承された音の世界も、とても良い。
●生月壱部 かくれキリシタンのゴショウ(おらしょ)
--------------
諸星大二郎「生命の木」
諸星作品が好きだ。
どのくらい好きかと言うと、たとえば今住んでいる部屋の窓から外をのぞくと、隣のビルの屋上に何か植物の葉っぱが見えて、風に揺れているのだが、
その葉っぱを見ていると、なんとなくこんな鉢植えが置いてあるのではないかと、妄想してしまう自分がいる。
それぐらい好きだ。
諸星大二郎の代表作に「妖怪ハンター」シリーズがある。
民俗学の研究者稗田礼二郎が、日本各地でフィールドワークを行う中、数々の怪事件に遭遇する連作短編のシリーズで、当ブログでも何度か紹介してきたことがある。
祭の始まり、祭の終り
六福神
今回紹介するのは、妖怪ハンターシリーズ第一集「海竜祭の夜」の中から、「生命の木」という作品だ。
「生命の木」
前回記事で紹介した隠れキリシタンの神話世界をベースに、舞台を東北の山村に読み替えて、ある殺人事件から壮大な神話体系がこぼれてくる様を描く、諸星作品の真骨頂。
わずか31ページの短編であること、まだデビューから年月の経っていない初期作であることが信じられないくらい濃密な物語だ。
近年「奇談」というタイトルで阿部寛主演の映画が制作され、概ね好評のようなのだが、まだ未見。原作があまりにも素晴らしすぎると、実写化作品を観るのには、自分で高いハードルを設定してしまうのは仕方がない。
おそらく諸星大二郎は、隠れキリシタンの聖書「天地始之事」を貪るように読み込み、その内容に震えたのだと思う。
ローカルを極め尽くしたことで逆に広がる巨大な世界観、隠された信仰の底知れない闇が生み出す強烈な光に打ち震え、そしてその「震え」を自らのペンで紙に叩きつけるようにして出来上がったのがこの作品なのではないだろうか。
因習めいた山村の奇怪な殺人事件が生み出す、まばゆいばかりの聖なる世界。
上掲作品集は現在入手困難なようなので、一応「生命の木」が収録されている本の中から比較的入手しやすいものも紹介しておく。
●「汝、神になれ 鬼になれ (諸星大二郎自選短編集)」(集英社文庫)
---------------
石川淳「至福千年」
古書店のワゴンセールなどで目にとまり、さほど緊急性はないけれども、安いので一応確保していた類の本がある。
いずれ読もうという気はあるのだが、日々の雑事や優先度の高い読書に阻まれて、なかなか手が出せないうちに十年二十年と経ってしまったりする。
しかし、そろそろ「いずれ読もう」という言葉の頭の、「いずれ」の部分が、残り少なくなってきた年齢である(笑)
二年ほど前から、なるべくそうした本に手を伸ばすよう心がけ、このカテゴリ積ん読崩しでも覚書にしてきた。
今回は以下の本。
●「至福千年」石川淳(岩波文庫)
【表紙紹介文の引用】
内外騒然たる幕末の江戸、千年会の首魁・加茂内記は非人乞食をあやつって一挙に世直しをと狙っていた。手段選ばぬ内記に敵対するのはマリヤ信仰の弘布者・松太夫。これら隠れキリシタンたちの秘術をつくした暗闘のうちに、さて地上楽園の夢のゆくえは――。不思議なエネルギーをはらむ長篇伝奇小説。(解説=澁澤龍彦)
上記紹介文にもある通り、聖と賎、隠れ信仰、世直し、神懸り等の私好みのテーマを扱っているが、語り口はあくまでアクション中心の通俗伝奇小説である。
奥付によると初出は昭和42年なので、アクション等のエンタメ要素だけを今の目で見ると、かなり簡素な印象を受ける。
この50年、エンタメ作品はアクション描写をひたすら進化、肥大化させ続けてきたのだなと感じる。
今同じ内容をメジャーな媒体で作品化しようとすれば、もっと長大な尺が必要になるはずだが、その分、アクションで装飾されたテーマの核心部分は散漫になってしまうかもしれない。
マンガや小説のエンタメ作品の長大化がそろそろ限界を迎えている現在、ほど良い描写密度を考えるのに良い作品だと思った。
-------------
紹介した創世神話「天地始之事」については、いまでも「絵解き」してみたい意欲はある。
なんらかの形にできるといいなあ。
そう言えばブログで何度か「隠れキリシタン」についての記事を書いたことがあったなと思い出し、関連記事をまとめておくことにした。
まとめるにあたって少し調べてみると、厳密には「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」は区別して定義されているようだ。
私の関心の対象は日本の土俗に深く沈潜し、習合した「隠れキリシタン」の方なので、今回のまとめでもこの言葉を用いる。
これまでに投稿した記事を集成してみよう。
---------------
びるぜんさんた丸や
キリスト教のことはほとんど知らない。
このブログでよく取り上げる仏教や神道、道教についても、専門に学んだわけではないので「本当に理解しているのか」と問われると困るのだが、知識としてはある程度持っている。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と言った旧約聖書の世界を母体とする教えについて、もちろん興味はあったのだが、なかなかそこまで手が回らずにいた。
ただ、キリスト教の流れをくむ、日本の「かくれキリシタン」の信仰については、いくらか調べてみたことがある。
特に独自の創世神話である「天地始之事」に描かれる世界はとても魅力的で、繰り返し何度も読んだ。
一応聖書の神話がベースになっているものの、「天地始之事」は非常に日本的なアレンジになっていて、素晴らしい物語世界だ。
中でも生き生きと描かれているのが「びるぜんさんた丸や」というヒロインで、このキャラクターは「聖母マリア」に相当する。
天帝でうすが苦しみの中にある人類を救うため、自らの身を分けるために選んだ少女・丸や。
あんじよさんがむりあ(天使聖ガブリエル)の受胎告知を受けた丸やに、でうすが蝶の姿になって口から入りこみ、処女懐胎が成就する。
王様のプロポーズも断り、父のわからぬ懐妊に両親から家を追われ、丸やの苦難の旅が始まる。
身重の旅路の中、大雪に降られ、しかたなく牛馬の小屋に入りこんで寒さをしのいでいるうちに産気づき、ついに「御身様」を誕生させる。
寒さの中の新生児を気の毒に思った周囲の牛馬は、息を吐きかけて赤ん坊を温め、食み桶で産湯をつかわせてやった。
そして暁になると家主の女房が母子を発見、家の中に招じ入れて、様々に親切な施しを与える。
原典の聖書神話にはない、細やかな情に満ちたイエスの誕生シーンの細部描写だ。
丸やの苦難はこの後もまだまだ続くのだが、新しい命の誕生、極寒の中の温もりのイメージは、読んでいるとこちらも優しい気分になってくる。
貧しい暮らしと苛烈な弾圧の中、信仰を守ってきた人々の思いが伝わってくるようだ。
今回の図像は隠れキリシタンの御神体の中から、聖母子像を元に再現している。
元図はおそらく専門の絵師ではなく、ごく普通の信徒が心をこめて描いたであろう素朴なもの。
何パターンかの「聖母子像」があるが、いずれも「丸や」は赤ん坊を抱き、十字をアクセサリーにつけ、月または日月の上に立った姿で表現されている。
胸元はゆったりくつろげられているものが多く、はっきり乳房が描いてあったり、赤ん坊が授乳している姿のものもある。
絵描きのはしくれとして自分でも描いては見たものの、やはり思いのこもった元図には遠く及ばない。
興味のある人は以下の本で。
各種図像と詳細な解説、「天地始之事」全文も収録されている。
●「かくれキリシタンの聖画」谷川 健一 中城 忠(小学館)
ヒロイン・丸や以外にも、様々な魅力的なキャラクターが登場する。
堕天使ルシフェルも、「七人のあんじよ頭じゆすへる」として登場し、天帝に反旗を翻した結果「鼻ながく、口ひろく、手足は鱗、角をふりたて」た姿に変わり果て、「雷の神」にされてしまう。 じゆすへるを拝んだあんじよも全て、天狗に変わって天から落ちてしまう。
ともかく、一読の価値あり。
隠れキリシタンに伝承された音の世界も、とても良い。
●生月壱部 かくれキリシタンのゴショウ(おらしょ)
--------------
諸星大二郎「生命の木」
諸星作品が好きだ。
どのくらい好きかと言うと、たとえば今住んでいる部屋の窓から外をのぞくと、隣のビルの屋上に何か植物の葉っぱが見えて、風に揺れているのだが、
その葉っぱを見ていると、なんとなくこんな鉢植えが置いてあるのではないかと、妄想してしまう自分がいる。
それぐらい好きだ。
諸星大二郎の代表作に「妖怪ハンター」シリーズがある。
民俗学の研究者稗田礼二郎が、日本各地でフィールドワークを行う中、数々の怪事件に遭遇する連作短編のシリーズで、当ブログでも何度か紹介してきたことがある。
祭の始まり、祭の終り
六福神
今回紹介するのは、妖怪ハンターシリーズ第一集「海竜祭の夜」の中から、「生命の木」という作品だ。
「生命の木」
前回記事で紹介した隠れキリシタンの神話世界をベースに、舞台を東北の山村に読み替えて、ある殺人事件から壮大な神話体系がこぼれてくる様を描く、諸星作品の真骨頂。
わずか31ページの短編であること、まだデビューから年月の経っていない初期作であることが信じられないくらい濃密な物語だ。
近年「奇談」というタイトルで阿部寛主演の映画が制作され、概ね好評のようなのだが、まだ未見。原作があまりにも素晴らしすぎると、実写化作品を観るのには、自分で高いハードルを設定してしまうのは仕方がない。
おそらく諸星大二郎は、隠れキリシタンの聖書「天地始之事」を貪るように読み込み、その内容に震えたのだと思う。
ローカルを極め尽くしたことで逆に広がる巨大な世界観、隠された信仰の底知れない闇が生み出す強烈な光に打ち震え、そしてその「震え」を自らのペンで紙に叩きつけるようにして出来上がったのがこの作品なのではないだろうか。
因習めいた山村の奇怪な殺人事件が生み出す、まばゆいばかりの聖なる世界。
