一週間前にモデルナワクチン二回目接種してきた。
twitterでの呟きを元に、これまでの流れを覚書にしておきたい。
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8月21日
「モデルナに心筋炎のリスク2.5倍か 米当局が調査」との報道あり。
気にしだすととキリがないが、一応チェック。
8月23日
来週モデルナ二回目予定なので、そろそろタンパク質とVC摂取を心がける。
ワクチン副反応への効果は定かでは無いが、健康意識、風邪対策としては一般的であるので。
また後日「モデルナワクチンの接種部位が赤く腫れるモデルナアームは18人に1人、女性が83%。自衛隊中央病院が公表 」との報道あり。
アラフィフ男性でモデルナアームになった俺はレアケースか?
8月26日
「モデルナワクチンに異物混入、同ロットの使用見合わせ」との報道あり。
もうほんまに、ええ加減にしてくれや。
続報では「異物は金属片か?」とも。
流布されたワクチンデマに「ワクチン接種部位が磁力を帯びる」などというものがあったが、笑えなくなる。
8月27日
厚労省より「武田/モデルナ社の使用見合わせ対象ロットの #新型コロナワクチン について、使用前に目視で異物が確認されたものは、接種されていません。同一ロットのワクチンであっても、異物が確認されていないものを接種された方に、重大な健康問題を起こすリスクは低いと考えられています」とのアナウンスあり。
俺の常識では「鉄鍋を使えば鉄分が摂れる」なので、「金属片の混入」というのは非常に不安なのだが、そのような疑問に対する説明は一切無し。
8月29日
「使用前の検査をしている際に黒やピンクの異物を目視で見つけた」との報道あり。
なんの異物やねん気色悪い。
火曜日に二回目打たなあかんのに。
続報によると「黒」が金属片で「ピンク」がゴム片ということらしいが、なんでそんなもんがあちこちで混入しているのか、確定情報をきっちり出す必要がある。
同日、女子格闘技の選手に関し、「異物混入が確認され接種停止となったワクチンと同ロットのワクチンを打った後に、アナフィラキシー反応のため救急搬送されていたことを、自身のツイッターで明かした。ぱんちゃん璃奈は自身が金属アレルギーと説明している」との報道あり。
ちゃんと調査をしないことが不安を拡大している。
繰り返し確認するが、俺はいわゆる「反ワクチン」には与しない。
詳細かつ迅速な情報開示と、「健康被害の因果関係の証明」を個人に求めない手厚い補償こそが、ワクチン推奨のあるべき姿だという、当たり前の主張をしている。
国がワクチン接種を推奨するなら、徹底的な究明が必須である。
意欲が著しく減退することばかりだが、モデルナ二回目に向けて、今できる用足しを済ませておかねば。
8月31日
午前十一時、モデルナ二回目接種完了。
一回目より、ちょっとだけ「チクッ」と感じたが、これはまあ打つ人の腕前か。
ここ数日のニュースに、正直キモさは否めない。
接種後二時間経過。
今の所全くなにも無し。
三時間半経過。
じんわり接種左肩に痛みが来始めた。
その他、発熱等は今のところ無し。
六時間半経過。
発熱頭痛倦怠感などは一切無いが、接種左肩の重鈍い痛みがじわじわ増し、首回りが凝ってきた。
まだ「つらい」というほどではない。
十時間経過。
発熱頭痛は無し。
同じく接種左肩の重鈍い痛みがじわじわ増し。
首から背中、腰にかけて軽い倦怠感。
さすがにそろそろしんどくなってきた。
背中全面の倦怠感で座っているのがしんどいのだ。
頭痛発熱がないのが幸いなので、今夜はさっさと寝ましょうかね。
十一時間半、ふと目が覚めると発熱38度。
一回目二回目を通じてここまで上がったのは初。
頭痛は無し。
バファリンと飲み物スタンバイ。
ちなみに平熱36度以下なので、発熱には弱い(笑)
日付変わって9月1日。
背中がだるく、頭が火照って寝られん。
イメトレとしては石川賢的に、ワクチンに同化されそうになった俺が、精神力で逆に喰らい尽くす感じ。
十三時間半、38.7度。
慣れてきた。
そろそろ水分摂って寝るか。
十六時間、37.6度。
ちょっと下がった。
背中がだるくて連続では眠れない。
一夜明けてモデルナ接種二回目から十九時間半、38度。
熱下がりきらず、細切れでしか眠れていないのでキツい。
モデルナ接種二回目から二十一時間。
今日は休みをとっているが、家族の朝の支度があるのでバファリン飲んで一働き。
よく効いているので、最悪明日までしんどいのが続いていても、なんとか凌げそう。
朝の一働き完了したので、熱が下がって背中のだるさが消えているうちに二度寝。
接種二十五時間、再び発熱38.6度。
耐えられる所まで耐えましょう。
出る熱は出しといた方がはよ済んでくれると思っているので、よほどしんどくないと薬は飲まないのですが、耐えすぎるのも良くない。
念のために補足しておくと、変な我慢は絶対に禁物なので、適宜薬も使うべきですよ。
とくに子供の高熱なんかは、下げないともたないです。
そして、薬で熱が下がっても「治った」ではないです。
二十七時間、38.9度。
なかなか下がらんね。
二十八時間、腰と背中のだるさに耐えきれず、軽く入浴。
汗かいてアイス食ったら38.3度。
38度台でも前半だとだいぶ楽。
三十時間、37.1度。
このまま下がってくれるか?
