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2019年06月07日

70年代サブカル前史:敗戦〜50年代

 70年代に地方で幼少期を過ごした私の原風景は、基本的には昔の子供とあまり変わらないものが多かったのではないかと思う。
 車道のアスファルト舗装は一通り終わっていたが、近所に田んぼや草むら、山林や河川、ため池などは残されており、四季の植物や生き物はとても身近な存在だった。
 今で言うところの「昔遊び」(コマ、剣玉、凧、ビー玉、メンコ等)は、まだ「昔」ではなく現役バリバリだった。
 子供の生活、遊びの中で、70年代以前との一番大きな違いは、カラーTVの完全普及ではないだろうか。
 家庭で、基本的に無料で視聴できる映像メディアの浸透は、私を含めた子供の心理に多大なインパクトを与えたはずだ。
 50年代に発祥し、60年代を通じて生み出された子供向けTVコンテンツの数々は、70年代に入ると加速的に進化・爛熟していき、私たち子供はまともにその渦に巻き込まれていった。
 70年代の子供向けTVコンテンツの起源は、ほとんど全て50〜60年代まで遡ることができる。
 私はもちろん当時をリアルタイムでは知らないが、後の作品に影響を与えたヒット作は、再放送やリメイクなどでまだ十分に「現役」だった。
 前史として敗戦の45年以降の流れを抑えておこう。
 
 敗戦直後の46年、「サザエさん」連載開始。
 新聞四コマ発で「ファミリー向け」ジャンルを開拓していく。
 戦前からの幼年向けマンガ家たちも活動を再開し、その中の一人、杉浦茂は50年代半ばには活動の黄金期を迎える。
 53年、TV本放送開始。
 同時に力道山プロレス、街頭テレビ始まる。
 50年代後半からは高度経済成長期に入り、三種の神器「冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ」への需要が高まる。
 59年、当時の皇太子成婚、64年の東京五輪を経て、TVの普及は加速。
 それと同時に「お子様向け」番組も充実していく。

 50年代の段階で既に、今の子供向けサブカルコンテンツにも濃密な影響を残している三作品があり、いずれも映像(的)メディアの作品であることで共通している。

【月光仮面】変身・アウトロー・強さ
【ゴジラ】冒険・怪奇・異形
【鉄腕アトム」メカ・未来・SF

 結果論ではあるけれども、それぞれがとくに「男の子向け」コンテンツの「受ける」要素を代表していると思われる。
 以下にもう少し詳しく紹介してみよう。

●TVドラマ「月光仮面」(58〜59)
 故・川内康範が中心となって制作された和製TVヒーローの草分けである。
 勧善懲悪の仮面ヒーロー時代劇を、50年代当時の日本を舞台にアップデートした内容で、主人公は大人の探偵、変身した月光仮面はバイクを駆り、銃を操る。
 こうした要素は、後の変身ヒーローの属性として引き継がれていくことになる。
 川内康範は政治的にも右派のご意見番として名高く、薬害肝炎問題で当時の福田首相と直談判におよび、解決を促したエピソードで知られる。
 単なる「右翼」で済ませるには、あまりに懐の深い人物であったことは、数々の作品を見れば一目瞭然だ。
 実家はお寺で、幼少の頃から仏教には親しんできたそうで、月光仮面も薬師三尊の脇仏・月光菩薩に由来するという。
 あまりに有名な主題歌には「正義の味方」という言葉が出てくるが、これも造語。
 この世に完全なる「正義」は神仏以外にあり得ない。
 月光仮面はあくまで人間なのだから、絶対的な正義ではなく「正義の味方」に過ぎない。
 どこまでも「脇役」でしかない。
 これが「月光仮面」に対する位置づけで、番組キャッチコピーは以下のようなあまりに平和的なものだった。
「憎むな! 殺すな! 赦しましょう!」
 むき出しの「正義」に対する懐疑、逡巡は、以後の日本のエンタメ作品にも通奏低音のように受け継がれていく。
 川内康範は70年代以降も様々な形で、子供向けに限定されず、エンタメの世界に重要な関与をしていくことになる。

●映画「ゴジラ」(54)「ゴジラの逆襲」(55)
 ゴジラは初代から「核」であり、「放射能」であり、「人類の生んだ奇形生物」であり、台風のように、火山のように、地震のように、津波のように、そして原発事故のように、日本に突然現れ、破壊の限りを尽くし、善人も悪人も等し並みに蹂躙する巨大モンスター、名付けて「怪獣」だった。
 50年代の初期二作は完全にシリアスであり、必ずしも「子供向け」作品ではなかったが、その志の高さ、本気の表現は当然の如く子供にも届き、60年代以降のシリーズ化に向けた出発点となった。

●マンガ「鉄腕アトム」(52〜68)
 手塚治虫は1928年、大阪生まれで宝塚に育った。
 幼少の頃からマンガを描き続け、敗戦直後の46年、18歳でプロデビューし、翌47年には酒井七馬原案の赤本『新寳島』を刊行。
 スピーディーで「映像的」な画面作りとストーリー展開で当時の子供たちに衝撃を与え、累積40万部のヒットとなった。
 その後も医学生と両立しながら「ジャングル大帝」等を執筆し、52年24歳で医師免許取得、同時期「鉄腕アトム」の雑誌連載が開始され、68年の完結まで「日本初のTVアニメ化」をはさみつつ執筆が続けられた。
 手塚治虫が戦後のサブカル作品に及ぼした影響は極めて多岐にわたるが、子供向けエンタメの主要ジャンルとして、文明批評を含んだ近未来SFやメカ・ロボットアクション、そして美少女表現の要素を定着させた点は特筆されるだろう。