上掲作品集は現在入手困難なようなので、一応「生命の木」が収録されている本の中から比較的入手しやすいものも紹介しておく。
●「汝、神になれ 鬼になれ (諸星大二郎自選短編集)」(集英社文庫)
---------------
石川淳「至福千年」
古書店のワゴンセールなどで目にとまり、さほど緊急性はないけれども、安いので一応確保していた類の本がある。
いずれ読もうという気はあるのだが、日々の雑事や優先度の高い読書に阻まれて、なかなか手が出せないうちに十年二十年と経ってしまったりする。
しかし、そろそろ「いずれ読もう」という言葉の頭の、「いずれ」の部分が、残り少なくなってきた年齢である(笑)
二年ほど前から、なるべくそうした本に手を伸ばすよう心がけ、このカテゴリ積ん読崩しでも覚書にしてきた。
今回は以下の本。
●「至福千年」石川淳(岩波文庫)
【表紙紹介文の引用】
内外騒然たる幕末の江戸、千年会の首魁・加茂内記は非人乞食をあやつって一挙に世直しをと狙っていた。手段選ばぬ内記に敵対するのはマリヤ信仰の弘布者・松太夫。これら隠れキリシタンたちの秘術をつくした暗闘のうちに、さて地上楽園の夢のゆくえは――。不思議なエネルギーをはらむ長篇伝奇小説。(解説=澁澤龍彦)
上記紹介文にもある通り、聖と賎、隠れ信仰、世直し、神懸り等の私好みのテーマを扱っているが、語り口はあくまでアクション中心の通俗伝奇小説である。
奥付によると初出は昭和42年なので、アクション等のエンタメ要素だけを今の目で見ると、かなり簡素な印象を受ける。
この50年、エンタメ作品はアクション描写をひたすら進化、肥大化させ続けてきたのだなと感じる。
今同じ内容をメジャーな媒体で作品化しようとすれば、もっと長大な尺が必要になるはずだが、その分、アクションで装飾されたテーマの核心部分は散漫になってしまうかもしれない。
マンガや小説のエンタメ作品の長大化がそろそろ限界を迎えている現在、ほど良い描写密度を考えるのに良い作品だと思った。
-------------
紹介した創世神話「天地始之事」については、いまでも「絵解き」してみたい意欲はある。
なんらかの形にできるといいなあ。
2018年07月06日
Gallows Pole 2018
本日午前、かつての教祖をはじめとするオウム真理教の死刑囚7人が、死刑執行された。
迫りくる豪雨災害に備えながら、まるで中世の公開処刑のような狂騒に唾を吐く。
この「縁日草子」は、一つにはあの事件を自分なりに書き留めることを動機として開設された。
ながらくそれは果たされなかったのだが、ようやく昨年、現時点で書けることは書き尽くした。
青春ハルマゲドン-1
青春ハルマゲドン-2
なんとなくGALLOWS POLEという歌を聴きながら、嵐の夜を過ごしている。
迫りくる豪雨災害に備えながら、まるで中世の公開処刑のような狂騒に唾を吐く。
この「縁日草子」は、一つにはあの事件を自分なりに書き留めることを動機として開設された。
ながらくそれは果たされなかったのだが、ようやく昨年、現時点で書けることは書き尽くした。
青春ハルマゲドン-1
青春ハルマゲドン-2
なんとなくGALLOWS POLEという歌を聴きながら、嵐の夜を過ごしている。
2018年07月14日
勝手に応援「うなぎ絶滅キャンペーン」
Twitterをやっていると色々面白いことをやっている人を見かける。
最近一番感心してしまったのが、以下のアカウント。
うなぎ絶滅キャンペーン
今月からの新アカウントで、プロフィールには「絶滅危惧IB類(絶滅する危険性が高い絶滅危惧種)を食べ尽くそうとする現代日本を見つめる」と書かれている。
主なつぶやきの内容は、以下のようなもの。
>当アカウントはウナギの絶滅に向けて、販売推進を行ってくださる企業様を応援しております。ウナギを絶滅させるにはこうした企業様がなんら絶滅の心配がないかのように販売していただくことがとても効果的です。
>絶滅危惧まで追い込んだのです。絶滅まであと一歩がんばりましょう
>ありがとうございます。
>「絶滅する前に食べておこう」という応援の声をたくさん頂いております。
>みなさんひとりひとりが「絶滅する前に食べておこう」と行動していただければうなぎ絶滅はより早く達成できるかと思います。
>当キャンペーンは「難しくてよくわからないけど店で売ってるんだから食べていいだろ?」という方々によって支えられております
>ニホンウナギが絶滅危惧種であることは識者にはよく知られた事実ですが、ウナギの絶滅を目論む我々一派はこれを隠し、いかに平然とウナギを販売し続けるかが重要です。
>ウナギを食文化として販売禁止などとんでもない、という世論を作ることがウナギ絶滅への着実な一歩となります。
うなぎ絶滅へむけて、科学的なデータをもとに一つ一つ論証し、絶滅に協力的な企業、非協力的な企業を判別してい、戦略を練る手際は見事である。
私は先月、以前のような記事を投稿してうなぎ絶滅回避を主張した。
ナマズの思い出
しかしながら、このアカウントをフォローして完全に転んでしまった。
今気づいたが、このキャンペーンは、私がかつて好きだった「死ねしね団」や「聖飢魔U」と近似しているのではないだろうか。
この手の「悪の秘密結社」を本気でやるには、本物の知性がなければ不可能だ。
ならば、賛同するほかない。
以後、私は「うなぎ絶滅キャンペーン」を勝手に応援していくことにする。
皆さん、今年二度ある土用の丑の日には、是非ともうなぎを食って絶滅を加速させ、共犯者になりましょう!
追記:この記事、モバイルではうなぎの蒲焼きセールの広告が表示されとる……
最近一番感心してしまったのが、以下のアカウント。
うなぎ絶滅キャンペーン
今月からの新アカウントで、プロフィールには「絶滅危惧IB類(絶滅する危険性が高い絶滅危惧種)を食べ尽くそうとする現代日本を見つめる」と書かれている。
主なつぶやきの内容は、以下のようなもの。
>当アカウントはウナギの絶滅に向けて、販売推進を行ってくださる企業様を応援しております。ウナギを絶滅させるにはこうした企業様がなんら絶滅の心配がないかのように販売していただくことがとても効果的です。
>絶滅危惧まで追い込んだのです。絶滅まであと一歩がんばりましょう
>ありがとうございます。
>「絶滅する前に食べておこう」という応援の声をたくさん頂いております。
>みなさんひとりひとりが「絶滅する前に食べておこう」と行動していただければうなぎ絶滅はより早く達成できるかと思います。
>当キャンペーンは「難しくてよくわからないけど店で売ってるんだから食べていいだろ?」という方々によって支えられております
>ニホンウナギが絶滅危惧種であることは識者にはよく知られた事実ですが、ウナギの絶滅を目論む我々一派はこれを隠し、いかに平然とウナギを販売し続けるかが重要です。
>ウナギを食文化として販売禁止などとんでもない、という世論を作ることがウナギ絶滅への着実な一歩となります。
うなぎ絶滅へむけて、科学的なデータをもとに一つ一つ論証し、絶滅に協力的な企業、非協力的な企業を判別してい、戦略を練る手際は見事である。
私は先月、以前のような記事を投稿してうなぎ絶滅回避を主張した。
ナマズの思い出
しかしながら、このアカウントをフォローして完全に転んでしまった。
今気づいたが、このキャンペーンは、私がかつて好きだった「死ねしね団」や「聖飢魔U」と近似しているのではないだろうか。
この手の「悪の秘密結社」を本気でやるには、本物の知性がなければ不可能だ。
ならば、賛同するほかない。
以後、私は「うなぎ絶滅キャンペーン」を勝手に応援していくことにする。
皆さん、今年二度ある土用の丑の日には、是非ともうなぎを食って絶滅を加速させ、共犯者になりましょう!
追記:この記事、モバイルではうなぎの蒲焼きセールの広告が表示されとる……
2018年07月15日
#Tokyoインパール2020
猛暑である。
体温を超えた外気がむわんと身を包む不快さがたまらない。
今後一週間ほどはこの暑さが続く模様。
地域によっては不要不急の外出を控えるべきレベルになっているだろう。
ここで嫌でも思い出されるのが、二年後の2020年真夏、東京で開催されるオリンピックのことである。
率直に言って「正気か!?」と問わざるを得ない。
そもそも私は五輪招致の段階から反対であった。
東日本大震災以降、自然災害やそれに伴う人災が毎年のように繰り返される中、日本にそんな余裕はないという理由による。
招致活動をやっていた時は、「まあ、呼んで儲けたい人間は多いだろうが、未曽有の原発事故が起こったばかりの国が、まさか選ばれることはないだろう」とタカをくくっていた。
ところが某総理大臣による「アンダーコントロール」なる虚偽宣伝と、既に国際的に報道されている贈収賄疑惑も交えながら、東京招致は成ってしまった。
五輪開催決定を受け、都内及び会場予定地周辺では建設ラッシュが起こっている。
その結果、本来被災地各地の復興に回されるべき人も資材もカネも東京に一極集中し、棄民が進行してしまっている。
たった二週間のたかが商業イベントのために、他に優先すべき差し迫った課題を放置して巨額の税金が投入されている。
終了後もその負債が国民に塗炭の苦しみを強いるであろうことは間違いない。
そして、冒頭の猛暑の話題に戻る。
常識で考えれば、灼熱地獄の7〜8月の東京で、大規模スポーツイベントなどできるわけがない。
前回の昭和東京オリンピックでも、計画段階で猛暑の夏は「不適」と否定され、10月にスライドして開催されている。(その名残が10月の「体育の日」)
ヒートアイランド化が進行する以前の時代ですら、そのような判断が下されているにも関わらず、欧米のスポーツイベント開催スケジュールに合わせる形で、狂気の真夏開催がごり押しされようとしているのだ。
これも要はカネであって、アスリートのためでも観客のためでもない。
このまま夏季オリンピックが強行されればどうなるか?
