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2020年09月06日

70年代末、マンネリなんかはなんのその

 ここまでのまとめとして、70年代半ばから末に至るまで、日本のサブカル事情に大きな影響を持った、SF的な表現を含む主要な映像作品について概観してみよう。

●74年
 TVアニメ「グレートマジンガー」
 TVアニメ「ゲッターロボ」
 TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」
 TV特撮「ウルトラマンレオ」
(ウルトラマンシリーズ休止)
 TV特撮「仮面ライダーアマゾン」
●75年
 TVアニメ「UFOロボグレンダイザー」
 TVアニメ「ゲッターロボG」
 TVアニメ「勇者ライディーン」
 TVアニメ「タイムボカン」
(タイムボカンシリーズ、スタート)
 TV特撮「仮面ライダーストロンガー」
(仮面ライダーシリーズ休止)
 TV特撮「秘密戦隊ゴレンジャー」
(後のスーパー戦隊シリーズ、スタート)
●76年
 TVアニメ「超電磁ロボ コン・バトラーV」
 TV特撮「宇宙鉄人キョーダイン」
●77年
 TVアニメ「ザンボット3」
 TVアニメ「ヤッターマン」
 TVアニメ「ルパン三世」(第二作)
 劇場版「宇宙戦艦ヤマト」
 TV特撮「ジャッカー電撃隊」
 TV特撮「大鉄人17」
(映画「スター・ウォーズ」第一作公開)
●78年
 TVアニメ「ダイターン3」
 劇場版「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」
 TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト2」
 TVアニメ「銀河鉄道999」
 TVアニメ「宇宙海賊キャプテンハーロック」
 TVアニメ「未来少年コナン」
 TV特撮「スパイダーマン」
 劇場版「ルパンVS複製人間」
●79年
 TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」
 TVアニメ「ザ☆ウルトラマン」
 TVアニメ「ゼンダマン」
 TVアニメ「機動戦士ガンダム」
 TV特撮「仮面ライダー(スカイライダー)」
 TV特撮「バトルフィーバーJ」
 人形劇「プリンプリン物語」
 劇場版「銀河鉄道999」
 劇場版「ルパン三世カリオストロの城」
(映画「エイリアン」第一作公開)

 以上おおまかにまとめてみたが、これらの映像作品は、「男の子向けSF」に限った、しかも全体の一部にしか過ぎない。
 70年代後半は団塊ジュニア世代が順次就学年齢に達し、一大市場になりつつあった時期で、TV番組は「子供向け」中心の構成になっていた。
 曜日を問わずゴールデンタイムはアニメや特撮で占められており、「女の子向け」も含めればもっと膨大な数に上る。
 70年代前半を牽引した「スーパーロボット」「変身ヒーロー」という要素は様々な試行の末、特撮の「スーパー戦隊」に収斂し、現在まで続く低年齢向けフォーマットとして完成していく過程が見える。
 この間、「TVの30分枠で玩具を売る」ビジネスモデルはあらゆるパターンが開発されて一周回ったのだ。
 アニメ作品はむしろ対象年齢を上げる傾向が見て取れ、リアルなメカ表現の使い手として松本零士、スタジオぬえが力を発揮し、ドラマを深化させていく方向性の富野喜幸(後に由悠季)が頭角を現している。
 そうした70年代サブカルの流れの最終ランナーとして「機動戦士ガンダム」が登場したのだ。

 もう一つ面白い傾向としては、「玩具の30分CM」としての役割を逆手に取り、自虐ギャグ化することに成功した「タイムボカンシリーズ」だ。
 シリーズ第二作「ヤッターマン」で頂点に達したセルフパロディ、視聴者も巻き込んだ楽屋オチ、メタフィクションの手法は、今振り返ってみると80年代サブカルの先駆けになっていたのではないだろうか。
 天野喜孝キャラの、どこか退廃的な雰囲気も良かった。
 毎週毎週やられながら、それでも懲りずにイカサマ商売を思いつき、メカを開発する悪役・ドロンボー三人組は、子供心にとても楽しげに感じられた。
 ボヤッキーは自称の通り、紛れもない天才ではなかっただろうか?
 もし毎週のノルマを免除され、じっくり腰を据えてメカを開発したら、ヤッターマンにボロ勝ちできたのではないかと今でも思う。
 しかしそうした地道な努力とは無縁の山っ気が、またドロンボーを魅力的に見せるのだ。
 エンディング曲はドロンボーのテーマになっていたのだが、「やられてもやられてもなんともないない」「おれたちゃ天才だ」「マンネリなんかはなんのその」と言う歌詞は、ギャグを超えて痛快に響いたものだった。

 好評につき二年間続いた「ヤッターマン」本放送の最終回のドロンボー三人組の姿は、今でも鮮烈に記憶に残っている。
 夢破れてトボトボと歩く三人組の前に、三本の分かれ道が現れる。
 ちょうど良い、ここらで分かれて、これからは別々の道を歩もうと提案するドロンジョ。
 涙ながらに同意するトンズラーとボヤッキー。
 最終回に相応しい感動の幕切れかと思いきや、徐々に引いていくカメラに映るのは、分かれ道のその先が再び一つになっている様子。
 そして何事もなかったかのように、次の週からはほぼ同じ趣向の「ゼンダマン」が放映開始になった……

 代り映えもしない日常をそこそこ楽しみながら、それでも少しずつは変化していく小学生の日々とシンクロして、「ヤッターマン」最終回はとても印象に残っているのである。
 それはたぶん、何事もない日常に倦み、ふと「この世の終わりでも来ないかな?」と冒険を夢想する心と同根だ。
 70年代後半の「宇宙戦艦ヤマト」「ヤッターマン」のヒットは、表裏一体の関係にあったのではないかと、今は思う。
(「青春ハルマゲドン」70年代編、完)
posted by 九郎 at 15:41| Comment(0) | 青春ハルマゲドン70s | 更新情報をチェックする