三十一時間、36.4度。
熱は一応下がったかな。
しかし軽い頭痛と背中のだるさは残存していて、まだ本調子ではない。
三十三時間、38.9度。
また上がってきた。
中々すっきりとは行きませんね。。。
三十五時間、熱は高くなったり低くなったり。
下がったタイミングでちょっと腹が減ったので、軽く納豆飯食った。
そろそろバファリン飲んで寝るか。
「米モデルナ社製の新型コロナウイルスワクチンに混入していた異物について、厚生労働省は製造機器の破片でステンレスだったと発表しました」との報道あり。
普通は製造過程で金属片が混入し、それをチェックできずに出荷するような会社とは契約切るんちゃう?
二夜明けて9月2日、四十三時間。
わりと良く眠れ、寝汗をかいたせいか、平熱に戻っている。
微妙に頭痛と背中のだるさは残っているが、今日の出勤は行けそうだ。
四十八時間。
はっきりとした発熱や頭痛等は消えたが、睡眠不足の日のようなパフォーマンスの上がらなさを抱えつつ出勤。
接種左肩には桃の肌のようなピンクの変色と腫れ。
五十三時間。
どうやら接種直後の副反応は収束した模様。
あとは左肩の腫れ。
石川賢的イメトレでいうと、俺に逆に飲み込まれたワクチンの顔が、微かに肩に残っている状態。
ここから最後の悪足掻きのモデルナアームが出るかどうか。
9月7日
モデルナ二回目接種から一週間、一回目の時はこのくらいのタイミングで「モデルナアーム」が始まったが、今回その兆候なし。
どうやら二回目接種の副反応はやり過ごせたようだ。
一応これで、さらに一週間後には「死なない程度」のコロナに対する防御は手に入れられたことになる。
ただ、過信は禁物。

2021年09月08日
2021年09月12日
ズッコケ宇宙はいまも
もう二か月前のことになってしまったが、7月22日、児童文学作家・那須正幹(なす・まさもと)さんが79歳でお亡くなりになった。
78年刊行の「それいけズッコケ三人組」が大人気となり、全50冊の長期シリーズを完結させたことで知られている。
私にとっての那須先生は、多少のご縁があり、ある意味「恩人」であったので、覚書にしておきたいと思う。
70年代初頭生まれの私は、世代的には「ズッコケシリーズ」直撃でもおかしく無いのだが、子供の頃はたまたま読んでいなかった。
90年代の学生時代、家庭教師先の子供の部屋で手に取って、あまりの面白さに大人になってからハマり、何冊か興味深く読んだのを覚えている。
2000年代後半に子供が生まれてから、絵本や児童文学を再び手に取るようになり、「そう言えばこのシリーズは面白かったはず」と再読をはじめ、それから一年ほどかけてシリーズ50冊完読。
まるであらゆるジャンルの文学とパラレルに「ズッコケ宇宙」が存在するかのような、広大で豊饒な世界観に耽溺する、素晴らしい時間を持てたのだった。
最終巻では三人組が永久回帰する時間の夢から覚め、通常の時間の流れに戻って小学校を卒業していく描写もあり、涙と感動。
それから40代になり、ちょうど刊行されていた後日譚のシリーズ「ズッコケ中年三人組」を追うことになった。
通常の時間軸の中で人生を送り、私と同じく40代に差し掛かって疲れ気味だった三人組が、あの「魔法の時間」の住人たちと再会し、少しだけ生きる力を取り戻し、現実と折り合いをつけていく様に、静かな共感を覚えた。
私自身も人並みに心身の衰えを感じ、時に不調に陥り、「中年の危機」的なものも経験していた折、「ズッコケ中年三人組」シリーズとシンクロするように数年かけて付き合えたことは、救いになった。
もう一つ、書いておかなければならない。
ちょうど同じ頃、とある地方の児童文学作品公募で、選者の那須先生に拙作を推していただき、受賞に至ったことがあったのだ。
若い頃から色々創作を続けていたものの、世間的な評価やプライズとは縁遠かった私にとって、それは本当に嬉しい体験だった。
あの時の自己肯定感の後押しが無ければ、その後の子育ても仕事もどうなっていたか、ちょっと怖い気がするのだ。
那須先生とは、ついに結局直接お会いする機会はなかったのだけれども、紛れもなく「恩人」だったと思う。
ズッコケシリーズ、中年ズッコケシリーズを追うことで、少年時代の友達が俺の心の中によみがえってきて、もう一度一緒に遊んでみたくなり、四十過ぎてからまた児童文学の創作を再開したのはそのおかげだった。
そうして描いてみた作品のいくつかは、以下のブログで公開している。
放課後達人倶楽部
那須先生のズッコケ以外の作品は、実はまだあまり読めていない。