東京の酷暑を知らない海外からの観戦客が大量に押し寄せ、日本人観戦客との相乗効果で、会場や交通機関はまさに「ごった煮」状態になるだろう。
熱中症で人がバタバタと倒れ、暑さとストレスでぐつぐつと煮えたぎった群衆は一体どうなることか……
わたしは今でも五輪そのものに反対なのだが、百万歩譲って開催するにしても、真夏だけは避けるべきではないだろうか。
と、ここまではかなり以前から考えていた。
それに加え、ごく最近になってから、新たな問題点があるらしいことを知った。
以下の新刊書に、その問題点が詳細に語り尽くされている。
●「ブラックボランティア」本間龍(角川新書)
帯の紹介文を引用してみよう。
・肥えるオリンピック貴族、タダ働きの学生たち
・2020年、東京五輪のスポンサー収入は推定4000億円以上。
・ボランティア11万人は、10日間拘束で報酬ゼロ、しかも経費は自己負担
・組織委と電通が隠す搾取の仕組みとは
・そもそもボランティアに無償という意味はない
・募集対象に入っていない「シニア」、その理由
・研修が有料のことも。自己負担額が膨れ上がる
・「#Tokyoインパール2020」がSNSで広がる
帯に並んだ項目だけでも問題点が浮き彫りになっている。
もう少しネタバレすると、本来ならボランティアの主力になりそうなシニア層が募集対象に入っていない理由は、要するに「暑さで死なれると困るから」である。
替わって学生ボランティアが「やりがい」「単位」「就活に有利」等をエサに、無報酬で8時間労働×10日間、灼熱の過酷な労働に駆り出されようとしているのだ。
明らかに問題があるにもかかわらず、主要な新聞社のほとんどが五輪の協賛に入っているため、メディアで話題にされることはないという。
著者の作家・本間龍は、博報堂出身。
巨大広告産業の裏面に詳しく、これまでにも原発広告や、広告規制のない国民投票法の問題点について、刺激的な著書を連発してきた。
●原発プロパガンダ(岩波新書)
●広告が憲法を殺す日 国民投票とプロパガンダCM (集英社新書)
最近はTwitterにおいて、東京五輪の「学徒動員」に対し、鋭い警告を発し続けている。
本間龍Twitter
Twitterで良く使用されているハッシュタグ、#Tokyoインパール2020は、本間龍の創案である。
旧日本軍の史上最悪の愚策と、現代日本の狂気とを重ね合わせた傑作だと思う。
興味のある人は「インパール作戦」「白骨街道」などで検索してみると良い。
現時点の私の意見をまとめると、以下の三点に絞られる。
1、理想的には五輪返上
2、最悪でも10月開催
3、ボランティアの名を借りた「学徒動員」断固阻止
五輪返上については現状少数派であることは承知している。
正直実現は難しいだろう。
しかしそれ以外の二つ、「10月開催」「学徒動員阻止」については、政治的な左右の立場を超えて広く賛同者を集め、実現させることも可能ではないかと思う。
私は祭や縁日が大好きな人間だが、来る東京五輪は庶民のための祝祭では決してない。
あえてカテゴライズするなら「完全に時代遅れになっているのに止められない巨大公共事業」の範疇に入るのではないだろうか。
原発とも等質である。
この話題、折々続けていきたいと思う。
体温を超えた外気がむわんと身を包む不快さがたまらない。
今後一週間ほどはこの暑さが続く模様。
地域によっては不要不急の外出を控えるべきレベルになっているだろう。
ここで嫌でも思い出されるのが、二年後の2020年真夏、東京で開催されるオリンピックのことである。
率直に言って「正気か!?」と問わざるを得ない。
そもそも私は五輪招致の段階から反対であった。
東日本大震災以降、自然災害やそれに伴う人災が毎年のように繰り返される中、日本にそんな余裕はないという理由による。
招致活動をやっていた時は、「まあ、呼んで儲けたい人間は多いだろうが、未曽有の原発事故が起こったばかりの国が、まさか選ばれることはないだろう」とタカをくくっていた。
ところが某総理大臣による「アンダーコントロール」なる虚偽宣伝と、既に国際的に報道されている贈収賄疑惑も交えながら、東京招致は成ってしまった。
五輪開催決定を受け、都内及び会場予定地周辺では建設ラッシュが起こっている。
その結果、本来被災地各地の復興に回されるべき人も資材もカネも東京に一極集中し、棄民が進行してしまっている。
たった二週間のたかが商業イベントのために、他に優先すべき差し迫った課題を放置して巨額の税金が投入されている。
終了後もその負債が国民に塗炭の苦しみを強いるであろうことは間違いない。
そして、冒頭の猛暑の話題に戻る。
常識で考えれば、灼熱地獄の7〜8月の東京で、大規模スポーツイベントなどできるわけがない。
前回の昭和東京オリンピックでも、計画段階で猛暑の夏は「不適」と否定され、10月にスライドして開催されている。(その名残が10月の「体育の日」)
ヒートアイランド化が進行する以前の時代ですら、そのような判断が下されているにも関わらず、欧米のスポーツイベント開催スケジュールに合わせる形で、狂気の真夏開催がごり押しされようとしているのだ。
これも要はカネであって、アスリートのためでも観客のためでもない。
このまま夏季オリンピックが強行されればどうなるか?
東京の酷暑を知らない海外からの観戦客が大量に押し寄せ、日本人観戦客との相乗効果で、会場や交通機関はまさに「ごった煮」状態になるだろう。
熱中症で人がバタバタと倒れ、暑さとストレスでぐつぐつと煮えたぎった群衆は一体どうなることか……
わたしは今でも五輪そのものに反対なのだが、百万歩譲って開催するにしても、真夏だけは避けるべきではないだろうか。
と、ここまではかなり以前から考えていた。
それに加え、ごく最近になってから、新たな問題点があるらしいことを知った。
以下の新刊書に、その問題点が詳細に語り尽くされている。
●「ブラックボランティア」本間龍(角川新書)
帯の紹介文を引用してみよう。
・肥えるオリンピック貴族、タダ働きの学生たち
・2020年、東京五輪のスポンサー収入は推定4000億円以上。
・ボランティア11万人は、10日間拘束で報酬ゼロ、しかも経費は自己負担
・組織委と電通が隠す搾取の仕組みとは
・そもそもボランティアに無償という意味はない
・募集対象に入っていない「シニア」、その理由
・研修が有料のことも。自己負担額が膨れ上がる
・「#Tokyoインパール2020」がSNSで広がる
帯に並んだ項目だけでも問題点が浮き彫りになっている。
もう少しネタバレすると、本来ならボランティアの主力になりそうなシニア層が募集対象に入っていない理由は、要するに「暑さで死なれると困るから」である。
替わって学生ボランティアが「やりがい」「単位」「就活に有利」等をエサに、無報酬で8時間労働×10日間、灼熱の過酷な労働に駆り出されようとしているのだ。
明らかに問題があるにもかかわらず、主要な新聞社のほとんどが五輪の協賛に入っているため、メディアで話題にされることはないという。
著者の作家・本間龍は、博報堂出身。
巨大広告産業の裏面に詳しく、これまでにも原発広告や、広告規制のない国民投票法の問題点について、刺激的な著書を連発してきた。
●原発プロパガンダ(岩波新書)
●広告が憲法を殺す日 国民投票とプロパガンダCM (集英社新書)
最近はTwitterにおいて、東京五輪の「学徒動員」に対し、鋭い警告を発し続けている。
本間龍Twitter
Twitterで良く使用されているハッシュタグ、#Tokyoインパール2020は、本間龍の創案である。
旧日本軍の史上最悪の愚策と、現代日本の狂気とを重ね合わせた傑作だと思う。
興味のある人は「インパール作戦」「白骨街道」などで検索してみると良い。
現時点の私の意見をまとめると、以下の三点に絞られる。
1、理想的には五輪返上
2、最悪でも10月開催
3、ボランティアの名を借りた「学徒動員」断固阻止
五輪返上については現状少数派であることは承知している。
正直実現は難しいだろう。
しかしそれ以外の二つ、「10月開催」「学徒動員阻止」については、政治的な左右の立場を超えて広く賛同者を集め、実現させることも可能ではないかと思う。
私は祭や縁日が大好きな人間だが、来る東京五輪は庶民のための祝祭では決してない。
あえてカテゴライズするなら「完全に時代遅れになっているのに止められない巨大公共事業」の範疇に入るのではないだろうか。
原発とも等質である。
この話題、折々続けていきたいと思う。
2018年07月17日
死の行進
昨日も猛暑、今日も猛暑、そして明日もきっと猛暑。
2年後のオリンピック灼熱地獄へむけて、カウントダウンは地味に進んでいく。
猛暑とスポーツ。
そんな組み合わせを目にすると、高校生の頃の記憶がよみがえってくる。
わが母校、中高一貫超スパルタ中堅受験校の体育祭は9月半ばであった。
夏休み明けのタイミングで、文化祭とも同一週内の開催である。
今考えると明らかに無茶なのだが、そこは超スパルタ受験校。
準備に手間のかかる大型行事を同時期開催でバタバタ済ませ、ついでに夏休み気分も一掃して、お勉強に専念させようという「親心」だったのだろう。
9月上旬、朝夕はともかく、昼間はまだ真夏である。
炎天下の校庭で、体育祭の練習は敢行される。
何を練習するかと言えばとりあえず「入場行進」で、これがまたかなりキツくて、一部で「死の行進」と呼ばれていた。
入場ゲートからマーチに合わせて縦横斜め一糸乱れず行進し、先生が仁王立ちになっている朝礼台に「かしら右」で敬礼してから所定の位置に並んでいく。
校庭には大型スピーカーから流れるマーチと共に、「ザッザッザッザッ」という足音、そして時折体育教師の怒鳴り声だけが響いている。
たるんだ行進態度には、もちろん鉄拳制裁が待っている。
旧日本軍である。
ナチスである。
北朝鮮である。
ヒザの上げ方から指先まで、地獄の極卒のような体育教師のお眼鏡にかなうほど、本当に「一糸乱れぬ」レベルになるまで、練習は延々続く。
もう一回確認しておくと、9月上旬の炎天下の校庭である。
生徒は暑さと疲労とストレスに、半死半生まで追い込まれる。
それでも成績別クラス編成の上位クラスの生徒たちはそれなりに要領よく「合格」をもらい、死の行進から脱出していく。
問題は私も所属していた最下位クラスである。
そもそも学校行事に対するモチベーションは極めて低く、そろいもそろってマイペースなので協調性は極めて低い。
一方、理不尽で意味不明な練習に対する反発だけは極めて強い。
行進の隊列が、きれいに揃うわけがないのである。
行進練習にもっとも不向きなクラスは、必然的にもっとも長い練習時間が課されることになる。
練習時間が伸びたところで、クラスのメンバーが変わるわけではないので成果は一向に上がらない。
結局わがクラスは時間内に合格がもらえず、放課後居残りで練習しなければならなくなった。
いくら居残ったところでメンバーは同じなので、全くやる気も協調性もないままである。
一瞬だけ頑張ってビシッと合わせれば放免されるのだが、それだけはどうしても無理。
そんな愛すべきアホどもの「死の行進」は、延々と続く。
どんな深刻な状況でも悪ふざけがやめられないのが、またわが下位クラスの特徴だった。
極卒センセーが離れたのを機に、特にふざけたメンバーの一人が、こっそり周りにだけ聴こえる小声で歌を口ずさみ始めた。
♪なななーなーななななー
なななーなーななななー……
劇場版「さよなら銀河鉄道999」のレジスタンスの歌である。
世代的に子供の頃みんな件のアニメを観ていたので、何のネタかすぐにわかり、またシチュエーションが妙にハマっていたので、半径1メートルの範囲の生徒は笑いの発作に苦しめられた。
(ちょっと! やめろや!)
