完全なる「作り話」であることを、作者も読者も了解した上で、それでも「怖い」と感じさせるのは、表現としてかなり高度だ。
前回記事で紹介した、実録テイストの怖さを武器としたつのだじろう作品とは、また別種の恐怖創作技術が必要になってくる。
マンガの世界で「純粋に虚構の恐怖」を描き続けた第一人者としては、やはり楳図かずおの名が挙げられるだろう。
ただ、私は母親が楳図かずお嫌いだったというスポンサー事情もあり、ほとんど読まずに通過してしまっていた(笑)
魅力に気付いたのはずっと後になってからのことで、それも「わたしは慎吾」「14歳」などの一連のSF作品からのことだった。
それ以前の「恐怖マンガ」を遡って手に取った頃には大人になってしまっていた。
幼児が昆虫の足を引きちぎるような無邪気な残酷さを、そのまま「表現」にまで昇華したような楳図マンガの世界。
おりしも70年代後半は、恐怖と怪奇の世界をさらに突き抜けた「まことちゃん」(76年〜)の全盛期である。
子供時代の「適齢期」に体感できなかったのは、少しもったいなかったと思う。
そもそも私のマンガ原体験は、手塚治虫や藤子F不二雄のクールでロジカルなSFから始まったので、ドロドロと怨念や理不尽が渦巻く恐怖マンガの世界には、あまり馴染みが無かった。
それでも子供なりの「怖いもの見たさ」はあったので、コロコロコミック等にたまにのっていた恐怖マンガ作品を、チラ見してはいた。
そうした読み切り短編の中には、本当に怖くて今でも記憶に残っているものがある。
今ネットで調べてみると、やはり当時の子供たちの間で、「伝説」として語りつがれているようだ。
検索用に以下にメモしておくタイトルと作者名だけでも、「あ! それ知ってる!」と、あの頃の恐怖がよみがえってくる人は多いだろう。
●「蛙少年ガマのたたり」よしかわ進
●「地獄の招待状」槇村ただし
マンガやアニメ作品の好みとしてはSFだったが、ごく普通の小学生男子としての私の日常生活は、いかにも小学生男子的な、怪しくもおバカなもので、それは理不尽と怖さの渦巻く怪奇マンガとも親和性の強いものであった。
口裂け女が日本中で大流行になったのが79年のこと。
私の周囲でも、TV等で大々的に取り上げられる少し前から、子供の間で密かに噂になっていた。
放課後、学校に残って少し遊んでから帰る段になった時、クラスの女子たちが何事かヒソヒソと話し込んでいて、通りかかった私は呼び止められた。
抑えた声ながら興奮した様子で、口々に何かをしゃべってくるのだが要領を得ない。
どうやら「口裂け女」という不審者だか妖怪だかが徘徊しているので気を付けるように、と言っているらしい。
内容はよくわからないものの、なんとなく不気味さと怖さを感じながら小走りに帰宅したことを覚えている。
その後も不確かながら、「マスクをした口裂け女に気を付けろ」という情報だけが駆け巡っていた。
後から考えるとこの段階が一番怖かったような気がする。
TVで紹介されたりマンガになったりし始めてからは、なんとなく「正体が分かった」感じがして、怖いというよりちょっと面白くなっていた。
おバカな私たちのグループは、竹の30センチ定規で武闘訓練を行い、逃走経路を綿密に検討したりしていたものだ。
そしてそんな騒ぎも、半年もたたないうちにみんな忘れ去った。
あと、地味に恐れられていたのが「コトリ」だった。
はじめは「小鳥? なにそれ」という感じで、名前の響きからなんとなく鳥のモンスター的なものを想像して恐れていた。
コトリが実は「子盗り」だとわかったのはずっと後のことだ。
柳田国男の著書でも触れられていて、単なる「人攫い」の範囲を超えた、わりと歴史の遡れる妖怪的な存在であるらしい。
近年になって、子供の頃のイメージで立体造形にしてみたこともある(笑)
怪人コトリ 前編
怪人コトリ 後編
他にも、下半身を露出したおっさんだとか、味海苔の透明の容器にマムシを入れて持ち歩き、公園や神社で会話を楽しむおばあちゃんたちを追い回すじじいだとか、色んなモンスターが子どもの生活風景の中には紛れ込んでいて、怪奇な雰囲気を醸し出していた。
空想と現実が混然一体となって、楳図かずお的な怪奇な雰囲気が日常の中にも紛れ込んでいたのだ。
そこから学んだり身に付けたりしたことも、たくさんあったのではないかと思う。
2020年08月01日
2020年08月06日
70年代実録マンガの究極「はだしのゲン」
70年代の子供は、戦中戦後生まれの両親が既にマンガやTV育ちだった。