反戦や反核テーマの作品も、遅ればせながら読んでいきたいと思う。
78年刊行の「それいけズッコケ三人組」が大人気となり、全50冊の長期シリーズを完結させたことで知られている。
私にとっての那須先生は、多少のご縁があり、ある意味「恩人」であったので、覚書にしておきたいと思う。
70年代初頭生まれの私は、世代的には「ズッコケシリーズ」直撃でもおかしく無いのだが、子供の頃はたまたま読んでいなかった。
90年代の学生時代、家庭教師先の子供の部屋で手に取って、あまりの面白さに大人になってからハマり、何冊か興味深く読んだのを覚えている。
2000年代後半に子供が生まれてから、絵本や児童文学を再び手に取るようになり、「そう言えばこのシリーズは面白かったはず」と再読をはじめ、それから一年ほどかけてシリーズ50冊完読。
まるであらゆるジャンルの文学とパラレルに「ズッコケ宇宙」が存在するかのような、広大で豊饒な世界観に耽溺する、素晴らしい時間を持てたのだった。
最終巻では三人組が永久回帰する時間の夢から覚め、通常の時間の流れに戻って小学校を卒業していく描写もあり、涙と感動。
それから40代になり、ちょうど刊行されていた後日譚のシリーズ「ズッコケ中年三人組」を追うことになった。
通常の時間軸の中で人生を送り、私と同じく40代に差し掛かって疲れ気味だった三人組が、あの「魔法の時間」の住人たちと再会し、少しだけ生きる力を取り戻し、現実と折り合いをつけていく様に、静かな共感を覚えた。
私自身も人並みに心身の衰えを感じ、時に不調に陥り、「中年の危機」的なものも経験していた折、「ズッコケ中年三人組」シリーズとシンクロするように数年かけて付き合えたことは、救いになった。
もう一つ、書いておかなければならない。
ちょうど同じ頃、とある地方の児童文学作品公募で、選者の那須先生に拙作を推していただき、受賞に至ったことがあったのだ。
若い頃から色々創作を続けていたものの、世間的な評価やプライズとは縁遠かった私にとって、それは本当に嬉しい体験だった。
あの時の自己肯定感の後押しが無ければ、その後の子育ても仕事もどうなっていたか、ちょっと怖い気がするのだ。
那須先生とは、ついに結局直接お会いする機会はなかったのだけれども、紛れもなく「恩人」だったと思う。
ズッコケシリーズ、中年ズッコケシリーズを追うことで、少年時代の友達が俺の心の中によみがえってきて、もう一度一緒に遊んでみたくなり、四十過ぎてからまた児童文学の創作を再開したのはそのおかげだった。
そうして描いてみた作品のいくつかは、以下のブログで公開している。
放課後達人倶楽部
那須先生のズッコケ以外の作品は、実はまだあまり読めていない。
反戦や反核テーマの作品も、遅ればせながら読んでいきたいと思う。
2021年09月22日
川奈まり子「東京をんな語り」
こちらのカテゴリ:怪異で継続して読んでいる川奈まり子作品、久々のご紹介。
著者が年齢的に近い「少し上」の世代であるためか、読むたびに我がことを静かに省みる契機になるのだ。
今回紹介するのは今年2月末刊行の一冊だが、一度読了してから「これは彼岸花の季節にぜひもう一度再読したい」と感じた。
秋の早いこの9月、お彼岸を待たずに彼岸花が開花し始めたのに気付き、再び文庫本を手に取った。
例によってなるべくネタバレにならないよう、配慮しつつ紹介してみたい。
●「東京をんな語り」川奈まり子 (角川ホラー文庫)
■第一章「さまよう女」
本書は白い彼岸花の怪しく切ないイメージと共に、著者の二人の近親の、悲しく儚い物語から書き起こされる。
近親の物語はこれまでの著作にも断片的に記述されていたと記憶しているが、この度は強い決意のようなものが仄見え、胸をつかれた。
あくまで「作品」であるので虚実の匙加減は想像するしかないけれども、著者の強い思いは間違いようもなく伝わってくる。
物語は一旦そこから離れるのだが、また必ず戻ってくることを予感させつつ、大きく周回する。
身の回りで年少者が亡くなると、とても悲しく理不尽な思いがするのと同時に、どこかリアリティがなくて受け入れがたい。
その後も「長く会っていないだけ」のような気がして、たまに最後に見た姿のまま脳裏に甦ってきて、「そう言えばもう亡くなっていたのだ」と愕然とすることがある。
敏い子だった。
手のかからない子だった。
親の立場でも、教室等で子供を見ている立場でもそうだが、「手がかからない子」にはかえって注意が必要だ。
深く静かに、一人で何かを抱え込んでいる場合がある。
忙しさに紛れて気が付いてあげられないことがあったのではないか?