(笑ろてもたらまたシバかれるやろ!)
(マジでヤバいって!)
周りの数人のメンバーの心の叫びをよそに、そいつの歌は止まらない。
あきらめた周囲の数人は、これも小声でレジスタンスの歌を唱和しはじめた。
笑いの発作を抑えるためには、「やる方」に回るのがベストなのだ。
こうして最初に歌い始めたアホを中心に、笑いの発作と小声の歌が、地味にひっそりと隊列に波及していった。
♪なななーなーななななー
なななーなーななななー……
♪なななーなーななななー
なななーなーななななー……
♪なななーなーななななー
なななーなーななななー……
するとどうだろう、あれだけバラバラだった隊列が「レジスタンスの歌」で結ばれて、それなりに揃ってしまったのだ!
仁王立ちの極卒センセーが立つ朝礼台までその「奇跡」はなんとか持続し、そしてふざけた歌を口ずさんでいたこともバレずに済んだ。
こうして私たちは、小一時間ほどの居残りで「死の行進」から放免されたのだった。
(今ちょっと動画サイトで確認してみると歌詞は「な」ではなく「ら」が正解のようだ。しかし子供には男声低音が「な」ぽく聞こえたらしく、うちのクラスはみんな疑問なく「な」で歌っていた。興味のある人は「さよなら 999 レジスタンス」などで検索)
あれからはるかに時は流れ、「地獄の東京五輪」へのカウントダウンが始まった猛暑に喘いでいると、「死の行進」をさせられていた時の気分とシンクロしてくる。
理不尽で時代錯誤のしごきに、要領よく迎合・追認するのではなく、まともに反抗して玉砕するのでもなく、いつもの悪ふざけで凌いだことを、なんとなく反芻している。
意外にあれは、「一つの正解」だったのかもしれない。
2年後のオリンピック灼熱地獄へむけて、カウントダウンは地味に進んでいく。
猛暑とスポーツ。
そんな組み合わせを目にすると、高校生の頃の記憶がよみがえってくる。
わが母校、中高一貫超スパルタ中堅受験校の体育祭は9月半ばであった。
夏休み明けのタイミングで、文化祭とも同一週内の開催である。
今考えると明らかに無茶なのだが、そこは超スパルタ受験校。
準備に手間のかかる大型行事を同時期開催でバタバタ済ませ、ついでに夏休み気分も一掃して、お勉強に専念させようという「親心」だったのだろう。
9月上旬、朝夕はともかく、昼間はまだ真夏である。
炎天下の校庭で、体育祭の練習は敢行される。
何を練習するかと言えばとりあえず「入場行進」で、これがまたかなりキツくて、一部で「死の行進」と呼ばれていた。
入場ゲートからマーチに合わせて縦横斜め一糸乱れず行進し、先生が仁王立ちになっている朝礼台に「かしら右」で敬礼してから所定の位置に並んでいく。
校庭には大型スピーカーから流れるマーチと共に、「ザッザッザッザッ」という足音、そして時折体育教師の怒鳴り声だけが響いている。
たるんだ行進態度には、もちろん鉄拳制裁が待っている。
旧日本軍である。
ナチスである。
北朝鮮である。
ヒザの上げ方から指先まで、地獄の極卒のような体育教師のお眼鏡にかなうほど、本当に「一糸乱れぬ」レベルになるまで、練習は延々続く。
もう一回確認しておくと、9月上旬の炎天下の校庭である。
生徒は暑さと疲労とストレスに、半死半生まで追い込まれる。
それでも成績別クラス編成の上位クラスの生徒たちはそれなりに要領よく「合格」をもらい、死の行進から脱出していく。
問題は私も所属していた最下位クラスである。
そもそも学校行事に対するモチベーションは極めて低く、そろいもそろってマイペースなので協調性は極めて低い。
一方、理不尽で意味不明な練習に対する反発だけは極めて強い。
行進の隊列が、きれいに揃うわけがないのである。
行進練習にもっとも不向きなクラスは、必然的にもっとも長い練習時間が課されることになる。
練習時間が伸びたところで、クラスのメンバーが変わるわけではないので成果は一向に上がらない。
結局わがクラスは時間内に合格がもらえず、放課後居残りで練習しなければならなくなった。
いくら居残ったところでメンバーは同じなので、全くやる気も協調性もないままである。
一瞬だけ頑張ってビシッと合わせれば放免されるのだが、それだけはどうしても無理。
そんな愛すべきアホどもの「死の行進」は、延々と続く。
どんな深刻な状況でも悪ふざけがやめられないのが、またわが下位クラスの特徴だった。
極卒センセーが離れたのを機に、特にふざけたメンバーの一人が、こっそり周りにだけ聴こえる小声で歌を口ずさみ始めた。
♪なななーなーななななー
なななーなーななななー……
劇場版「さよなら銀河鉄道999」のレジスタンスの歌である。
世代的に子供の頃みんな件のアニメを観ていたので、何のネタかすぐにわかり、またシチュエーションが妙にハマっていたので、半径1メートルの範囲の生徒は笑いの発作に苦しめられた。
(ちょっと! やめろや!)
(笑ろてもたらまたシバかれるやろ!)
(マジでヤバいって!)
周りの数人のメンバーの心の叫びをよそに、そいつの歌は止まらない。
あきらめた周囲の数人は、これも小声でレジスタンスの歌を唱和しはじめた。
笑いの発作を抑えるためには、「やる方」に回るのがベストなのだ。
こうして最初に歌い始めたアホを中心に、笑いの発作と小声の歌が、地味にひっそりと隊列に波及していった。
♪なななーなーななななー
なななーなーななななー……
♪なななーなーななななー
なななーなーななななー……
♪なななーなーななななー
なななーなーななななー……
するとどうだろう、あれだけバラバラだった隊列が「レジスタンスの歌」で結ばれて、それなりに揃ってしまったのだ!
仁王立ちの極卒センセーが立つ朝礼台までその「奇跡」はなんとか持続し、そしてふざけた歌を口ずさんでいたこともバレずに済んだ。
こうして私たちは、小一時間ほどの居残りで「死の行進」から放免されたのだった。
(今ちょっと動画サイトで確認してみると歌詞は「な」ではなく「ら」が正解のようだ。しかし子供には男声低音が「な」ぽく聞こえたらしく、うちのクラスはみんな疑問なく「な」で歌っていた。興味のある人は「さよなら 999 レジスタンス」などで検索)
あれからはるかに時は流れ、「地獄の東京五輪」へのカウントダウンが始まった猛暑に喘いでいると、「死の行進」をさせられていた時の気分とシンクロしてくる。
理不尽で時代錯誤のしごきに、要領よく迎合・追認するのではなく、まともに反抗して玉砕するのでもなく、いつもの悪ふざけで凌いだことを、なんとなく反芻している。
意外にあれは、「一つの正解」だったのかもしれない。
2018年07月21日
スポ根マンガを「古典枠」に!