家に「親が自分で読みたいマンガ」があるケースも多く、そんな作品の中には、子供が読んでも面白い「利害の一致」した作品がいくつかあり、おそらく「はだしのゲン」もそんな中の一つだった。
広島に投下された原爆の惨禍を、作者自身の実体験をもとに抉り出したこの作品は、70年代後半当時の小学校図書室にある数少ないマンガの内の一つであり、各教室の学級文庫などにもよく置かれている特異なマンガ作品でもあった。
作品の発表形式も、かなり変遷がある。
それぞれの時期の著者・中沢啓治(1939生)の年齢と共に、以下にまとめてみよう。
72年、原形となった自伝的短編「おれは見た」週刊少年ジャンプ掲載。(作者33歳)
73〜74年、「はだしのゲン」本編、週刊少年ジャンプ連載。(34〜35歳)
75〜76年、「市民」連載。(36〜37歳)
76年、汐文社から単行本の刊行開始。
77〜80年、「文化評論」連載。(38〜41歳)
82〜85年、「教育評論」連載。(43〜46歳)
サブカルチャーのまさに最前線である週刊少年マンガ誌から出発し、発表媒体を折々渡り歩きながらも、主人公ゲンの成長とシンクロする形で戦中戦後の広島の苛烈な風景は描き継がれた。
この作品の凄みは何層にも重なっている。
まず基底部分に作者自身の「実体験」がある。
戦中の軍国主義や原爆の惨禍、そして国が「国民の生命と生活を守る」という正統性を失った戦後の混乱期の描写の数々。
どれも間違いなく「本物」としての質量があり、その点において空前絶後である。
エンタメ作品として語る上で多少の脚色はあるものの、「実録」の要素が極めて強いのだ。
次に表現として、現実の悲惨さのみを強調した陰惨な作風ではないところが凄い。
主人公ゲンをはじめとする少年少女たちは生きるためなら罪を犯すこともいとわず、あくまで明るく「ガハハ」と笑いながら戦中戦後を駆け抜ける爽快さがあり、「生きのびる」ということに対する大肯定があるのだ。
反戦反核の内容であるということは、読み継がれている理由の一要素に過ぎない。
内容が「重要だ」という理由だけでは、多くの人はわざわざ作品を手にとったりしない。
人は日々生きることに忙しく、いくら重要な事柄が描かれた作品であっても、その重要さだけを理由に鑑賞する意欲を持つのは、よほど真面目な人だけである。
唯一「読んで面白い」という要素だけが、多くの読者の財布の紐を緩ませ、ページをめくる時間を割かせるのである。
その背景にはおそらく、原爆が投下された地獄の広島を、誰にも頼らず生き抜いてきた経験があったことだろう。
大切なことを描いているということ自体に寄りかからず、漫画としての面白さを保持しながら、血を吐くような自信の思いを込めて作品を紡ぐという離れ業をやってのけたのだ。
地べたを這いずる庶民の乾いたリアリズムが、作品の内容にも制作姿勢にも貫かれているからこそ、週刊少年ジャンプというサブカルチャーの最前線で連載を貼ることが出来たのだ。
売れる本は時代を超えて刊行され続け、いくら内容が良質でも売れない本は消えていく。
出版不況の中、8月の原爆忌が近づくごとに、「はだしのゲン」コンビニ版が刊行されているのも、それだけの売り上げが見込めるということだろう。
資本主義社会において「面白い」「エンターテイメントとして優れている」ということは最強だ。
そもそも、暴虐の現場に作家の魂が居合わせたことこそが、一つの奇跡なのだ。
原爆地獄の広島で、家族や友人たちを虐殺され続けたかつての少年が、その怨念を背負ってたった一人、ペンをとり、単身、最凶兵器と超大国に喧嘩を売ったのだ。
戦時中の爆撃機VS竹槍どころではない、核兵器VSペンなのだ。
まともに考えれば勝てるわけがないのである。
事実、作者が希求した核廃絶への道のりはまだまだ遠い。
核抑止論という極めて原始的な「力には力」のパワーバランスの在り方は、原始的であるだけに突き崩すことは容易ではない。
世界中の頭脳が知恵を結集しても、いまだこの野蛮な理屈をひっくり返せていない。
核兵器自体は性能を格段に向上させながら、世界中に拡散し続けている。
その一方で、「はだしのゲン」は世界中で読み継がれている。
野蛮な最強兵器の存在に、ほんの一矢でも反撃し得ているのが、知識人の言説ではなく、一匹狼気質の被爆者が描いた「たかがポンチ絵」なのだ。
これを「奇跡の善戦」と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
この作品の凄みにさらに一つ付け加えるとするなら、それは単行本で広く読まれるようになった70年代後半という時世において、一つの「終末」の様相を想起させたということだろう。