もっと話す機会があったのではないか?
いつまでもそんな風に面影を追ってしまい、とくにお彼岸の季節、強い風の吹く夕刻などには、思い出されて泣けてくる。
そんな自分の経験も呼び起こされる導入部だった。
物語の大きな周回は、現地調査を踏まえた様々な「をんな」への感情移入によって行われる。
今風に「聖地巡礼」といおうか、当該人物ゆかりの地や事件の現場を踏むことは大切だ。
文字なら何万字も費やさなければならない情報が、一瞬で体にストンと入って来ることも多々ある。
本書では著者自身の体験、現代の女性の聞き取りから、近世の実在の人物の伝まで、新旧様々な女性にシンクロし、地の文と混然となった一人称で語る構成になっている。
その構造が「口寄せ」を聞くような、スリリングな雰囲気を醸し出している。
一人称で文を綴ることは「演じる」のと似ており、「演じる」ことは霊降ろしとほぼ同義なのだ。
シンクロする女性が時代的に新しいほど、まだ鎮まりきらない荒ぶる怖さが漂っているようにも感じる。
一概には言えないが、「時の流れ」「人に語られることの蓄積」は、鎮魂の大きな要素ではないだろうか。
【下谷の家族】
現実の悲嘆が夢の並行世界を生み、やがて現実と重なりあってくる物語。
夢見の習慣を持っている者には、「十分ありえる」というリアリティと、切ない怖さが感じられるはずだ。
夢はいつかは覚めるもので、美しくても終わらない夢は、最後には悪夢になってしまう。
ましてやそれが、現実にまで流出、浸食してくるとすれば。
話者のかたの夢の終わりが、何らかの形の「解放」であれば良いなと感じた。
作中のように半ば物質化する例は少ないだろうけれども、夢の中で別の人生が並行しているケースは珍しくない。
私の場合はもう長年、虐待指導を受けていた中高生の頃の悪夢の呪縛があった。
暴力教師が荒れ狂う教室に引き戻されてしまう夢で、年齢とともに頻度は落ちてきたが、何十年も断続的に見続けていたのだ。
同じ学校の卒業生に同様のケースを語る者は多いのだが、私については昨年ようやく「決着」の夢を見て、以後は解放され見なくなった。
■第二章「やみゆく女」
近現代のアウトローの世界にも踏み込むエピソードの数々を読みながら、例によってわがことをふり返る。
犯罪に手を染めたり、巻き込まれたり、病んでしまうかどうかは紙一重で、「運不運」「偶然」「めぐりあわせ」の要素が半分以上を占める。
無縁の自由と危険は背中合わせで、どこまで離れても血縁は追い縋る、等々。
そして様々な縁や、とりわけ「折々思い切る妻」に引っ張られ、支えられて、二人の子を持ちなんとか無事に暮らしている今の自分の幸運等。
【八王子の家】
ここでは、導入部として絵師月岡芳年に触れてある。
芳年がいわゆる「神経」であったというのははじめて知った。
かの絵師ほどの技量があっても御せない幻想もあるのかと、あらためて戦慄する。
それでも絵描きは絵にしがみつくしかないし、地獄で筆をとるものなのだ。
そして大きく周回していた物語は、この章の最後で再び最初のモチーフに戻ってくる。
幼児の目を通して召喚された怪異が、終章へむけての導入部にもなっていく。
最初のモチーフの著者と近親者の間柄が、ここでの著者と甥の間柄と近似するのも興味深い。
親族の間柄は時の流れとともに相似形が繰り返されやすく、子供が大人になり、また子供と対するとき、あらためて感じたり分かったりすることも多いのだ。
私は身近な幼児や子供たちが、不思議な話や夢の話をしてきた時、まずは否定せずに聞いてあげることにしている。
「この人は聞いてくれる」というちょっとした積み重ねは、素朴な信頼感につながるのではないかと思うのだ。
絵描きにはそういう役割もあって良い。
子供の頃の私にはそういう人がいなかったので、自給自足でやってきた。
■第三章「いきぬく女」
