70年代サブカルチャーの人気テーマの一つに「終末ブーム」があった。
五島勉「ノストラダムスの大予言」の刊行が73年だが、それ以前から少年マンガの世界でも「人類滅亡」は数多く描かれていた。
70年代終末ブームの元祖のように扱われることが多い五島勉の著作は、実際には終末テーマにある程度人気が出て定着した後のヒットだったのだ。
週刊少年マンガ誌における同テーマでは、マガジン連載、平井和正原作/石森章太郎作画の「幻魔大戦」(67〜68)がかなり早く、セリフの一部ではあるが、既にノストラダムスも登場している。
原作担当の平井和正は、60年代にSF作家としてデビュー、「エイトマン」のヒット以来、まずマンガ原作者として地歩を築いた。
数多くのヒット作を送り出したが、元来作家志向が強く、70年代は徐々にSF小説に軸足を移す時期にあった。
持ち前の重厚な作風に漫画原作で培ったエンタメ性を接ぎ木した「ウルフガイ・シリーズ」「新幻魔大戦」「ゾンビ―ハンター」等、マンガ原作を下敷きにしながら、小説として新たに書き下ろすことでさらに強力になった作品群で人気を博し、70年代を代表する流行作家の一人になった。
そして79年から、再び「ハルマゲドン」テーマである「幻魔大戦」シリーズの本格小説化に取り組み始めることになる。
ハルマゲドンという言葉は、元来はユダヤ、キリスト、イスラムの終末思想で使用される語で、善と悪の最終決戦が行われる地名とされている。
現在では「終末」全般を指す言葉として、とくにサブカルチャーの世界では世界的に通用している。
永井豪「デビルマン」(72〜73)では、デーモン軍とデビルマン軍の決戦が「最終戦争(アーマゲドン)」と呼称されていた。
表記に多少の異同はあるが、これがサブカル作品で「ハルマゲドン」の語が使用された嚆矢にあたるのではないだろうか。
後のサブカルチャーへの影響と言う点では、「幻魔大戦」「デビルマン」の二作は特筆される。
【関連記事】
暴走する石森DNA(含「幻魔大戦」レビュー)
70年代サブカルカイザー・永井豪(含「デビルマン」レビュー)
70年代後半で言えば、つのだじろう「メギドの火」(76)も、当時のオカルト、終末ブームのエキスが滴るような傑作である。
超能力、UFO、古代文明といったオカルトの主要なテーマを、「恐怖新聞」「百太郎」とは違った文明批判SFのアプローチで描いており、「悪人を抹消する超能力を突然得た少年」と言う点では「デスノート」の要素も含まれている。
破滅に向かう地球に介入した宇宙人勢力の片方に「悪を抹消する能力」を与えられた主人公は、それを意識的に行使することはなく、その能力が世界を救うこともなかった。
二つの宇宙の勢力は、結局は地球の破滅を加速しただけだった。
今読むと核兵器での滅亡を「地面」から見上げるような、救いのないダークなラストで、同時期の横山光輝「マーズ」(76〜77)と共に印象に刻まれる。
【関連記事】
70年代オカルト、サブカル死生観(つのだじろうレビュー)
70年代後半、60年代レジェンドの再生
70年代後半は、マンガに限らず終末予言をテーマにしたサブカルが溢れていた。
小学校の図書室にあるSF児童文学でも読んだ覚えがあるし、子供向けの雑誌のカラーページ等でも様々なパターンの「この世の終り」が描かれていた。
私が子供心にリアルに感じたのは「石油は後三十年で枯渇し、現代文明は崩壊する」というタイプの終末で、ちょうど1999年の予言と時期的に一致していたこともあり、具体的な道筋に思えた。
そうした終末描写にリアリティを与えているのは、他ならぬ現実世界の諸課題だった。
東西冷戦、歯止めなく拡散する核兵器、公害の惨禍等は、若者が生真面目に考えれば考えるほど「人間はもうお終しまいだ」という絶望感に結びつきやすかった。
サブカルは戯画化され、誇張された現実の反映に過ぎないのだ。
終末ブーム自体は、間欠泉のように時代を超えて吹き出すもので、歴史上いくらでも繰り返されている。
20世紀末のそれに特色があったとすれば、天変地異による「神様まかせ」の滅亡ではなく、科学技術の発達による「人為的な滅亡」が、空想ではなく実際に可能になったという点だ。
21世紀を待たずにこの世は終わる……
70〜80年代の空気を体感した少年少女で、そんな未来像を、真に受けるというほどではなくとも、「そういうこともありそうだ」と思っていた割合は、かなり多かったのではないだろうか。
【関連記事】
70年代、記憶の底7(公害関連)
70年代実録マンガの究極(「はだしのゲン」レビュー)
70年代後半の私も、数限りない終末サブカルを興奮しつつ享受しながら、実はさほど深刻にはとらえていなかった。
この辺りは微妙な世代の差があると思うのだが、少し上の世代の感じたわりと真剣な不安とは違って、その頃になると「終末」もかなり消費されつくしており、食傷気味と言う感じもあったのだ。
ノストラダムスの1999年滅亡予言をわりとシリアスに恐れていたのは、私より少し上の60年代生まれの子供たちだったのではないかと思う。
「もし終末予言が当たったなら、自分はその時三十歳近くになるはずだ」
「大人になっているし体力も残っているから、この世の終わりを迎えるタイミングとしてはマシな方かな?」
そんな風に、わりと能天気に妄想していたことを覚えている。