おりしも「終末ブーム」の最中。
東西冷戦激化の中、全面核戦争による「世の終り」は今そこにある現実的な危機として捉えられており、本作「はだしのゲン」は「その時何が起こるか?」を描き出す作品でもあったのだ。
他のサブカル作品で繰り返し描かれる「終末」は、「地球爆発」というような、規模は大きいけれども具体性を欠いた描写でしかなかった。
世の終末、そこに生活する人々が直面する地獄について、「はだしのゲン」の原爆投下直後の描写は、初めて具体的な材料を提示したのだ。
それは歴史上の「過去」であると同時に、これから待ち受ける「未来」として私たち子供にも感じられた。
作者としては「少年マンガとしてかなり抑えた表現」であったとしても、原爆投下直後の凄惨な「絵」は、凄まじい衝撃をもって私を含めた子供たちの脳裏に刻み込まれたのだった。
そしてもう一つ、この時点では知る由もなかったことだが、二十年近く後の90年代、奇しくも私は「はだしのゲン」に描かれたものとよく似た「瓦礫の街」に立つことになるのである。
家に「親が自分で読みたいマンガ」があるケースも多く、そんな作品の中には、子供が読んでも面白い「利害の一致」した作品がいくつかあり、おそらく「はだしのゲン」もそんな中の一つだった。
広島に投下された原爆の惨禍を、作者自身の実体験をもとに抉り出したこの作品は、70年代後半当時の小学校図書室にある数少ないマンガの内の一つであり、各教室の学級文庫などにもよく置かれている特異なマンガ作品でもあった。
作品の発表形式も、かなり変遷がある。
それぞれの時期の著者・中沢啓治(1939生)の年齢と共に、以下にまとめてみよう。
72年、原形となった自伝的短編「おれは見た」週刊少年ジャンプ掲載。(作者33歳)
73〜74年、「はだしのゲン」本編、週刊少年ジャンプ連載。(34〜35歳)
75〜76年、「市民」連載。(36〜37歳)
76年、汐文社から単行本の刊行開始。
77〜80年、「文化評論」連載。(38〜41歳)
82〜85年、「教育評論」連載。(43〜46歳)
サブカルチャーのまさに最前線である週刊少年マンガ誌から出発し、発表媒体を折々渡り歩きながらも、主人公ゲンの成長とシンクロする形で戦中戦後の広島の苛烈な風景は描き継がれた。
この作品の凄みは何層にも重なっている。
まず基底部分に作者自身の「実体験」がある。
戦中の軍国主義や原爆の惨禍、そして国が「国民の生命と生活を守る」という正統性を失った戦後の混乱期の描写の数々。
どれも間違いなく「本物」としての質量があり、その点において空前絶後である。
エンタメ作品として語る上で多少の脚色はあるものの、「実録」の要素が極めて強いのだ。
次に表現として、現実の悲惨さのみを強調した陰惨な作風ではないところが凄い。
主人公ゲンをはじめとする少年少女たちは生きるためなら罪を犯すこともいとわず、あくまで明るく「ガハハ」と笑いながら戦中戦後を駆け抜ける爽快さがあり、「生きのびる」ということに対する大肯定があるのだ。
反戦反核の内容であるということは、読み継がれている理由の一要素に過ぎない。
内容が「重要だ」という理由だけでは、多くの人はわざわざ作品を手にとったりしない。
人は日々生きることに忙しく、いくら重要な事柄が描かれた作品であっても、その重要さだけを理由に鑑賞する意欲を持つのは、よほど真面目な人だけである。
唯一「読んで面白い」という要素だけが、多くの読者の財布の紐を緩ませ、ページをめくる時間を割かせるのである。
その背景にはおそらく、原爆が投下された地獄の広島を、誰にも頼らず生き抜いてきた経験があったことだろう。
大切なことを描いているということ自体に寄りかからず、漫画としての面白さを保持しながら、血を吐くような自信の思いを込めて作品を紡ぐという離れ業をやってのけたのだ。
地べたを這いずる庶民の乾いたリアリズムが、作品の内容にも制作姿勢にも貫かれているからこそ、週刊少年ジャンプというサブカルチャーの最前線で連載を貼ることが出来たのだ。
売れる本は時代を超えて刊行され続け、いくら内容が良質でも売れない本は消えていく。
出版不況の中、8月の原爆忌が近づくごとに、「はだしのゲン」コンビニ版が刊行されているのも、それだけの売り上げが見込めるということだろう。
資本主義社会において「面白い」「エンターテイメントとして優れている」ということは最強だ。
そもそも、暴虐の現場に作家の魂が居合わせたことこそが、一つの奇跡なのだ。