実在の「明治三大毒婦」の一人、花井お梅の生涯について、尺を割いて触れてある。
美しくも愚かで、魅力的だけれども身近にいればたいそう難儀であろうこの女性に感情移入してみると、善悪美醜を超えて「いきぬくこと」自体の価値が見えてくる気がする。
生きづらさを抱える者が「芸」と「術」の世界に吹きだまり、身を寄せ合う様は、今も昔も変わらない。
余談になるが「お梅」という名の昔の本名表記が「ムメ」になっているケースをよく目にする。
表記上の「ム」は、発音の「ン」の代用に使われることが多かった。
もしかしたら当時の「梅」の発音は、「うめ」というより「んめ」に近かったのかもしれない。
【明治座】
東京大空襲の記録にまつわる怪異。
東京に限らず、日本の多くの都市には「この世の地獄と化した過去」があり、ふとしたきっかけで現在の私たちともリンクしてくる。
【表参道】
引き続き、空襲の記録にまつわる著者自身の怪異体験を経て、物語は出発点である彼岸花と二人の近親のモチーフに回帰する。
第一章【下谷の家族】とも呼応してくるものがある。
現実と夢(あり得たもう一つの現実)の境は、時に危うく交差するのだ。
章の進行とともに、件の近親に対し、語り口のシンクロがかなり進んできていることにも気づく。
ここまでの様々な女性への感情移入、一人称の語りの周回があったればこその接近か。
そこには著者と息子さんの関係性も、映っているように思える。
そして最終節【東京の娘】において、ストンと「キヨミさん」の一人称は始まる。
相棒である幼き日の著者を連れながら、物語の核心、彼女の心の在り様は、見た目上は淡々と、ざっくりしたデッサンのように示されていく。
しかしここまで本書に付き合ってきた読み手にとっては、わずか十ページ程度の「キヨミさん」になり切った語りに、行間までみっしり詰まった本物の情念が読み取れるのではないだろうか。
たとえば「和解」とか「相互理解」などという言葉では簡単にまとめてしまえない、泥の中から探り当てられた涙の粒のような結晶が、そこにはあるような気がするのだ。
秋のお彼岸の折、とても良い読書体験を持ったと思う。
著者が年齢的に近い「少し上」の世代であるためか、読むたびに我がことを静かに省みる契機になるのだ。
今回紹介するのは今年2月末刊行の一冊だが、一度読了してから「これは彼岸花の季節にぜひもう一度再読したい」と感じた。
秋の早いこの9月、お彼岸を待たずに彼岸花が開花し始めたのに気付き、再び文庫本を手に取った。
例によってなるべくネタバレにならないよう、配慮しつつ紹介してみたい。
●「東京をんな語り」川奈まり子 (角川ホラー文庫)
■第一章「さまよう女」
本書は白い彼岸花の怪しく切ないイメージと共に、著者の二人の近親の、悲しく儚い物語から書き起こされる。
近親の物語はこれまでの著作にも断片的に記述されていたと記憶しているが、この度は強い決意のようなものが仄見え、胸をつかれた。
あくまで「作品」であるので虚実の匙加減は想像するしかないけれども、著者の強い思いは間違いようもなく伝わってくる。
物語は一旦そこから離れるのだが、また必ず戻ってくることを予感させつつ、大きく周回する。
身の回りで年少者が亡くなると、とても悲しく理不尽な思いがするのと同時に、どこかリアリティがなくて受け入れがたい。
その後も「長く会っていないだけ」のような気がして、たまに最後に見た姿のまま脳裏に甦ってきて、「そう言えばもう亡くなっていたのだ」と愕然とすることがある。
敏い子だった。
手のかからない子だった。
親の立場でも、教室等で子供を見ている立場でもそうだが、「手がかからない子」にはかえって注意が必要だ。
深く静かに、一人で何かを抱え込んでいる場合がある。
忙しさに紛れて気が付いてあげられないことがあったのではないか?
もっと話す機会があったのではないか?