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 以上首相三作品以外にも、50年代後半には貸本漫画の世界で水木しげるや白土三平が活動を開始しており、60年代のヒットへとつながっていく。
 そして50年代も終盤に入った59年、「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」創刊。
 それまで月刊誌が中心だったマンガ連載の熱は一気に週刊誌に移行していくことになる。
posted by 九郎 at 19:13| Comment(0) | 青春ハルマゲドン70s | 更新情報をチェックする

2019年06月14日

70年代サブカル前史:60年代TVアニメの誕生

 クリエイターにとっての20代後半〜三十代前半という期間は、デビューの初期衝動そのままに上り詰めた、最初のピークにあたっているケースが多い。
 わが日本の誇る「マンガの神様」手塚治虫の場合はどうだったか?
 主要な作品制作についてのトピックを挙げてみよう。

 52年(24歳)「鉄腕アトム」開始。
 53年(25歳)「リボンの騎士」開始。
 54年(26歳)「ジャングル大帝」完、「火の鳥」開始。
 56年(28歳)「ライオンブックス」開始。
(この頃から当時台頭していた劇画を意識し始める)
 61年(33歳)アニメ「ある街角の物語」制作開始。
 63年(35歳)国内初のTVアニメ「鉄腕アトム」放映開始。
 65年(37歳)国内初のカラーTVアニメ「ジャングル大帝」開始。
 66年(38歳)アニメ「鉄腕アトム」完。
 67年(39歳)雑誌「COM」創刊。
 68年(40歳)マンガ「鉄腕アトム」完。

 初期の単行本書き下ろしスタイルから雑誌連載に本格的に移行し、代表作「鉄腕アトム」の執筆開始から、日本初の30分枠TVアニメ化に至るまでの過程が、まさにその年齢にあたっているのがわかる。
 そもそも日本のTVアニメは、近未来SFロボットアニメから始まったのだった。
 手塚治虫によって、週一回30分のアニメ制作が可能であること、それがどうやらキャラクタービジネスに結びつくらしいことが実証されたが、それは多分に「マンガの神様」の天才と狂気に負うところが大きかった。
 手塚治虫は戦後日本のマンガ・アニメの生みの親であると同時に、現在の、とくにアニメ制作現場が抱える様々な問題点、劣悪な労働環境も生み出してしまった。
 作品そのものに含まれる要素で考えるなら、「鉄腕アトム」には後のロボットアニメに継承される根幹部分は全てそろっていた。
 内容的には人間とコミュニケーション可能な知能を持つ等身大ロボット、巨大ロボット・バトル、後発のロボットアニメは「アトム」の要素を受け継ぎ、一部を抽出したり、新たな要素を次々に添付することで発展したと言ってよいだろう。
 低予算手法としてのリミテッド・アニメの制作は、数々の有能な人材を輩出し、後の日本アニメの基礎を形成した。
 ビジネスモデルとしてのメディアミックス、キャラクターグッズ展開は、「ロボットモノ」の枠を超え、子供向けエンタメの世界に広く浸透していくことになる。

 アトムの成功の直後、さっそく二つの「競合作」がTVアニメ化された。
 マンガ「鉄人28号」「8マン」である。

●「鉄人28号」横山光輝
 マンガ「鉄人28号」の連載開始はかなり早く、「マンガ「鉄腕アトム」の開始から四年後の1956年、月刊誌『少年』で執筆が始まり、66年まで続いた。
 59年のラジオドラマ、60年の実写TVドラマの後、「アトム」のアニメ化と同年の63年10月、モノクロアニメ「鉄人28号」放送が開始された。
 原作マンガの執筆時期からアニメ放映期間(63〜66)を通じ、「アトム」の最大の競合作の趣がある。
 原点である「アトム」から巨大ロボット・バトルの要素を抽出し、リモコンで「人間が操る」という要素を加えることにより、「意思の無い兵器としての操縦型巨大ロボット」の流れが分岐した。
 この流れこそが、後の70年代巨大ロボットアニメの水源と言えるだろう。

●『8マン』(原作:平井和正/マンガ:桑田二郎)
 週刊少年マガジンの看板作品とすべく、編集主導で原作と作画が選抜され、1963〜65年まで連載された。
 TVアニメ版「エイトマン」は連載開始と同63年〜64年まで放映、先行する「アトム」「鉄人」とデッドヒートを繰り広げた。
 成人男性を主人公とした変身ヒーロー、世を忍ぶ仮の姿は探偵という構図は先行する「月光仮面」から受け継ぎ、「アトム」からはコミュニケーション可能な等身大メカニックの要素を受け継ぎ、さらに「人間と機械の融合」という要素を加えた「エイトマン」の創出した流れは、後のサイボーグテーマのマンガやアニメ、特撮作品に継承されて行った。

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 60年代中盤、TVアニメの創成期に繰り広げられた激しい視聴率争いは、結果として手塚治虫の本業をも消耗させてしまった感はある。
 手塚治虫は本質的には「SF作家」であり、「鉄腕アトム」の物語は「人間に似たロボットを通した文明批評」の構造を持つが、人気の要素として強かったのはあくまで「ロボット・バトル」の部分だった。
 とくにアニメの「アトム」はバトル要素を増やさざるを得ず、手塚治虫が本来志向していたSF的な内容からは離れることが多くなった。
 そして同じSFマンガ・アニメの土俵上にある「鉄人」「エイトマン」だけでなく、60年代後半から70年代初頭にかけて他にも次々と台頭してくる子供向けエンタメ作品の奔流に、「マンガの神様」と言えども抗いがたく「低迷」の時期を迎えることになるのだ。
posted by 九郎 at 22:59| Comment(0) | 青春ハルマゲドン70s | 更新情報をチェックする