原爆地獄の広島で、家族や友人たちを虐殺され続けたかつての少年が、その怨念を背負ってたった一人、ペンをとり、単身、最凶兵器と超大国に喧嘩を売ったのだ。
戦時中の爆撃機VS竹槍どころではない、核兵器VSペンなのだ。
まともに考えれば勝てるわけがないのである。
事実、作者が希求した核廃絶への道のりはまだまだ遠い。
核抑止論という極めて原始的な「力には力」のパワーバランスの在り方は、原始的であるだけに突き崩すことは容易ではない。
世界中の頭脳が知恵を結集しても、いまだこの野蛮な理屈をひっくり返せていない。
核兵器自体は性能を格段に向上させながら、世界中に拡散し続けている。
その一方で、「はだしのゲン」は世界中で読み継がれている。
野蛮な最強兵器の存在に、ほんの一矢でも反撃し得ているのが、知識人の言説ではなく、一匹狼気質の被爆者が描いた「たかがポンチ絵」なのだ。
これを「奇跡の善戦」と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
この作品の凄みにさらに一つ付け加えるとするなら、それは単行本で広く読まれるようになった70年代後半という時世において、一つの「終末」の様相を想起させたということだろう。
おりしも「終末ブーム」の最中。
東西冷戦激化の中、全面核戦争による「世の終り」は今そこにある現実的な危機として捉えられており、本作「はだしのゲン」は「その時何が起こるか?」を描き出す作品でもあったのだ。
他のサブカル作品で繰り返し描かれる「終末」は、「地球爆発」というような、規模は大きいけれども具体性を欠いた描写でしかなかった。
世の終末、そこに生活する人々が直面する地獄について、「はだしのゲン」の原爆投下直後の描写は、初めて具体的な材料を提示したのだ。
それは歴史上の「過去」であると同時に、これから待ち受ける「未来」として私たち子供にも感じられた。
作者としては「少年マンガとしてかなり抑えた表現」であったとしても、原爆投下直後の凄惨な「絵」は、凄まじい衝撃をもって私を含めた子供たちの脳裏に刻み込まれたのだった。
そしてもう一つ、この時点では知る由もなかったことだが、二十年近く後の90年代、奇しくも私は「はだしのゲン」に描かれたものとよく似た「瓦礫の街」に立つことになるのである。
2020年08月29日
70年代終末サブカルチャー
70年代サブカルチャーの人気テーマの一つに「終末ブーム」があった。
五島勉「ノストラダムスの大予言」の刊行が73年だが、それ以前から少年マンガの世界でも「人類滅亡」は数多く描かれていた。
70年代終末ブームの元祖のように扱われることが多い五島勉の著作は、実際には終末テーマにある程度人気が出て定着した後のヒットだったのだ。
週刊少年マンガ誌における同テーマでは、マガジン連載、平井和正原作/石森章太郎作画の「幻魔大戦」(67〜68)がかなり早く、セリフの一部ではあるが、既にノストラダムスも登場している。
原作担当の平井和正は、60年代にSF作家としてデビュー、「エイトマン」のヒット以来、まずマンガ原作者として地歩を築いた。
数多くのヒット作を送り出したが、元来作家志向が強く、70年代は徐々にSF小説に軸足を移す時期にあった。
持ち前の重厚な作風に漫画原作で培ったエンタメ性を接ぎ木した「ウルフガイ・シリーズ」「新幻魔大戦」「ゾンビ―ハンター」等、マンガ原作を下敷きにしながら、小説として新たに書き下ろすことでさらに強力になった作品群で人気を博し、70年代を代表する流行作家の一人になった。
そして79年から、再び「ハルマゲドン」テーマである「幻魔大戦」シリーズの本格小説化に取り組み始めることになる。
ハルマゲドンという言葉は、元来はユダヤ、キリスト、イスラムの終末思想で使用される語で、善と悪の最終決戦が行われる地名とされている。
現在では「終末」全般を指す言葉として、とくにサブカルチャーの世界では世界的に通用している。
永井豪「デビルマン」(72〜73)では、デーモン軍とデビルマン軍の決戦が「最終戦争(アーマゲドン)」と呼称されていた。
表記に多少の異同はあるが、これがサブカル作品で「ハルマゲドン」の語が使用された嚆矢にあたるのではないだろうか。
後のサブカルチャーへの影響と言う点では、「幻魔大戦」「デビルマン」の二作は特筆される。
【関連記事】
暴走する石森DNA(含「幻魔大戦」レビュー)
70年代サブカルカイザー・永井豪(含「デビルマン」レビュー)
70年代後半で言えば、つのだじろう「メギドの火」(76)も、当時のオカルト、終末ブームのエキスが滴るような傑作である。
