年末になるとその年読んだ本を振り返ることが多くなる。
何をどれだけ読んだか忘れてしまうほどたくさん読む年もあれば、振り返ってみると数えるほどしか読んでない年もある。
今年は冊数こそ少ないが、印象深い本ばかり手に取ってきた印象。
4月に刊行された以下の本は、これまでに何度か読み返してきた。
●「フリーランス、40歳の壁 自由業者は、どうして40歳から仕事が減るのか?」竹熊健太郎(ダイヤモンド社)
著者・竹熊健太郎の作品は、90年代初頭に「サルでも描けるまんが教室」を読んで以来、ついたり離れたりしながら追っている。
この「サルまん」と続編については、以前記事にしたことがある。
野望は死なず
90年代(とくに半ば以降)、私自身が阪神淡路大震災に被災したりその他諸々の事情で、フィクションを楽しむ余裕がなかなか持てなかった。
そんな中「再会」した竹熊健太郎の本が、以下の一冊だった。
●「私とハルマゲドン」竹熊健太郎(ちくま文庫)
狂乱の90年代を潜り抜けた著者が90年代半ばのカルト教団によるテロ事件を題材に、語りつくした一冊。
カルト信者と同世代があの事件を語ろうとすると、どうしても「自分語り」になってしまうという感覚。
それはあの頃20代から30代で、サブカル界隈に生息していた人間だと、かなりの割合で「わかる」感覚なのではないかと思う。
直接の知り合いとまで行かなくとも「知り合いの知り合い」くらいの距離感の出家信者がいた人は多数にのぼるだろう。
「自分と出家信者の間の違いってなんだ?」「自分があちら側に行かなかったのは単なる幸運ではないか?」
自分の歩いてきた道を振り返り、その分岐点を確認したくなる衝動にかられる。
私もそうだった。
青春ハルマゲドン(後半)
20代から30歳前後の「壁」というのは、人によっては「心のハルマゲドン」みたいに機能するのではないだろうか。
以前、マンガの例を引きながら、作者が30歳前後のタイミングで「私(わたくし)ハルマゲドン」的な作品が生み出されることについて、考えてみたことがある。
青年はサブカルチャーに一度死ぬ
竹熊健太郎(そしてコンビの相原コージ)の場合、「サルまん」が「私ハルマゲドン」にあたっていたのではないかとも思う。
作品の中で、そして自分の中でハルマゲドンが起こってしまった時、作者はそこで燃え尽きてしまったり、最悪命に関わることもある。
生き残った場合も、荒涼とした破滅後の世界を、自分で一から開墾していくようなサバイバル生活が始まるのだ。
それがうまく作品に反映されれば良いけれども、ピークの後はどうやっても悩み苦しむことの方が多い。
竹熊健太郎のケースでは、「サルまん」完結が91年、件のテロ事件を受けた「私とハルマゲドン」の初出が95年。
同時期の著者は、自分の原点を再確認するようなインタビューを重ねており、それをまとめた一冊も、私の大好きな本だ。
●「篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝」(河出文庫)
今年刊行の「フリーランス、40代の壁」は、サブカル界隈で独自の活動を展開する人々への取材が一方の軸としてあり、そしてもう一方の軸として2000年以降、著者が40代に入ってからの自伝的な内容がある。
それはまさに「七転八倒、七転び八起き」というに相応しく、差し引きでマイナスの方がはるかに多い中でもがく内容なのだが、なぜか「軽み」と「笑い」の絶えない筆致になってしまうのが、竹熊健太郎の持ち味なのだろう。
2000年代半ばのブログ「たけくまメモ」開設以降の内容は、今回の本以前にリアルタイムの動向としてネット上で追っていた。
実態はかなり深刻でドロドロしていたはずのアレコレも、これまでの竹熊作品と同じノリで読めるように料理されており、こういうのが「人徳」というのだろう。
以前ネット上で竹熊健太郎は、自身の運営するWebマガジン「電脳マヴォ」を、「これは実質『サルまん3.0』である」と解説していたことがあったと思う。
ならばさしずめ今年の新刊は、ネット上に散らばった膨大なピースを一冊の本に編み上げた「書籍版サルまん3.0」ではないだろうか。
最初の「サルまん」から30年、作中の「竹熊」はじわじわとリアル竹熊健太郎とフュージョンし、今完全に一体となって怒涛の人生を刻み続けているのかもしれない。
この現世は「サルまん」か?
今後も著者の動向から目が離せないのである。
Twitterアカウント:竹熊健太郎
Webマガジン:電脳マヴォ、投稿マヴォ
