2018年08月24日

著作権の失効した著名作品の扱いについての覚書

 恥ずかしながら、ごく最近児童文学の名作「星の王子さま」にハマって、バージョン違いの読み比べなども楽しんでしまった。

 星の王子さま
 新旧「星の王子さま」

 長らく興味は持ちながら、読めずにいた名作中の名作を手に取ったのは、しばらく前の同作の「改変騒動」がきっかけだった。
 著作権が失効している作品については、出典を明確にした上でなら、独自に出版するのも、それを原作にして二次創作を行うのも、法的には問題がない。
 某プラントハンター氏が起こした「改変騒動」も、膨大な「星の王子さま」愛読者の神経を逆なでするような、作り手の「姿勢」に対しての炎上であった。
 私も読んでみてすぐに理解できたのだが、普通の読解力を持っていれば、「星の王子さま」を元ネタにして、バオバブの苗木を売ろうなどという発想が出てくるはずがなく、ただただ商売の手段として有名作を利用した姿勢が見え見えだった。
 原作に何のリスペクトもなく、ちゃんと作品を読んでいるかどうかも怪しい状態での「続編」では、批判されても仕方がない。

 絵描き目線でとくに酷く見えたのは、原作者自身が筆をとった挿絵を「改竄」している点だ。
 問題になった続編では、誰もが知る表紙絵、王子さまが小さな星に一人立つあの絵に、プラントハンター氏と思しき人物が向かい合わせに描き込んであった。
 その表現のレベルがまた酷い。
 王子さまと「人物」をほぼ平行に立たせてしまっているので、足元の小さな星の重力の方向が無視されており、絵として非常に気持ちが悪く、絵柄も馴染んでいない。
 元の絵の繊細なバランスを完全に破壊してしまっており、はっきり言ってまともな仕事ではない。
 フリー素材を適当に切り貼りして画像をでっち上げたような粗雑さは見るに堪えず、実際に印刷に回るまでに誰一人ストップをかける人間がいなかったのが不思議なレベルだと思う。

 愛読者の多い有名作を扱うには、それ相応の配慮やリスペクトが必要になる。
 どんなに出来の良い二次創作でも、全ての原作ファンを納得させることは不可能。
 二次創作者にどれだけ愛や思い入れがあろうとも、有名作には同様の「熱」を持った読者が多数存在する。
 批判は必ず出るもので、それをも覚悟した上での制作でなければならない。
 今回のような「粗雑な改竄」は論外として、「原作愛があればOK」という単純な話でもないのだ。

 鑑賞する側の立場で「不快」を感じるのはどんな時かを考えてみると、つまるところそれは「原作やファンをナメている」と感じた時ではないかと思う。
 批判は覚悟の上で、それでも原作への思い入れと、やむにやまれぬ創作衝動に駆られ、描く。
 一線を引くなら、やはりそこしかない。



 当ブログにおいても、いくつかの著作権の失効した作品を元に、「絵解き」を行ったことがある。

 極楽往生源大夫(今昔物語より)
 どろのうみ(天理教の創世神話より)

 幸か不幸かブログ自体がマイナー、管理人が無名なこともあり(笑)、今のところ批判は頂いていない。



 付記すると実は今まさに、とある有名作をマンガ化しているところだ。
 原作に対するリスペクト、愛読者の皆さんに対する覚悟を新たにしつつ、最終段階に入った制作を進めていきたい。
posted by 九郎 at 17:54| Comment(0) | 妄想絵画論 | 更新情報をチェックする

2018年08月31日

晩夏の「のきした」

 八月末である。
 とっくに大人になっていても、なんとなく「夏休み」の意識は残っている。
 子供の頃から学生時代にかけて、私の夏休みは時間をかけて絵を描いたり工作したりするのが通例だった。
 今でも夏休み期間には、何かまとまった作品を手がけていないと心が落ち着かない。

 この夏、完成できた作品の一つに、F20のアクリル画がある。
 タイトルは「のきした」。

20180720.jpg

 20年以上前、季節はちょうど今頃。
 熊野遍路で通りかかった山村で、作物を吊下げた軒下の風景がふと目にとまり、写真を撮った。

20180720-02.jpg

 なぜかずっと心に残っていて、絵に描きたいと思いながら時間だけが過ぎ、ようやくこの夏、作品化できた。

 今手元に残っているのは上のL版アナログ写真一枚だけなので、もちろんそれだけでは絵にできない。
 作物などはあらためて(なるべく実物を用意して)個別にスケッチしなおし、作品に臨んだ。

 同じ頃、映画館の看板のペンキ絵のバイトをしていて、その頃の絵柄のイメージで一枚描き残しておきたかったということもある。
 ほんのわずかに当時リスペクトしていた生ョ範義風美なところも見えるかも。。。 

 ここから更にもう一段階描き込んで、「写実」のレベルを上げることは可能なのだが、一旦「完成」という判断を下し、筆を置いた。
 絵は本物っぽければいいというものでもない。
 手間をかければそれだけ「保険」はかかる。
 しかし、これだけ描き込んだのだからとか、これだけ本物っぽいのだからというのは、絵の良し悪しとは一応分けて考えた方が良い。
 なるべく曇りのない目で絵と対し、他ではないその一枚の「ピーク」を見極めなければならない。
 経験上、描き込み過ぎは良くないと思っている。
 もう少し描きたい気分が残っているくらいで止めるのが、私にとっては良い場合が多い。
 余白というか余韻というか、最後の一筆は心の中にとどめておく。
 それは多分、作品を鑑賞する人に向けて送り出す意識とも、通じているはずだ。


 いずれやろうと思っていたことを、なるべく一つずつ実行に移していく。
 人生の残り時間を考えると、そうしなければならない年齢になってきたのだ(笑)
posted by 九郎 at 17:37| Comment(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする