もう九月に入っているけれども、今年は曜日の関係で新学期は三日の月曜日からになっている地域が多いだろう。
実質二日間、夏休みが延びたことになる。
報道によると、例年新学期にあたる「九月一日」は、中高生の自殺件数が多くなる日として知られているという。
様々な理由で登校に困難を感じている児童生徒が、夏休みの終りから新学期にかけて、多大なストレスにさらされるであろうことは、想像に難くない。
Eテレなどではこの日を乗り切るために様々な番組を通して呼びかけを行っている。
今年の場合は、「九月三日」が危機の日と言うことになるのだろう。
それぞれの児童生徒のケースで原因や対策は一様ではなく、人の数だけとるべき方法はあると思う。
ただ一つ言えるのは、「学校は命懸けで行くような所ではない」ということだ。
残念ながら学校(というか日本社会全体)は、極めて理不尽な同調圧力の強い場所で、「規格外」の人間には普通に生きているだけで様々な困難が襲ってくる。
私もそんな中の一人で、根本的には弱視児童だった幼児体験から、自分なりの処世術、「世の中の受け流し方」を身に付けざるを得なかった。
誰にでも当てはまる方法ではないと思うが、「私の場合は」と但し書きをつけて紹介するなら、それは「抜け忍」として生きることだった。
以前に一度、「抜け忍」をテーマにした様々なサブカル作品の例を挙げながら、それに重ねて自分の成育歴をふり返ってみたことがある。
抜け忍サブカルチャー
簡単に紹介すると、私は幼い頃から自分のことを「通りすがりの絵描き」と認識していたのだ。
学校とか友人関係の中で、どこか一か所に重きを置くことはなく、あまり他人に何かを期待することもなかった。
たまたま波長が合えばその場その場で楽しく過ごし、絵描きとして何か役に立つことがあれば喜んで協力するが、しんどくなればサラッと身を引く。
そんな感じでずっと過ごしてきた。
今風にいう「スクールカースト」にこちらから参入することはなく、アウトカーストで何の不自由も感じなかった。
一人で本を読んだり絵を描いたりものを作ったりしていられれば不満がなかったので、友人関係は同じような傾向を持つごく少数がいればそれでOKだった。
中学高校は、柄にもなく私立中高一貫の超スパルタ受験校に迷い込んでしまい、あらためて自分は「通りすがりの絵描き」以外の何者でもないことを自覚した。
以後、勉強は留年規定に引っかからない必要最低限にとどめ、ひたすら自身の「技」を磨いて「抜け忍」としてサバイバルした。
それは卒業後もずっと続いた。
何か一つでも、自分のやりたいことがはっきりしているなら、そしてその技術習得の環境があるならば、心折れずになんとか生きて行くことはできる。
まずは死なないことが大切だ。
生きて、そして好きなことを続けていれば、何らかの形で望む結果を実現することは可能だ。
簡単に「夢は必ずかなう」などとは言えない。
人生は思うようにならないものだし、実際何かやってみると、「夢」自体も変化していく。
それでも望みをつなぎ、技を磨き続けていれば、様々な現実と折り合いを付けながら、何らかの形で「夢」を形にすることはできる。
今描きたいと思っている絵、作りたいと思っている作品の多くは、あきらめなければ実際に制作することができる。
もし、中高生の頃の自分に声をかけてやることができるとすれば、そんなことを伝えたい。
夢破れつつ、夢かなう。
この世のまこと求める少年よ、「抜け忍」たれ!