引き続き猛暑。
終りが見えない暑さの中、33度くらいだと「ああ、ちょっと楽」と思ってしまったりする自分が怖い(苦笑)
猛暑・酷暑は自然現象なので仕方がないとして、日々のニュースで理不尽、腹立ちを感じるのは、「人為」の方だ。
連日「厳重注意」とか「危険」とか報じられているのに、公的機関や企業が一向にその警告に耳を傾けず、「人災」としての熱中症が多発している。
とりわけ酷いのが学校行事だ。
小学校低学年の校外学習を強行しての死亡事故。
炎天下や蒸し風呂状態の体育館での熱中症。
ヒートアイランド現象による気温上昇が明らかなのに、遅々として進まないエアコン設置。
全て頑迷で精神が凝り固まった大人が引き起こした「人災」である。
医学やスポーツ科学は日々更新されているのだから、学校の施設や行事の在り方にもそれは速やかに反映されなければならない。
間違った精神主義で今現在子供が殺されており、その延長線上に「地獄」が予測される2年後の五輪、#Tokyoインパール2020がある。
上が変わらないなら、下から意識改革して突き上げる他ない。
そのためにはまず、自分の中にある「間違った精神主義」を斬らねばならぬ。
私の世代とそれ以上が、子供の頃から影響を受けてきたであろう「スポ根マンガ」には、はっきりと「負の遺産」がある。
今の目で見ると完全に間違った部分は、たとえば古典作品の中で描かれる迷信と同じように、間違いは間違いとして認識されなければならない。
作品の価値は変わらず評価しつつ、「時代性」の部分を現代のリアルと切り離して相対化するのだ。
陰陽道の迷信の否定と「源氏物語」の価値が両立するように、である。
以下に、私も大好きな二作品について述べてみたいと思う。
●「あしたのジョー」
減量の描写が完全に間違っている。
汗をかいたり長期間水を断ったりしても胎内の水分が失われて脱水になり、身体を壊すだけだ。
必要な栄養と水分は摂取しながら徐々に体重を落とし、軽量直前に水を抜いてリミットに合わせるのが今の減量法。
ただ、作中の不合理で過酷な減量描写は、物語の根幹と関わっているため、修正やアップデートは不可能。
今読むなら「60〜70年代の時代劇」として鑑賞する他ない。
●「ドカベン」
タイトルの「ドカベン」から、ちょっともう古い。
炭水化物ばかりをドカッと大量に詰め込む食事では、「てっとり早く体重を増やす」ことはできるが、「動ける身体作り」には全く向いていない。
野球部の合宿などではいまだに「身体づくり」と称して「丼飯ノルマ」のような時代錯誤がまかり通っている所もあるようだ。
指導者の意識改革が望まれる。
作中では、本来の主人公のドカベン・山田太郎は喜怒哀楽をあまり表に出さないため、物語のエモーションは岩鬼や里中が牽引していた。
とくに「小さな巨人」里中は、高校野球編の実質の主人公だと思うが、客観的に見れば「身体が出来る前に無茶な連投を強いられ、一度は潰されたエース」だ。
高校野球、とくに夏の甲子園大会は、そろそろ見直すべき時代になっていると思う。
毎年のように選手や応援の生徒が熱中症で倒れ、将来性のある投手を使いつぶしてしまう在り方は、否定されるべきだ。
最低でも、真夏の炎天下の大会などは、とっとと止めなければならない。
過去の大会の様々なドラマや、夏の大会を扱った作品の価値を遡及して否定したりはしない。
夏の風物詩という見方も根強いが、マイナス面を考えれば、もういい加減にするべきだ。
そう言えば、つい先ごろ、この「ドカベン」シリーズも大団円を迎えた。
そろそろ頃合いではないだろうか。
ということで、
スポ根マンガを「古典枠」に!
そして、東京五輪夏開催の見直しを!
終りが見えない暑さの中、33度くらいだと「ああ、ちょっと楽」と思ってしまったりする自分が怖い(苦笑)
猛暑・酷暑は自然現象なので仕方がないとして、日々のニュースで理不尽、腹立ちを感じるのは、「人為」の方だ。
連日「厳重注意」とか「危険」とか報じられているのに、公的機関や企業が一向にその警告に耳を傾けず、「人災」としての熱中症が多発している。
とりわけ酷いのが学校行事だ。
小学校低学年の校外学習を強行しての死亡事故。
炎天下や蒸し風呂状態の体育館での熱中症。
ヒートアイランド現象による気温上昇が明らかなのに、遅々として進まないエアコン設置。
全て頑迷で精神が凝り固まった大人が引き起こした「人災」である。
医学やスポーツ科学は日々更新されているのだから、学校の施設や行事の在り方にもそれは速やかに反映されなければならない。
間違った精神主義で今現在子供が殺されており、その延長線上に「地獄」が予測される2年後の五輪、#Tokyoインパール2020がある。
上が変わらないなら、下から意識改革して突き上げる他ない。
そのためにはまず、自分の中にある「間違った精神主義」を斬らねばならぬ。
私の世代とそれ以上が、子供の頃から影響を受けてきたであろう「スポ根マンガ」には、はっきりと「負の遺産」がある。
今の目で見ると完全に間違った部分は、たとえば古典作品の中で描かれる迷信と同じように、間違いは間違いとして認識されなければならない。
作品の価値は変わらず評価しつつ、「時代性」の部分を現代のリアルと切り離して相対化するのだ。
陰陽道の迷信の否定と「源氏物語」の価値が両立するように、である。
以下に、私も大好きな二作品について述べてみたいと思う。
●「あしたのジョー」
減量の描写が完全に間違っている。
汗をかいたり長期間水を断ったりしても胎内の水分が失われて脱水になり、身体を壊すだけだ。
必要な栄養と水分は摂取しながら徐々に体重を落とし、軽量直前に水を抜いてリミットに合わせるのが今の減量法。
ただ、作中の不合理で過酷な減量描写は、物語の根幹と関わっているため、修正やアップデートは不可能。
今読むなら「60〜70年代の時代劇」として鑑賞する他ない。
●「ドカベン」
タイトルの「ドカベン」から、ちょっともう古い。
炭水化物ばかりをドカッと大量に詰め込む食事では、「てっとり早く体重を増やす」ことはできるが、「動ける身体作り」には全く向いていない。
野球部の合宿などではいまだに「身体づくり」と称して「丼飯ノルマ」のような時代錯誤がまかり通っている所もあるようだ。
指導者の意識改革が望まれる。
作中では、本来の主人公のドカベン・山田太郎は喜怒哀楽をあまり表に出さないため、物語のエモーションは岩鬼や里中が牽引していた。
とくに「小さな巨人」里中は、高校野球編の実質の主人公だと思うが、客観的に見れば「身体が出来る前に無茶な連投を強いられ、一度は潰されたエース」だ。
高校野球、とくに夏の甲子園大会は、そろそろ見直すべき時代になっていると思う。
毎年のように選手や応援の生徒が熱中症で倒れ、将来性のある投手を使いつぶしてしまう在り方は、否定されるべきだ。
最低でも、真夏の炎天下の大会などは、とっとと止めなければならない。
過去の大会の様々なドラマや、夏の大会を扱った作品の価値を遡及して否定したりはしない。
夏の風物詩という見方も根強いが、マイナス面を考えれば、もういい加減にするべきだ。
そう言えば、つい先ごろ、この「ドカベン」シリーズも大団円を迎えた。
そろそろ頃合いではないだろうか。
ということで、
スポ根マンガを「古典枠」に!
そして、東京五輪夏開催の見直しを!
2018年07月22日
「抜け忍」は死なず
もうかなり前のことになってしまったが、4月発売のマンガ雑誌「ビッグコミック」に、白土三平インタビューが掲載されていた。
久々の露出、そして久々のカムイのイラストに引きよせられて雑誌を手に取った。
いまだ描かれぬ「第三部」について、何か情報がないものかと淡い期待をいだいたのだが、主な内容は「狩猟」だった(苦笑)
白土三平は言わずと知れた忍者マンガの巨匠であり、「サスケ」「忍者武芸帳」等の代表作を持つ。
私にとっては、他のどの作品よりも「カムイ伝第一部」の作者だった。
孤高の抜け忍・カムイの物語としては、アニメ化された「カムイ外伝」の方が、一般の認知度は高いかもしれない。
(実はアニメ「忍風カムイ外伝」の後番組が「サザエさん」だったりする!)
並行して往年の「ガロ」で描かれた本編「カムイ伝 第一部」は、抜け忍・カムイに加えて武士の草加竜之進、農民の正助という三人の主人公が存在した。
とくに中盤からは正助の比重が増し、ストーリーの本流は壮大な百姓一揆に収斂されていった。
脇へと一歩引いたカムイの活躍をシンプルに描く場が、スピンアウトして「外伝」になったということだろう。
子供の頃、既にアニメ化されていたこともあり、この「外伝」の方は私もかなり早い時期から読んでいた覚えがある。
本編「カムイ伝」に手が伸びたのは思春期に入ってからで、マンガ版「デビルマン」とともに、当時最もハマって読み耽った作品だった。
●「カムイ伝 第一部」
主人公を始め、登場するキャラクターたちは、物語の進行と共に多くのものを失っていく。
失うのは身体の部位であったり、顔であったり、身分であったり、愛する人であったりするのだが、それでも生き残った者はより強く成長していく。
欠損することでオリジナルを得、失うことで心定まるキャラクター達の生命力に、思春期の私は深く感情移入していたのだ。
私が「第一部」を読み耽ってから数年後のタイミングで、「第二部」の連載がビッグコミックで始まった。
その後90年代を通じて断続的に執筆され、現在は一応「完結」したセットが刊行されている。
90年代当時の私はこの「第二部」の内容が、正直あまりピンと来なかった。
壮大なカタルシスのあった「第一部」の印象に引きずられ、いつまでもプロローグが終らずにページだけが重ねられていくような不満を感じていた。
もちろん、今は全く違った感想を持っている。
青年から大人に成長した主人公たちは、熱狂や祝祭のカタルシスではなく、淡々と続く日常の中でそれぞれの足場を固めながら、なお「志」を持続させるステージに至っていたのだ。
年齢を重ねた「かつての青年」が読むべきは、むしろこの「第二部」であろうと、今現在は感じている。
冒頭で紹介した雑誌インタビューの中で、まだ描かれていない「第三部」についても、最後に質問されていた。
笑いながら言葉を濁している白土御大だったが、私は「おや?」とかすかな期待を抱いた。
活きた線で描かれた、雀と戯れるカムイのイラストと、第三部についての質問も避けないその姿勢に、「まだ種火が残っているのではないか」と感じたのだ。
待ってみてもいいかもしれない。
当初の第三部の構想通り「シャクシャインの戦い」を長尺で描くことまでは望まない。
流れ流れて北の地に至ったカムイが、アイヌの暮らしの中に安息を見出す短編など、叶うことなら読んでみたい……
そう言えばしばらく前、サブカル作品のジャンル分けに、「抜け忍モノ」という切り取り方があることを知った。
主人公が、母体になった組織の「裏切者」であるという構造を持つ種類の物語を指す言葉である。
それこそ「カムイ外伝」が元祖に近いのだろうけれども、マンガを始めとするサブカルの世界では、定番中の定番設定と言って良い。
ヒーローが持つ特殊能力の理屈付けとして、実は戦うべき「悪役組織」の一員であったという基本設定は、まことに使い勝手が良いのだ。
この「抜け忍モノ」という言葉を聞いた瞬間、個人的に「ああ、そういうことだったのか!」と頭が物凄く整理される感覚があった。
思えば私の成育歴は「抜け忍モノ」と共にあり、それぞれの発達段階で感情移入し、影響を受けてきたのだ。
そのことについて、しばらく語ってみたいと思う。
次回記事より「抜け忍サブカルチャー」の章、はじまり、はじまり。
久々の露出、そして久々のカムイのイラストに引きよせられて雑誌を手に取った。
いまだ描かれぬ「第三部」について、何か情報がないものかと淡い期待をいだいたのだが、主な内容は「狩猟」だった(苦笑)
白土三平は言わずと知れた忍者マンガの巨匠であり、「サスケ」「忍者武芸帳」等の代表作を持つ。
私にとっては、他のどの作品よりも「カムイ伝第一部」の作者だった。
孤高の抜け忍・カムイの物語としては、アニメ化された「カムイ外伝」の方が、一般の認知度は高いかもしれない。
(実はアニメ「忍風カムイ外伝」の後番組が「サザエさん」だったりする!)
