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2018年07月15日

#Tokyoインパール2020

 猛暑である。
 体温を超えた外気がむわんと身を包む不快さがたまらない。
 今後一週間ほどはこの暑さが続く模様。
 地域によっては不要不急の外出を控えるべきレベルになっているだろう。
 ここで嫌でも思い出されるのが、二年後の2020年真夏、東京で開催されるオリンピックのことである。
 率直に言って「正気か!?」と問わざるを得ない。

 そもそも私は五輪招致の段階から反対であった。
 東日本大震災以降、自然災害やそれに伴う人災が毎年のように繰り返される中、日本にそんな余裕はないという理由による。
 招致活動をやっていた時は、「まあ、呼んで儲けたい人間は多いだろうが、未曽有の原発事故が起こったばかりの国が、まさか選ばれることはないだろう」とタカをくくっていた。
 ところが某総理大臣による「アンダーコントロール」なる虚偽宣伝と、既に国際的に報道されている贈収賄疑惑も交えながら、東京招致は成ってしまった。
 五輪開催決定を受け、都内及び会場予定地周辺では建設ラッシュが起こっている。
 その結果、本来被災地各地の復興に回されるべき人も資材もカネも東京に一極集中し、棄民が進行してしまっている。
 たった二週間のたかが商業イベントのために、他に優先すべき差し迫った課題を放置して巨額の税金が投入されている。
 終了後もその負債が国民に塗炭の苦しみを強いるであろうことは間違いない。

 そして、冒頭の猛暑の話題に戻る。
 常識で考えれば、灼熱地獄の7〜8月の東京で、大規模スポーツイベントなどできるわけがない。
 前回の昭和東京オリンピックでも、計画段階で猛暑の夏は「不適」と否定され、10月にスライドして開催されている。(その名残が10月の「体育の日」)
 ヒートアイランド化が進行する以前の時代ですら、そのような判断が下されているにも関わらず、欧米のスポーツイベント開催スケジュールに合わせる形で、狂気の真夏開催がごり押しされようとしているのだ。
 これも要はカネであって、アスリートのためでも観客のためでもない。
 このまま夏季オリンピックが強行されればどうなるか?
 東京の酷暑を知らない海外からの観戦客が大量に押し寄せ、日本人観戦客との相乗効果で、会場や交通機関はまさに「ごった煮」状態になるだろう。
 熱中症で人がバタバタと倒れ、暑さとストレスでぐつぐつと煮えたぎった群衆は一体どうなることか……
 わたしは今でも五輪そのものに反対なのだが、百万歩譲って開催するにしても、真夏だけは避けるべきではないだろうか。

 と、ここまではかなり以前から考えていた。
 それに加え、ごく最近になってから、新たな問題点があるらしいことを知った。
 以下の新刊書に、その問題点が詳細に語り尽くされている。


●「ブラックボランティア」本間龍(角川新書)

 帯の紹介文を引用してみよう。

・肥えるオリンピック貴族、タダ働きの学生たち
・2020年、東京五輪のスポンサー収入は推定4000億円以上。
・ボランティア11万人は、10日間拘束で報酬ゼロ、しかも経費は自己負担
・組織委と電通が隠す搾取の仕組みとは
・そもそもボランティアに無償という意味はない
・募集対象に入っていない「シニア」、その理由
・研修が有料のことも。自己負担額が膨れ上がる
・「#Tokyoインパール2020」がSNSで広がる

 帯に並んだ項目だけでも問題点が浮き彫りになっている。
 もう少しネタバレすると、本来ならボランティアの主力になりそうなシニア層が募集対象に入っていない理由は、要するに「暑さで死なれると困るから」である。
 替わって学生ボランティアが「やりがい」「単位」「就活に有利」等をエサに、無報酬で8時間労働×10日間、灼熱の過酷な労働に駆り出されようとしているのだ。
 明らかに問題があるにもかかわらず、主要な新聞社のほとんどが五輪の協賛に入っているため、メディアで話題にされることはないという。

 著者の作家・本間龍は、博報堂出身。
 巨大広告産業の裏面に詳しく、これまでにも原発広告や、広告規制のない国民投票法の問題点について、刺激的な著書を連発してきた。


●原発プロパガンダ(岩波新書)
●広告が憲法を殺す日 国民投票とプロパガンダCM (集英社新書)


 最近はTwitterにおいて、東京五輪の「学徒動員」に対し、鋭い警告を発し続けている。

 本間龍Twitter

 Twitterで良く使用されているハッシュタグ、#Tokyoインパール2020は、本間龍の創案である。
 旧日本軍の史上最悪の愚策と、現代日本の狂気とを重ね合わせた傑作だと思う。
 興味のある人は「インパール作戦」「白骨街道」などで検索してみると良い。

 現時点の私の意見をまとめると、以下の三点に絞られる。

1、理想的には五輪返上
2、最悪でも10月開催
3、ボランティアの名を借りた「学徒動員」断固阻止

 五輪返上については現状少数派であることは承知している。
 正直実現は難しいだろう。
 しかしそれ以外の二つ、「10月開催」「学徒動員阻止」については、政治的な左右の立場を超えて広く賛同者を集め、実現させることも可能ではないかと思う。

 私は祭や縁日が大好きな人間だが、来る東京五輪は庶民のための祝祭では決してない。
 あえてカテゴライズするなら「完全に時代遅れになっているのに止められない巨大公共事業」の範疇に入るのではないだろうか。
 原発とも等質である。

 この話題、折々続けていきたいと思う。
posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | | 更新情報をチェックする