いつまでもそんな風に面影を追ってしまい、とくにお彼岸の季節、強い風の吹く夕刻などには、思い出されて泣けてくる。
そんな自分の経験も呼び起こされる導入部だった。
物語の大きな周回は、現地調査を踏まえた様々な「をんな」への感情移入によって行われる。
今風に「聖地巡礼」といおうか、当該人物ゆかりの地や事件の現場を踏むことは大切だ。
文字なら何万字も費やさなければならない情報が、一瞬で体にストンと入って来ることも多々ある。
本書では著者自身の体験、現代の女性の聞き取りから、近世の実在の人物の伝まで、新旧様々な女性にシンクロし、地の文と混然となった一人称で語る構成になっている。
その構造が「口寄せ」を聞くような、スリリングな雰囲気を醸し出している。
一人称で文を綴ることは「演じる」のと似ており、「演じる」ことは霊降ろしとほぼ同義なのだ。
シンクロする女性が時代的に新しいほど、まだ鎮まりきらない荒ぶる怖さが漂っているようにも感じる。
一概には言えないが、「時の流れ」「人に語られることの蓄積」は、鎮魂の大きな要素ではないだろうか。
【下谷の家族】
現実の悲嘆が夢の並行世界を生み、やがて現実と重なりあってくる物語。
夢見の習慣を持っている者には、「十分ありえる」というリアリティと、切ない怖さが感じられるはずだ。
夢はいつかは覚めるもので、美しくても終わらない夢は、最後には悪夢になってしまう。
ましてやそれが、現実にまで流出、浸食してくるとすれば。
話者のかたの夢の終わりが、何らかの形の「解放」であれば良いなと感じた。
作中のように半ば物質化する例は少ないだろうけれども、夢の中で別の人生が並行しているケースは珍しくない。
私の場合はもう長年、虐待指導を受けていた中高生の頃の悪夢の呪縛があった。
暴力教師が荒れ狂う教室に引き戻されてしまう夢で、年齢とともに頻度は落ちてきたが、何十年も断続的に見続けていたのだ。
同じ学校の卒業生に同様のケースを語る者は多いのだが、私については昨年ようやく「決着」の夢を見て、以後は解放され見なくなった。
■第二章「やみゆく女」
近現代のアウトローの世界にも踏み込むエピソードの数々を読みながら、例によってわがことをふり返る。
犯罪に手を染めたり、巻き込まれたり、病んでしまうかどうかは紙一重で、「運不運」「偶然」「めぐりあわせ」の要素が半分以上を占める。
無縁の自由と危険は背中合わせで、どこまで離れても血縁は追い縋る、等々。
そして様々な縁や、とりわけ「折々思い切る妻」に引っ張られ、支えられて、二人の子を持ちなんとか無事に暮らしている今の自分の幸運等。
【八王子の家】
ここでは、導入部として絵師月岡芳年に触れてある。
芳年がいわゆる「神経」であったというのははじめて知った。
かの絵師ほどの技量があっても御せない幻想もあるのかと、あらためて戦慄する。
それでも絵描きは絵にしがみつくしかないし、地獄で筆をとるものなのだ。
そして大きく周回していた物語は、この章の最後で再び最初のモチーフに戻ってくる。
幼児の目を通して召喚された怪異が、終章へむけての導入部にもなっていく。
最初のモチーフの著者と近親者の間柄が、ここでの著者と甥の間柄と近似するのも興味深い。
親族の間柄は時の流れとともに相似形が繰り返されやすく、子供が大人になり、また子供と対するとき、あらためて感じたり分かったりすることも多いのだ。
私は身近な幼児や子供たちが、不思議な話や夢の話をしてきた時、まずは否定せずに聞いてあげることにしている。
「この人は聞いてくれる」というちょっとした積み重ねは、素朴な信頼感につながるのではないかと思うのだ。
絵描きにはそういう役割もあって良い。
子供の頃の私にはそういう人がいなかったので、自給自足でやってきた。
■第三章「いきぬく女」
実在の「明治三大毒婦」の一人、花井お梅の生涯について、尺を割いて触れてある。
美しくも愚かで、魅力的だけれども身近にいればたいそう難儀であろうこの女性に感情移入してみると、善悪美醜を超えて「いきぬくこと」自体の価値が見えてくる気がする。
生きづらさを抱える者が「芸」と「術」の世界に吹きだまり、身を寄せ合う様は、今も昔も変わらない。
余談になるが「お梅」という名の昔の本名表記が「ムメ」になっているケースをよく目にする。
表記上の「ム」は、発音の「ン」の代用に使われることが多かった。
もしかしたら当時の「梅」の発音は、「うめ」というより「んめ」に近かったのかもしれない。
【明治座】
東京大空襲の記録にまつわる怪異。
東京に限らず、日本の多くの都市には「この世の地獄と化した過去」があり、ふとしたきっかけで現在の私たちともリンクしてくる。
【表参道】
引き続き、空襲の記録にまつわる著者自身の怪異体験を経て、物語は出発点である彼岸花と二人の近親のモチーフに回帰する。
第一章【下谷の家族】とも呼応してくるものがある。
現実と夢(あり得たもう一つの現実)の境は、時に危うく交差するのだ。
章の進行とともに、件の近親に対し、語り口のシンクロがかなり進んできていることにも気づく。
ここまでの様々な女性への感情移入、一人称の語りの周回があったればこその接近か。
そこには著者と息子さんの関係性も、映っているように思える。