超能力、UFO、古代文明といったオカルトの主要なテーマを、「恐怖新聞」「百太郎」とは違った文明批判SFのアプローチで描いており、「悪人を抹消する超能力を突然得た少年」と言う点では「デスノート」の要素も含まれている。
破滅に向かう地球に介入した宇宙人勢力の片方に「悪を抹消する能力」を与えられた主人公は、それを意識的に行使することはなく、その能力が世界を救うこともなかった。
二つの宇宙の勢力は、結局は地球の破滅を加速しただけだった。
今読むと核兵器での滅亡を「地面」から見上げるような、救いのないダークなラストで、同時期の横山光輝「マーズ」(76〜77)と共に印象に刻まれる。
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70年代オカルト、サブカル死生観(つのだじろうレビュー)
70年代後半、60年代レジェンドの再生
70年代後半は、マンガに限らず終末予言をテーマにしたサブカルが溢れていた。
小学校の図書室にあるSF児童文学でも読んだ覚えがあるし、子供向けの雑誌のカラーページ等でも様々なパターンの「この世の終り」が描かれていた。
私が子供心にリアルに感じたのは「石油は後三十年で枯渇し、現代文明は崩壊する」というタイプの終末で、ちょうど1999年の予言と時期的に一致していたこともあり、具体的な道筋に思えた。
そうした終末描写にリアリティを与えているのは、他ならぬ現実世界の諸課題だった。
東西冷戦、歯止めなく拡散する核兵器、公害の惨禍等は、若者が生真面目に考えれば考えるほど「人間はもうお終しまいだ」という絶望感に結びつきやすかった。
サブカルは戯画化され、誇張された現実の反映に過ぎないのだ。
終末ブーム自体は、間欠泉のように時代を超えて吹き出すもので、歴史上いくらでも繰り返されている。
20世紀末のそれに特色があったとすれば、天変地異による「神様まかせ」の滅亡ではなく、科学技術の発達による「人為的な滅亡」が、空想ではなく実際に可能になったという点だ。
21世紀を待たずにこの世は終わる……
70〜80年代の空気を体感した少年少女で、そんな未来像を、真に受けるというほどではなくとも、「そういうこともありそうだ」と思っていた割合は、かなり多かったのではないだろうか。
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70年代、記憶の底7(公害関連)
70年代実録マンガの究極(「はだしのゲン」レビュー)
70年代後半の私も、数限りない終末サブカルを興奮しつつ享受しながら、実はさほど深刻にはとらえていなかった。
この辺りは微妙な世代の差があると思うのだが、少し上の世代の感じたわりと真剣な不安とは違って、その頃になると「終末」もかなり消費されつくしており、食傷気味と言う感じもあったのだ。
ノストラダムスの1999年滅亡予言をわりとシリアスに恐れていたのは、私より少し上の60年代生まれの子供たちだったのではないかと思う。
「もし終末予言が当たったなら、自分はその時三十歳近くになるはずだ」
「大人になっているし体力も残っているから、この世の終わりを迎えるタイミングとしてはマシな方かな?」
そんな風に、わりと能天気に妄想していたことを覚えている。
五島勉「ノストラダムスの大予言」の刊行が73年だが、それ以前から少年マンガの世界でも「人類滅亡」は数多く描かれていた。
70年代終末ブームの元祖のように扱われることが多い五島勉の著作は、実際には終末テーマにある程度人気が出て定着した後のヒットだったのだ。
週刊少年マンガ誌における同テーマでは、マガジン連載、平井和正原作/石森章太郎作画の「幻魔大戦」(67〜68)がかなり早く、セリフの一部ではあるが、既にノストラダムスも登場している。
原作担当の平井和正は、60年代にSF作家としてデビュー、「エイトマン」のヒット以来、まずマンガ原作者として地歩を築いた。
数多くのヒット作を送り出したが、元来作家志向が強く、70年代は徐々にSF小説に軸足を移す時期にあった。
持ち前の重厚な作風に漫画原作で培ったエンタメ性を接ぎ木した「ウルフガイ・シリーズ」「新幻魔大戦」「ゾンビ―ハンター」等、マンガ原作を下敷きにしながら、小説として新たに書き下ろすことでさらに強力になった作品群で人気を博し、70年代を代表する流行作家の一人になった。
そして79年から、再び「ハルマゲドン」テーマである「幻魔大戦」シリーズの本格小説化に取り組み始めることになる。