並行して往年の「ガロ」で描かれた本編「カムイ伝 第一部」は、抜け忍・カムイに加えて武士の草加竜之進、農民の正助という三人の主人公が存在した。
とくに中盤からは正助の比重が増し、ストーリーの本流は壮大な百姓一揆に収斂されていった。
脇へと一歩引いたカムイの活躍をシンプルに描く場が、スピンアウトして「外伝」になったということだろう。
子供の頃、既にアニメ化されていたこともあり、この「外伝」の方は私もかなり早い時期から読んでいた覚えがある。
本編「カムイ伝」に手が伸びたのは思春期に入ってからで、マンガ版「デビルマン」とともに、当時最もハマって読み耽った作品だった。
●「カムイ伝 第一部」
主人公を始め、登場するキャラクターたちは、物語の進行と共に多くのものを失っていく。
失うのは身体の部位であったり、顔であったり、身分であったり、愛する人であったりするのだが、それでも生き残った者はより強く成長していく。
欠損することでオリジナルを得、失うことで心定まるキャラクター達の生命力に、思春期の私は深く感情移入していたのだ。
私が「第一部」を読み耽ってから数年後のタイミングで、「第二部」の連載がビッグコミックで始まった。
その後90年代を通じて断続的に執筆され、現在は一応「完結」したセットが刊行されている。
90年代当時の私はこの「第二部」の内容が、正直あまりピンと来なかった。
壮大なカタルシスのあった「第一部」の印象に引きずられ、いつまでもプロローグが終らずにページだけが重ねられていくような不満を感じていた。
もちろん、今は全く違った感想を持っている。
青年から大人に成長した主人公たちは、熱狂や祝祭のカタルシスではなく、淡々と続く日常の中でそれぞれの足場を固めながら、なお「志」を持続させるステージに至っていたのだ。
年齢を重ねた「かつての青年」が読むべきは、むしろこの「第二部」であろうと、今現在は感じている。
冒頭で紹介した雑誌インタビューの中で、まだ描かれていない「第三部」についても、最後に質問されていた。
笑いながら言葉を濁している白土御大だったが、私は「おや?」とかすかな期待を抱いた。
活きた線で描かれた、雀と戯れるカムイのイラストと、第三部についての質問も避けないその姿勢に、「まだ種火が残っているのではないか」と感じたのだ。
待ってみてもいいかもしれない。
当初の第三部の構想通り「シャクシャインの戦い」を長尺で描くことまでは望まない。
流れ流れて北の地に至ったカムイが、アイヌの暮らしの中に安息を見出す短編など、叶うことなら読んでみたい……
そう言えばしばらく前、サブカル作品のジャンル分けに、「抜け忍モノ」という切り取り方があることを知った。
主人公が、母体になった組織の「裏切者」であるという構造を持つ種類の物語を指す言葉である。
それこそ「カムイ外伝」が元祖に近いのだろうけれども、マンガを始めとするサブカルの世界では、定番中の定番設定と言って良い。
ヒーローが持つ特殊能力の理屈付けとして、実は戦うべき「悪役組織」の一員であったという基本設定は、まことに使い勝手が良いのだ。
この「抜け忍モノ」という言葉を聞いた瞬間、個人的に「ああ、そういうことだったのか!」と頭が物凄く整理される感覚があった。
思えば私の成育歴は「抜け忍モノ」と共にあり、それぞれの発達段階で感情移入し、影響を受けてきたのだ。
そのことについて、しばらく語ってみたいと思う。
次回記事より「抜け忍サブカルチャー」の章、はじまり、はじまり。
2018年07月23日
抜け忍サブカルチャー1:原風景
私が子供の頃の記憶として明確に覚えているのは、70年代後半からのことになる。
当時の子供向けサブカルチャーには、まだ「忍者モノ」の影響が残っていた。
白土三平のマンガが主導した忍者ブームは60年代がリアルタイムだったはずだが、「サスケ」「カムイ外伝」等の作品はマンガもアニメも根強い人気で、私たち70年代の子供もまだまだ忍者ごっこに興じていた。
昔はTVアニメの再放送が今よりずっと頻繁で、ヒット作はほとんど毎年のように放映されていたと記憶している。
書店のマンガ単行本の点数も今よりずっと少なく、回転が緩やかだったので、60年代作品は70年代に入ってもまだまだ「現役」だったのだ。
そう言えば、私の小さい頃の大人になったらなりたいものは「忍者」だったっけ(笑)
小学校高学年になって「今はもう忍者はあまりいない」と理解し、自分の運動神経の無さを思い知ってからは、「刀鍛冶」に進路変更した。
それはそれで黒歴史を築いたことは、以前記事にしたことがある。
天下一のペーパーナイフ
ナイフみたいにとがっては
その頃の私の眼に、「大人っぽくてカッコいい」と思える再放送TVアニメがいくつかあった。
ジャケットが緑の「ルパン三世」第一作や、「忍風カムイ外伝」が、その代表だった。
●TVアニメ「忍風カムイ外伝」(69放映)
●マンガ「カムイ外伝」白土三平(65〜67週刊少年サンデー連載)
抜け忍カムイの背負う孤独の影は、子供心に強く印象に残った。
BGMや劇中歌も本当に素晴らしくて、カムイの憂いのこもった眼差しは、荒涼とした背景画のイメージと共に、今でも記憶に刻まれている。
70年代に入って、再放送人気は高かったものの、リアルタイム作品としての「忍者モノ」は下火になった。
以前紹介した「サルでもかけるまんが教室」(竹熊健太郎/相原コージ)には、「忍者モノ」は「空手モノ(身体能力)」と「エスパーもの(超常能力)」に分岐したという主旨の解説がある。
確かに70年以降の、とくに子供向けのサブカルチャー作品は、SFものとスポ根ものに数多くのヒット作が生まれている。
白土三平が切り開いた「抜け忍モノ」のストーリーの構図は、SF作品へとより多く引き継がれていったようだ。
そうした作品の嚆矢にして代表は、石森章太郎原作のTV特撮「仮面ライダー」シリーズになるだろう。
主人公の「仮面ライダー」は、元来は悪の組織「ショッカー」に拉致された被害者である。
改造手術で昆虫の能力を仕込まれた怪人「バッタ男」であり、洗脳される直前に脱走してショッカーの仇敵となる。
まさに「抜け忍」である。
●TV特撮「仮面ライダー」シリーズ(71〜75、79〜81放映)
小さい頃の私は、このTVシリーズを繰り返される再放送で楽しんでいたのだが、正直作品の「世界観」までは理解できていなかった。
TV画面からの刺激に対する反応ではなく、物語としての「仮面ライダー」の面白さを理解したのは、低年齢向けに描かれた「コミカライズ版」を読んでからだった。
仮面ライダーはTV番組とほぼ同時に「原作者」石森章太郎によるマンガ版(厳密に言うと「原作」ではない)も執筆された。
話がややこしいのだが、この石森版とは別にTV版の仮面ライダーを下敷きにしたコミカライズ版も、いくつか存在した。
私が好きだった山田ゴロ版は、71年のライダー第一作から75年のストロンガーで一旦シリーズが終了した後の78年から執筆された作品である。
そもそもは79年から再開される新しい仮面ライダー(スカイライダー)へとつなげるための「露払い」的な雑誌連載として企画されたようだ。
●TV版コミカライズ「仮面ライダー」山田ゴロ(78〜82テレビランド連載)
仮面ライダー1号、2号、V3、ライダーマン、X、アマゾン、ストロンガーまでの流れを、独自のエピソードも交えながらダイジェストで要領よく描き、続くスカイライダー、スーパー1の世界観に巧みに接続させている。
それぞれのライダーに充てられた尺は短いが、TV版の設定を踏襲しながら、石森版に描かれる「改造人間の悲しみ」というテーマもきちんと盛り込み、かつ低年齢層に無理なく読みこなせる描写になっている。
これはまさに「離れ業」である。
とくにライダーマンについては、あらゆるバージョンの中で、この山田ゴロ版の内容が最も充実しているのではないだろうか。
ストロンガー編で7人ライダーが初めて集結し、最後の決戦に臨む際の盛り上がりは、私を含めた当時の子供たちの間で語り草になっている。
関連記事:ビデオ普及以前のコミカライズ
山田ゴロ版も低年齢向けマンガとしてはかなりショッキングな描写が含まれていたが、それでもTV版ライダーシリーズの「枠」は守ってあった。
ところがTV版の初代ライダーとほぼ同時期に執筆された石森マンガ版は(私は山田ゴロ版より後に読んだのだが)子供心に「これは別物!」という印象を強く持った。
●「仮面ライダー」全三巻(71年、週刊ぼくらマガジン/週刊少年マガジン連載)
まず絵柄がちょっと怖かった。
当時の石森マンガの中ではかなり描き込まれた描線で、画面が暗く、恐怖マンガのようなダークな雰囲気が漂っていた。
内容も「仮面ライダー」という素材を使いながらも、シリアスな文明批評SFとして真正面から描かれており、なんとなく「大人向け?」と思ったのを覚えている。
関連記事:暴走する石森DNA
同時期の「抜け忍モノ」の構図を持つサブカル作品で好きだったのが、「デビルマン」だった。
●TVアニメ「デビルマン(72〜73放映)」