そして最終節【東京の娘】において、ストンと「キヨミさん」の一人称は始まる。
相棒である幼き日の著者を連れながら、物語の核心、彼女の心の在り様は、見た目上は淡々と、ざっくりしたデッサンのように示されていく。
しかしここまで本書に付き合ってきた読み手にとっては、わずか十ページ程度の「キヨミさん」になり切った語りに、行間までみっしり詰まった本物の情念が読み取れるのではないだろうか。
たとえば「和解」とか「相互理解」などという言葉では簡単にまとめてしまえない、泥の中から探り当てられた涙の粒のような結晶が、そこにはあるような気がするのだ。
秋のお彼岸の折、とても良い読書体験を持ったと思う。

2021年09月23日
夢と召喚と鎮魂
秋のお彼岸が過ぎ行く中、川奈まり子「東京をんな語り」を再読した顛末は、前回記事で紹介した。
その中で、私が長年見続けてきた悪夢についても少し触れた。
暴力教師が荒れ狂う教室に引き戻されてしまう夢で、年齢とともに頻度は落ちてきたが、何十年も断続的に見続けていたのだ。
同じ学校の卒業生に同様のケースを語る者は多いのだが、私については昨年ようやく「決着」の夢を見て、以後は解放され見なくなった。
印象深い夢だったので、その後マンガに描いた。
(以後、画像はクリックすると大きくなります)


現実の世界と紛らわしく、もう一つの並行世界を感じさせる夢はよく見る。
長く連絡をとっていない友人の訃報の夢を見て、すっかりそのつもりになってしまっていて、それからだいぶ経ってその友人から連絡が来て混乱したこともあった(笑)
向こうから連絡がなければそのまま亡くなった扱いで、他の友人にも伝えてしまっていたかもしれない。
この年になると実際に亡くなった知己もけっこういるので、たまに混乱してしまう。
そんな体験をマンガに描いたこともある。


はっきりと亡くなったとわかっている知り合いが夢に出てくることもある。
こちらの夢の場合、数年前に若い頃世話になった師匠の死に目に会えなかったことが、こうした「召喚の夢」を見させたのだろう。




これらの夢マンガは他の夢とともに全32ページにまとめ、投稿サイトに掲載していただいている。
投稿マヴォ:怪しき夢路

今年に入ってからなぜか突然マンガが描けだして、それも再会したかった何者かを召喚するタイプの作品が続く不思議があった。
その中には「幼い頃の自分の召喚」も含まれていて、弱視児童だった頃のことも描いた。
マンガ「最初の修行」
(リンク先で全10ページ読めます)

記憶の底に眠る感情を掘り返すことで、鎮魂される何かを強く感じた。
今年(私にしては)ハイペースでマンガが描けるようになったきっかけが、以下の作品だった。
マンガ「カーニバル」前半9ページ
マンガ「カーニバル」後半9ページ

これも「死者の召喚」、それも死者の側からの一人称で「この世」を眺めた作品だった。
今年は彼岸花の開花とともに川奈まり子「東京をんな語り」という極上の「召喚モノ語り」を再読し、今後自分が求めている表現の方向に思いを巡らす秋のお彼岸だった。
その中で、私が長年見続けてきた悪夢についても少し触れた。
暴力教師が荒れ狂う教室に引き戻されてしまう夢で、年齢とともに頻度は落ちてきたが、何十年も断続的に見続けていたのだ。
同じ学校の卒業生に同様のケースを語る者は多いのだが、私については昨年ようやく「決着」の夢を見て、以後は解放され見なくなった。
印象深い夢だったので、その後マンガに描いた。
(以後、画像はクリックすると大きくなります)


現実の世界と紛らわしく、もう一つの並行世界を感じさせる夢はよく見る。
長く連絡をとっていない友人の訃報の夢を見て、すっかりそのつもりになってしまっていて、それからだいぶ経ってその友人から連絡が来て混乱したこともあった(笑)
向こうから連絡がなければそのまま亡くなった扱いで、他の友人にも伝えてしまっていたかもしれない。
この年になると実際に亡くなった知己もけっこういるので、たまに混乱してしまう。
そんな体験をマンガに描いたこともある。


はっきりと亡くなったとわかっている知り合いが夢に出てくることもある。
こちらの夢の場合、数年前に若い頃世話になった師匠の死に目に会えなかったことが、こうした「召喚の夢」を見させたのだろう。




これらの夢マンガは他の夢とともに全32ページにまとめ、投稿サイトに掲載していただいている。
投稿マヴォ:怪しき夢路

今年に入ってからなぜか突然マンガが描けだして、それも再会したかった何者かを召喚するタイプの作品が続く不思議があった。
その中には「幼い頃の自分の召喚」も含まれていて、弱視児童だった頃のことも描いた。
マンガ「最初の修行」
(リンク先で全10ページ読めます)

記憶の底に眠る感情を掘り返すことで、鎮魂される何かを強く感じた。
今年(私にしては)ハイペースでマンガが描けるようになったきっかけが、以下の作品だった。
マンガ「カーニバル」前半9ページ
マンガ「カーニバル」後半9ページ

これも「死者の召喚」、それも死者の側からの一人称で「この世」を眺めた作品だった。
今年は彼岸花の開花とともに川奈まり子「東京をんな語り」という極上の「召喚モノ語り」を再読し、今後自分が求めている表現の方向に思いを巡らす秋のお彼岸だった。