ハルマゲドンという言葉は、元来はユダヤ、キリスト、イスラムの終末思想で使用される語で、善と悪の最終決戦が行われる地名とされている。
現在では「終末」全般を指す言葉として、とくにサブカルチャーの世界では世界的に通用している。
永井豪「デビルマン」(72〜73)では、デーモン軍とデビルマン軍の決戦が「最終戦争(アーマゲドン)」と呼称されていた。
表記に多少の異同はあるが、これがサブカル作品で「ハルマゲドン」の語が使用された嚆矢にあたるのではないだろうか。
後のサブカルチャーへの影響と言う点では、「幻魔大戦」「デビルマン」の二作は特筆される。
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70年代後半で言えば、つのだじろう「メギドの火」(76)も、当時のオカルト、終末ブームのエキスが滴るような傑作である。
超能力、UFO、古代文明といったオカルトの主要なテーマを、「恐怖新聞」「百太郎」とは違った文明批判SFのアプローチで描いており、「悪人を抹消する超能力を突然得た少年」と言う点では「デスノート」の要素も含まれている。
破滅に向かう地球に介入した宇宙人勢力の片方に「悪を抹消する能力」を与えられた主人公は、それを意識的に行使することはなく、その能力が世界を救うこともなかった。
二つの宇宙の勢力は、結局は地球の破滅を加速しただけだった。
今読むと核兵器での滅亡を「地面」から見上げるような、救いのないダークなラストで、同時期の横山光輝「マーズ」(76〜77)と共に印象に刻まれる。
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70年代後半は、マンガに限らず終末予言をテーマにしたサブカルが溢れていた。
小学校の図書室にあるSF児童文学でも読んだ覚えがあるし、子供向けの雑誌のカラーページ等でも様々なパターンの「この世の終り」が描かれていた。
私が子供心にリアルに感じたのは「石油は後三十年で枯渇し、現代文明は崩壊する」というタイプの終末で、ちょうど1999年の予言と時期的に一致していたこともあり、具体的な道筋に思えた。
そうした終末描写にリアリティを与えているのは、他ならぬ現実世界の諸課題だった。
東西冷戦、歯止めなく拡散する核兵器、公害の惨禍等は、若者が生真面目に考えれば考えるほど「人間はもうお終しまいだ」という絶望感に結びつきやすかった。
サブカルは戯画化され、誇張された現実の反映に過ぎないのだ。
終末ブーム自体は、間欠泉のように時代を超えて吹き出すもので、歴史上いくらでも繰り返されている。
20世紀末のそれに特色があったとすれば、天変地異による「神様まかせ」の滅亡ではなく、科学技術の発達による「人為的な滅亡」が、空想ではなく実際に可能になったという点だ。
21世紀を待たずにこの世は終わる……
70〜80年代の空気を体感した少年少女で、そんな未来像を、真に受けるというほどではなくとも、「そういうこともありそうだ」と思っていた割合は、かなり多かったのではないだろうか。
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70年代実録マンガの究極(「はだしのゲン」レビュー)
70年代後半の私も、数限りない終末サブカルを興奮しつつ享受しながら、実はさほど深刻にはとらえていなかった。
この辺りは微妙な世代の差があると思うのだが、少し上の世代の感じたわりと真剣な不安とは違って、その頃になると「終末」もかなり消費されつくしており、食傷気味と言う感じもあったのだ。
ノストラダムスの1999年滅亡予言をわりとシリアスに恐れていたのは、私より少し上の60年代生まれの子供たちだったのではないかと思う。
「もし終末予言が当たったなら、自分はその時三十歳近くになるはずだ」
「大人になっているし体力も残っているから、この世の終わりを迎えるタイミングとしてはマシな方かな?」
そんな風に、わりと能天気に妄想していたことを覚えている。
2020年08月30日
戦争ごっこと反戦平和
子供は「戦争ごっこ」が大好きだ。
広い意味で「闘争」の要素が含まれる遊び全般というほどの意味にしておくと、男の子的な遊びの大半は「戦争ごっこ」になるだろう。
サブカルチャーの分野でも、「男の子向け」はバトルもので占められているが、子供の素朴な欲求に合わせきることが求められる分野である以上、これは仕方のないことだろう。
テレビ番組やマンガ、ゲームなどのサブカルチャーは、「心の駄菓子」だ。