後に私はこのTVアニメ版に導かれるように、「人生最大の衝撃作」としてのマンガ版「デビルマン」と出会うことになるのだが、それは中学生になってからのことだった。
ごく小さい頃から、私は孤独の影のある主人公が好きだった。
そうした主人公の性格は「抜け忍モノ」の設定と相性が良く、自然とそうした作品に心惹かれるようになったのかもしれない。
そしてより根本的には、私が弱視児童であったことが影響していると思う。
小さい頃から眼鏡をかけていた私は、いつもどこか周囲と一定の距離を感じていて、「通りすがりの絵描き」という立ち位置が習い性になっていた。
最初の修行1
最初の修行2
最初の修行3
最初の修行4
そんな気分が「抜け忍」にどこか通底するものを感じていたのだろう。
そして今にして思うと私は、思春期や成人後も、無意識のうちに同じような構図を持つ作品を求めているようなところがあった。
当時の子供向けサブカルチャーには、まだ「忍者モノ」の影響が残っていた。
白土三平のマンガが主導した忍者ブームは60年代がリアルタイムだったはずだが、「サスケ」「カムイ外伝」等の作品はマンガもアニメも根強い人気で、私たち70年代の子供もまだまだ忍者ごっこに興じていた。
昔はTVアニメの再放送が今よりずっと頻繁で、ヒット作はほとんど毎年のように放映されていたと記憶している。
書店のマンガ単行本の点数も今よりずっと少なく、回転が緩やかだったので、60年代作品は70年代に入ってもまだまだ「現役」だったのだ。
そう言えば、私の小さい頃の大人になったらなりたいものは「忍者」だったっけ(笑)
小学校高学年になって「今はもう忍者はあまりいない」と理解し、自分の運動神経の無さを思い知ってからは、「刀鍛冶」に進路変更した。
それはそれで黒歴史を築いたことは、以前記事にしたことがある。
天下一のペーパーナイフ
ナイフみたいにとがっては
その頃の私の眼に、「大人っぽくてカッコいい」と思える再放送TVアニメがいくつかあった。
ジャケットが緑の「ルパン三世」第一作や、「忍風カムイ外伝」が、その代表だった。
●TVアニメ「忍風カムイ外伝」(69放映)
●マンガ「カムイ外伝」白土三平(65〜67週刊少年サンデー連載)
抜け忍カムイの背負う孤独の影は、子供心に強く印象に残った。
BGMや劇中歌も本当に素晴らしくて、カムイの憂いのこもった眼差しは、荒涼とした背景画のイメージと共に、今でも記憶に刻まれている。
70年代に入って、再放送人気は高かったものの、リアルタイム作品としての「忍者モノ」は下火になった。
以前紹介した「サルでもかけるまんが教室」(竹熊健太郎/相原コージ)には、「忍者モノ」は「空手モノ(身体能力)」と「エスパーもの(超常能力)」に分岐したという主旨の解説がある。
確かに70年以降の、とくに子供向けのサブカルチャー作品は、SFものとスポ根ものに数多くのヒット作が生まれている。
白土三平が切り開いた「抜け忍モノ」のストーリーの構図は、SF作品へとより多く引き継がれていったようだ。
そうした作品の嚆矢にして代表は、石森章太郎原作のTV特撮「仮面ライダー」シリーズになるだろう。
主人公の「仮面ライダー」は、元来は悪の組織「ショッカー」に拉致された被害者である。
改造手術で昆虫の能力を仕込まれた怪人「バッタ男」であり、洗脳される直前に脱走してショッカーの仇敵となる。
まさに「抜け忍」である。
●TV特撮「仮面ライダー」シリーズ(71〜75、79〜81放映)
小さい頃の私は、このTVシリーズを繰り返される再放送で楽しんでいたのだが、正直作品の「世界観」までは理解できていなかった。
TV画面からの刺激に対する反応ではなく、物語としての「仮面ライダー」の面白さを理解したのは、低年齢向けに描かれた「コミカライズ版」を読んでからだった。
仮面ライダーはTV番組とほぼ同時に「原作者」石森章太郎によるマンガ版(厳密に言うと「原作」ではない)も執筆された。
話がややこしいのだが、この石森版とは別にTV版の仮面ライダーを下敷きにしたコミカライズ版も、いくつか存在した。
私が好きだった山田ゴロ版は、71年のライダー第一作から75年のストロンガーで一旦シリーズが終了した後の78年から執筆された作品である。
そもそもは79年から再開される新しい仮面ライダー(スカイライダー)へとつなげるための「露払い」的な雑誌連載として企画されたようだ。
●TV版コミカライズ「仮面ライダー」山田ゴロ(78〜82テレビランド連載)
仮面ライダー1号、2号、V3、ライダーマン、X、アマゾン、ストロンガーまでの流れを、独自のエピソードも交えながらダイジェストで要領よく描き、続くスカイライダー、スーパー1の世界観に巧みに接続させている。
それぞれのライダーに充てられた尺は短いが、TV版の設定を踏襲しながら、石森版に描かれる「改造人間の悲しみ」というテーマもきちんと盛り込み、かつ低年齢層に無理なく読みこなせる描写になっている。
これはまさに「離れ業」である。
とくにライダーマンについては、あらゆるバージョンの中で、この山田ゴロ版の内容が最も充実しているのではないだろうか。
ストロンガー編で7人ライダーが初めて集結し、最後の決戦に臨む際の盛り上がりは、私を含めた当時の子供たちの間で語り草になっている。
関連記事:ビデオ普及以前のコミカライズ
山田ゴロ版も低年齢向けマンガとしてはかなりショッキングな描写が含まれていたが、それでもTV版ライダーシリーズの「枠」は守ってあった。
ところがTV版の初代ライダーとほぼ同時期に執筆された石森マンガ版は(私は山田ゴロ版より後に読んだのだが)子供心に「これは別物!」という印象を強く持った。
●「仮面ライダー」全三巻(71年、週刊ぼくらマガジン/週刊少年マガジン連載)
まず絵柄がちょっと怖かった。
当時の石森マンガの中ではかなり描き込まれた描線で、画面が暗く、恐怖マンガのようなダークな雰囲気が漂っていた。
内容も「仮面ライダー」という素材を使いながらも、シリアスな文明批評SFとして真正面から描かれており、なんとなく「大人向け?」と思ったのを覚えている。
関連記事:暴走する石森DNA
同時期の「抜け忍モノ」の構図を持つサブカル作品で好きだったのが、「デビルマン」だった。
●TVアニメ「デビルマン(72〜73放映)」
後に私はこのTVアニメ版に導かれるように、「人生最大の衝撃作」としてのマンガ版「デビルマン」と出会うことになるのだが、それは中学生になってからのことだった。
ごく小さい頃から、私は孤独の影のある主人公が好きだった。
そうした主人公の性格は「抜け忍モノ」の設定と相性が良く、自然とそうした作品に心惹かれるようになったのかもしれない。
そしてより根本的には、私が弱視児童であったことが影響していると思う。
小さい頃から眼鏡をかけていた私は、いつもどこか周囲と一定の距離を感じていて、「通りすがりの絵描き」という立ち位置が習い性になっていた。
最初の修行1
最初の修行2
最初の修行3
最初の修行4
そんな気分が「抜け忍」にどこか通底するものを感じていたのだろう。
そして今にして思うと私は、思春期や成人後も、無意識のうちに同じような構図を持つ作品を求めているようなところがあった。
(続く)
2018年07月24日
抜け忍サブカルチャー2:中二病期
思い返すと夢の中の出来事のような「子供時代」を過ぎ、ある程度現在の自分と連続性の感じられる思春期に入った頃、私は衝撃的な「抜け忍モノ」と出会ってしまった。
●マンガ版「デビルマン」永井豪(72〜73週刊少年マガジン連載)
読んだ年齢、作品内容、全てが噛み合って、生涯最もハマった作品になった。
この作品については、これまでにも度々記事にしてきた。
70年代永井豪の「魔神懸かり」
過去作ではなく、リアルタイムの連載作品としては、「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズを生み出す直前の荒木飛呂彦の短期連載が物凄く面白かった。
●「バオー来訪者」荒木飛呂彦(84〜85週刊少年ジャンプ連載)
軍事秘密組織の人体実験から脱出した少年少女の逃避行を描く、「抜け忍モノ」の王道を行くような設定。
80年代的なバイオテクノロジー描写と、おそらく古代呪法「蟲毒」を接ぎ木したショッキングなバイオレンス描写の秀作である。
80年代後半には「抜け忍モノ」をSFとして再生させた中興の祖、仮面ライダーシリーズも復活した。
●TV特撮「仮面ライダーBLACK〜RX」(87〜89放映)
平成直前、昭和ライダーの集大成にして原点回帰、シリアスでよくできた作品だったと思うが、放映当時の私は、年齢的に「子供向け」からは少し距離を置きたい段階に入ってしまっていた。
この前年の86年、「機動戦士ガンダムダブルゼータ」でリアルロボットアニメからも「途中下車」しており、そろそろ「大人向け」の小説やマンガ、映画に関心が移りつつあったのだ。
とくに続編RXの「より低年齢向け」の路線変更を機に、ライダーシリーズからは完全に卒業した。
ブラックについて言えば、例によって「暴走」した石森マンガ版の方がより印象に残っている。