駄菓子ばかりではいけないが、子供がこの修羅の巷である娑婆世界を強く生き抜くためには、大人の推奨しがちな「清潔なもの、優良なもの」ばかりでもいけない。
多少の「俗悪」は必要なのだ。
戦後の60年代には第二次大戦をモチーフにした戦争モノの少年マンガが流行した時期もあったが、戦中の戦意高揚プロパガンダそのものではなく、それなりに戦争の悲惨さを伝えるものではあった。
70年代に入るまでには「戦争」そのものを扱わなくとも、SFやスポーツでフィクションとして「たたかい」を表現するノウハウとビジネスが確立され、人気を博すようになった。
子供を持つ親は男の子向けサブカルのバトルシーンの多さ激しさにほとほと呆れ、眉をひそめることもあるだろうけれども、日本のサブカルチャーのビッグネームの中には、筋金入りのミリタリーマニアがけっこう多く存在する。
アニメの世界では、たとえばジブリの宮崎駿やガンダムの富野由悠季がそうであるが、彼らはかなり古典的な反戦主義者でもある。
戦争ごっこと反戦平和は、クリエイターの中でも子供の中でも、共存し得るのだ。
わがニッポンの子供向けサブカルチャーの作り手は、玩具メーカーの先兵という一面を持ちながらも、同時に子供たちの心に夢と希望の種を植える理想主義も捨てきらない所がある。
これは戦後の子供向けサブカルの始祖である手塚治虫から、脈々と受け継がれる作り手の良心である。
一定の批判とともに、一定の信頼を置いても良いと考えている。
必ずしも男の子に限らないが、標準装備されているかに見える「闘争心」が、果たして動物的本能によるものなのか、または性差の文化・教育の中で刷り込まれたものなのかは一旦棚に上げるとして、現状それは確かに存在する。
自分の中の闘争心や攻撃性は「無いものとして抑圧する」のはかえって危険なので、どうしようもなく在るものとしてまずは認め、それを飼いならさなければならない。
闘争心を暴発させるのではなく、友人関係が破綻しない範囲での制御は、主に遊び、「戦争ごっこ」の中で培われる。
遊びの際のモラルの在り方を示すのが、男の子向けサブカルチャーの役割なのだ。
戦いは、なるべく避けるべきである。
戦いは、誰かを守るためのものである。
戦いにおいても、恥ずべき振る舞いはある。
そして戦いは、最終的には平和を守るためのものである。
以上のような基本パターンを身につけるには、物語の中で繰り返し味わい、遊びの中で体験するのが一番だ。
私から見ればやや潔癖に過ぎる昨今の風潮の中では、公教育で「喧嘩をするな」と教えることはできても、「喧嘩のやり方」を教えるのは不可能だ。
清く正しい建前から外れた領域は、保護者がサブカルチャーもうまく活用しながら教えていく他ない。
とは言え、バトルもののサブカルチャーが、子供の心のモラル育成において万能であるというわけではもちろんない。
テレビを見ていればOK、マンガを読んでいればOK、ゲームをやっていればOKなどという、単純な話ではない。
バトルのパターンを浴びるほど体験することで攻撃性が助長されることもある。
とくにゲームなどで「人の姿に見えるキャラクター」を、反射神経で殴打したり銃撃しまくるような表現をとるものには注意が必要だ。
人は闘争心や攻撃性を持っているが、同時に人の姿を持つものにたいして攻撃を抑制する心の働きも持っている。
リアルな表現で人間的なキャラを攻撃対象とするゲームは、そうした抑制機能を解除してしまうケースがあるのだ。
戦いをシミュレートしたいなら、武道や格闘技などで、生身の人間を相手に、自分でも実際に痛みを味わいながら体験する方が、より望ましい。
戦争ごっこも、バトルもののサブカルチャーも、武道や格闘技も、子供の攻撃性を馴致するのに、決して万能ではない。
戦争や軍隊、特攻精神を、現実を無視して美化してしまう弊害はある。
悪く作用すれば粗暴者やいじめ、ハラスメント体質を量産してしまう危険はもちろんある。
単純に禁止するのではなく、放置するのでもなく、注意深く見守ってあげてほしい。
そして可能であれば「ワクチン」として、美化されない戦争の悲惨な現実を描いた「はだしのゲン」や、水木しげるの南方戦記物なども合わせて鑑賞できるよう、環境を整えてみるのが良いのではないかと思う。
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広い意味で「闘争」の要素が含まれる遊び全般というほどの意味にしておくと、男の子的な遊びの大半は「戦争ごっこ」になるだろう。
サブカルチャーの分野でも、「男の子向け」はバトルもので占められているが、子供の素朴な欲求に合わせきることが求められる分野である以上、これは仕方のないことだろう。
テレビ番組やマンガ、ゲームなどのサブカルチャーは、「心の駄菓子」だ。
駄菓子ばかりではいけないが、子供がこの修羅の巷である娑婆世界を強く生き抜くためには、大人の推奨しがちな「清潔なもの、優良なもの」ばかりでもいけない。
多少の「俗悪」は必要なのだ。
戦後の60年代には第二次大戦をモチーフにした戦争モノの少年マンガが流行した時期もあったが、戦中の戦意高揚プロパガンダそのものではなく、それなりに戦争の悲惨さを伝えるものではあった。
70年代に入るまでには「戦争」そのものを扱わなくとも、SFやスポーツでフィクションとして「たたかい」を表現するノウハウとビジネスが確立され、人気を博すようになった。
子供を持つ親は男の子向けサブカルのバトルシーンの多さ激しさにほとほと呆れ、眉をひそめることもあるだろうけれども、日本のサブカルチャーのビッグネームの中には、筋金入りのミリタリーマニアがけっこう多く存在する。
アニメの世界では、たとえばジブリの宮崎駿やガンダムの富野由悠季がそうであるが、彼らはかなり古典的な反戦主義者でもある。
戦争ごっこと反戦平和は、クリエイターの中でも子供の中でも、共存し得るのだ。
わがニッポンの子供向けサブカルチャーの作り手は、玩具メーカーの先兵という一面を持ちながらも、同時に子供たちの心に夢と希望の種を植える理想主義も捨てきらない所がある。
これは戦後の子供向けサブカルの始祖である手塚治虫から、脈々と受け継がれる作り手の良心である。
一定の批判とともに、一定の信頼を置いても良いと考えている。
必ずしも男の子に限らないが、標準装備されているかに見える「闘争心」が、果たして動物的本能によるものなのか、または性差の文化・教育の中で刷り込まれたものなのかは一旦棚に上げるとして、現状それは確かに存在する。
自分の中の闘争心や攻撃性は「無いものとして抑圧する」のはかえって危険なので、どうしようもなく在るものとしてまずは認め、それを飼いならさなければならない。
闘争心を暴発させるのではなく、友人関係が破綻しない範囲での制御は、主に遊び、「戦争ごっこ」の中で培われる。
遊びの際のモラルの在り方を示すのが、男の子向けサブカルチャーの役割なのだ。
戦いは、なるべく避けるべきである。
戦いは、誰かを守るためのものである。
戦いにおいても、恥ずべき振る舞いはある。
そして戦いは、最終的には平和を守るためのものである。
以上のような基本パターンを身につけるには、物語の中で繰り返し味わい、遊びの中で体験するのが一番だ。
私から見ればやや潔癖に過ぎる昨今の風潮の中では、公教育で「喧嘩をするな」と教えることはできても、「喧嘩のやり方」を教えるのは不可能だ。
清く正しい建前から外れた領域は、保護者がサブカルチャーもうまく活用しながら教えていく他ない。
とは言え、バトルもののサブカルチャーが、子供の心のモラル育成において万能であるというわけではもちろんない。
テレビを見ていればOK、マンガを読んでいればOK、ゲームをやっていればOKなどという、単純な話ではない。
バトルのパターンを浴びるほど体験することで攻撃性が助長されることもある。
とくにゲームなどで「人の姿に見えるキャラクター」を、反射神経で殴打したり銃撃しまくるような表現をとるものには注意が必要だ。
人は闘争心や攻撃性を持っているが、同時に人の姿を持つものにたいして攻撃を抑制する心の働きも持っている。
リアルな表現で人間的なキャラを攻撃対象とするゲームは、そうした抑制機能を解除してしまうケースがあるのだ。
戦いをシミュレートしたいなら、武道や格闘技などで、生身の人間を相手に、自分でも実際に痛みを味わいながら体験する方が、より望ましい。
戦争ごっこも、バトルもののサブカルチャーも、武道や格闘技も、子供の攻撃性を馴致するのに、決して万能ではない。
戦争や軍隊、特攻精神を、現実を無視して美化してしまう弊害はある。
悪く作用すれば粗暴者やいじめ、ハラスメント体質を量産してしまう危険はもちろんある。
単純に禁止するのではなく、放置するのでもなく、注意深く見守ってあげてほしい。
そして可能であれば「ワクチン」として、美化されない戦争の悲惨な現実を描いた「はだしのゲン」や、水木しげるの南方戦記物なども合わせて鑑賞できるよう、環境を整えてみるのが良いのではないかと思う。
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