●「仮面ライダーBlack」石森章太郎(87〜88週刊少年サンデー連載)
より歯ごたえのある作品を求める内に、子供の頃から好きだった元祖抜け忍カムイの「本編」の方に手が伸びた。
●「カムイ伝 第一部」白土三平(64〜71月刊漫画ガロ連載)
中高生当時、ちょうど私は超スパルタ受験校に通っていた。
青春ハルマゲドン4
青春ハルマゲドン5
青春ハルマゲドン6
当時ですら異様な戦前回帰教育、時代錯誤のキツい体罰に日々晒されており、作中の被支配階級の民衆や、逃亡者となったカムイに、あらためて深く感情移入していた。
同時期、リアルタイムで「カムイ外伝」の続きが連載されていた。
絵柄も内容も完全に「大人向け」になっており、私は本編「第一部」の後日譚として、あるいはいずれ開始されるであろう「第二部」への序章として、本編に続けて読み耽った。
●「カムイ外伝 第二部」白土三平(82〜87ビッグコミック連載)
80年代半ばには、永井豪「デビルマン」と並ぶ、もう一つの衝撃があった。
SF作家・平井和正の作品との出会いである。
平井作品には私好みの「孤高のヒーロー」が多数登場するが、「抜け忍モノ」の系譜に連なる作品としては、「死霊狩り(ゾンビ―ハンター)」がある。
●小説「死霊狩り(全三巻)」平井和正(72〜78)
地球外生命体の侵略を受けた人類が、優れた身体能力と闘争心を持つ若者の中から、狂気のサバイバル試練で「不死身の怪物」と言えるメンバーを選抜し、戦いに赴かせるバイオレンス・ストーリー。
主人公の元レーサー・田村俊夫が最後に「抜ける」のは、何からか。
70年代の平井和正は、マンガ原作で磨き上げたエンターテインメント性と、生来の情念滾る作風がバランスよく噛み合った傑作を連発している。
80年代以降は「エンタメの定型」を崩す方向に進化して読者を選ぶようになり、実は私はそちらの方向性も熱愛しているのだが、少なくとも70年代半ばまでの平井作品は万人に全力でお勧めできるのである。
とくに本作は「未完の帝王」と呼ばれた作者の、当時としては珍しい「完結長編作品」であった。
全三巻でコンパクトにまとまっているので、今まさに孤独な青春を送っている若者にはぜひ手に取ってほしい。
つい先ごろ、ハヤカワ文庫から全三巻を一冊にまとめたものが復刊されたので、今なら非常に手に取りやすい。
この作品、小説の初出は72年だが、60年代末には先行して桑田二郎作画「デスハンター」として、ほぼ同内容のマンガ版が制作されていた。
マンガ版の原作がそもそも小説形態で書かれており、マンガ完結後に加筆と構成変更を経て完成したのが小説版と言うことのようだ。
個人的に、「8マン」から始まる平井/桑田コンビのマンガ作品としては、この「デスハンター」が最高傑作ではないかと思っている。
写実の要素を盛り込んで研ぎ澄まされた描線が、この時期の平井和正の世界観と完全にシンクロしているのだ。
●マンガ「デスハンター」平井和正/桑田二郎(69週刊ぼくらマガジン連載)
中学生の頃の「デビルマン」ショックを通過した80年代後半の高校生時代、私が最も読み耽ったのが平井和正とカムイ伝だった。
平井和正は当時よく遊んでいた友人の本棚で知った。
厳しい生徒指導と進級基準で、その友人も含めた同級生が次々と学校を去る中、私は教育系の美術志望に切り替えた。
このスパルタ地獄から必ず生還してやろう。
それにはとにかく「力」が必要だ。
そう考えて、ひたすら技術を磨いた。
デッサンと見取り稽古
なんとか卒業までサバイバルし、受験も乗り切った時には、冗談ではなく「ああ、俺はついに抜けたのか」と解放感を味わった。
それからずっと、今に至るも「抜け忍気分」は続いている。
●マンガ版「デビルマン」永井豪(72〜73週刊少年マガジン連載)
読んだ年齢、作品内容、全てが噛み合って、生涯最もハマった作品になった。
この作品については、これまでにも度々記事にしてきた。
70年代永井豪の「魔神懸かり」
過去作ではなく、リアルタイムの連載作品としては、「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズを生み出す直前の荒木飛呂彦の短期連載が物凄く面白かった。
●「バオー来訪者」荒木飛呂彦(84〜85週刊少年ジャンプ連載)
軍事秘密組織の人体実験から脱出した少年少女の逃避行を描く、「抜け忍モノ」の王道を行くような設定。
80年代的なバイオテクノロジー描写と、おそらく古代呪法「蟲毒」を接ぎ木したショッキングなバイオレンス描写の秀作である。
80年代後半には「抜け忍モノ」をSFとして再生させた中興の祖、仮面ライダーシリーズも復活した。
●TV特撮「仮面ライダーBLACK〜RX」(87〜89放映)
平成直前、昭和ライダーの集大成にして原点回帰、シリアスでよくできた作品だったと思うが、放映当時の私は、年齢的に「子供向け」からは少し距離を置きたい段階に入ってしまっていた。
この前年の86年、「機動戦士ガンダムダブルゼータ」でリアルロボットアニメからも「途中下車」しており、そろそろ「大人向け」の小説やマンガ、映画に関心が移りつつあったのだ。
とくに続編RXの「より低年齢向け」の路線変更を機に、ライダーシリーズからは完全に卒業した。
ブラックについて言えば、例によって「暴走」した石森マンガ版の方がより印象に残っている。
●「仮面ライダーBlack」石森章太郎(87〜88週刊少年サンデー連載)
より歯ごたえのある作品を求める内に、子供の頃から好きだった元祖抜け忍カムイの「本編」の方に手が伸びた。
●「カムイ伝 第一部」白土三平(64〜71月刊漫画ガロ連載)
中高生当時、ちょうど私は超スパルタ受験校に通っていた。
青春ハルマゲドン4
青春ハルマゲドン5
青春ハルマゲドン6
当時ですら異様な戦前回帰教育、時代錯誤のキツい体罰に日々晒されており、作中の被支配階級の民衆や、逃亡者となったカムイに、あらためて深く感情移入していた。
同時期、リアルタイムで「カムイ外伝」の続きが連載されていた。
絵柄も内容も完全に「大人向け」になっており、私は本編「第一部」の後日譚として、あるいはいずれ開始されるであろう「第二部」への序章として、本編に続けて読み耽った。
●「カムイ外伝 第二部」白土三平(82〜87ビッグコミック連載)
80年代半ばには、永井豪「デビルマン」と並ぶ、もう一つの衝撃があった。
SF作家・平井和正の作品との出会いである。
平井作品には私好みの「孤高のヒーロー」が多数登場するが、「抜け忍モノ」の系譜に連なる作品としては、「死霊狩り(ゾンビ―ハンター)」がある。
●小説「死霊狩り(全三巻)」平井和正(72〜78)
地球外生命体の侵略を受けた人類が、優れた身体能力と闘争心を持つ若者の中から、狂気のサバイバル試練で「不死身の怪物」と言えるメンバーを選抜し、戦いに赴かせるバイオレンス・ストーリー。
主人公の元レーサー・田村俊夫が最後に「抜ける」のは、何からか。
70年代の平井和正は、マンガ原作で磨き上げたエンターテインメント性と、生来の情念滾る作風がバランスよく噛み合った傑作を連発している。
80年代以降は「エンタメの定型」を崩す方向に進化して読者を選ぶようになり、実は私はそちらの方向性も熱愛しているのだが、少なくとも70年代半ばまでの平井作品は万人に全力でお勧めできるのである。
とくに本作は「未完の帝王」と呼ばれた作者の、当時としては珍しい「完結長編作品」であった。
全三巻でコンパクトにまとまっているので、今まさに孤独な青春を送っている若者にはぜひ手に取ってほしい。
つい先ごろ、ハヤカワ文庫から全三巻を一冊にまとめたものが復刊されたので、今なら非常に手に取りやすい。
この作品、小説の初出は72年だが、60年代末には先行して桑田二郎作画「デスハンター」として、ほぼ同内容のマンガ版が制作されていた。
マンガ版の原作がそもそも小説形態で書かれており、マンガ完結後に加筆と構成変更を経て完成したのが小説版と言うことのようだ。
個人的に、「8マン」から始まる平井/桑田コンビのマンガ作品としては、この「デスハンター」が最高傑作ではないかと思っている。
写実の要素を盛り込んで研ぎ澄まされた描線が、この時期の平井和正の世界観と完全にシンクロしているのだ。
●マンガ「デスハンター」平井和正/桑田二郎(69週刊ぼくらマガジン連載)
中学生の頃の「デビルマン」ショックを通過した80年代後半の高校生時代、私が最も読み耽ったのが平井和正とカムイ伝だった。
平井和正は当時よく遊んでいた友人の本棚で知った。
厳しい生徒指導と進級基準で、その友人も含めた同級生が次々と学校を去る中、私は教育系の美術志望に切り替えた。
このスパルタ地獄から必ず生還してやろう。
それにはとにかく「力」が必要だ。
そう考えて、ひたすら技術を磨いた。
デッサンと見取り稽古
なんとか卒業までサバイバルし、受験も乗り切った時には、冗談ではなく「ああ、俺はついに抜けたのか」と解放感を味わった。
それからずっと、今に至るも「抜け忍気分」は続いている。
(続く)