2021年09月24日
亡き師の教え
二十代の頃、教えてもらった師匠のことについては、これまでにも何度か記事にしてきた。
90年代の師匠Nさんについて1
90年代の師匠Nさんについて2
90年代の師匠Nさんについて3
90年代の師匠Nさんについて4
年を忘れつ師を想う
昨日の記事でも、亡くなった師匠が夢枕に立った件を紹介した。
夢と召喚と鎮魂
今たぶん、二十代の頃教わった師匠と年が同じくらい。
描いてると、当時言われたことを全部思い出す。
師匠の「如是我聞」については、twitterの方で思い出すままに呟いてきた。
以下に採録しておこう。
--------------
「描けている時に変に間をおいたらあかん。少々不義理しても描けるだけ描いておくべし。明日ばったり描けなくなることもある」
「illustrateは元々『説明する』ことなので、まず何より求められる条件、要素を盛り込み、きちんと分かりやすく見せなければならない。そういう骨格があった上での「絵心」だから、構成や下描に時間と労力を注ぎ込むこと。そこさえしっかりしていれば修整は効く」
「イラストは精進や知識、資料の蓄積が直接結果に結び付き易い。ある意味、裏切られない。絵画は怖い。少しでも努力や手間頼みが入ると逃げていく」
「イラストを見やすくするには適度に省略を入れて緩急が大事。ただ、描けないうちから省略の真似事をするとスカスカになる。自然に省略できるようになるまでは、一回みっしり描き込んでから引き算した方が良い。描き込んだ密度をたもったまま、すっきりと省略する」
この教えを聞いた時、「あ、これ武道と一緒やな」と思った。
最初は大きく正確に威力を高め、後に威力はたもったままコンパクトな動きに洗練する。
なかなかそこまでできんのですがw
イラストの省略表現や仕上げについて、師匠は俺にあまりうるさく言わなかった。
下調べや下描きをしっかりすることには、少しだけ厳しかった。
叱られはしないけれども、俺が甘いことをやっていると、忙しい師匠が代わりにやってしまうので、かえって堪えた。
俺は中高生の頃、私立の中堅受験校で戦前まがいの虐待指導を受けたせいもあり、厳しくされないと怠けてしまう奴隷根性が染みついて、二十歳過ぎても抜けきっていなかった。
師匠は俺に「絵描きの矜持」を、身をもって示してくれた。
むかし師匠は俺に対して、「実力のちょっと上」あたりを「おまえ、もちろんできるんやろ?」という感じで投げてきた。「ちょっと上」なのでうまく出来ないこともあったが、フォローはしてくれた。
見たものを真似るのは苦手じゃないので、師匠のタッチをパクるのは我ながら速かったと思う。
しかし、しょせんそれは上っ面のこと。
俺の造園スケッチと師匠との差は、やっぱり「見てきたもの」「年季」だったと思う。
師匠は俺を連れまわしてものを見せ、時間があれば語って聞かせてくれた。
あれから俺も年くった分はものを見てきた。
今師匠のスケッチを見返せば、若い頃より少しは読み取れることが増えてるだろう。
一部でもとっておいて本当に良かった。
これ、若い人に言うと反発されがちで、俺も若い頃師匠に言われた時は納得できなかったんですけど、「センス=知識やで!」というのは、年取るほどに効いてくる。
ウザがられがちだが、年寄はやっぱり言うしかない。
「学びましょう。学びましょう。学びましょう!」
センスを「生来のもの、自前のもの」と思っているといずれ枯渇すると、俺は教えられたのだ。
90年代の師匠Nさんについて1
90年代の師匠Nさんについて2
90年代の師匠Nさんについて3
90年代の師匠Nさんについて4
年を忘れつ師を想う
昨日の記事でも、亡くなった師匠が夢枕に立った件を紹介した。
夢と召喚と鎮魂
今たぶん、二十代の頃教わった師匠と年が同じくらい。
描いてると、当時言われたことを全部思い出す。
師匠の「如是我聞」については、twitterの方で思い出すままに呟いてきた。
以下に採録しておこう。
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「描けている時に変に間をおいたらあかん。少々不義理しても描けるだけ描いておくべし。明日ばったり描けなくなることもある」
「illustrateは元々『説明する』ことなので、まず何より求められる条件、要素を盛り込み、きちんと分かりやすく見せなければならない。そういう骨格があった上での「絵心」だから、構成や下描に時間と労力を注ぎ込むこと。そこさえしっかりしていれば修整は効く」
「イラストは精進や知識、資料の蓄積が直接結果に結び付き易い。ある意味、裏切られない。絵画は怖い。少しでも努力や手間頼みが入ると逃げていく」
「イラストを見やすくするには適度に省略を入れて緩急が大事。ただ、描けないうちから省略の真似事をするとスカスカになる。自然に省略できるようになるまでは、一回みっしり描き込んでから引き算した方が良い。描き込んだ密度をたもったまま、すっきりと省略する」
この教えを聞いた時、「あ、これ武道と一緒やな」と思った。
最初は大きく正確に威力を高め、後に威力はたもったままコンパクトな動きに洗練する。
なかなかそこまでできんのですがw
イラストの省略表現や仕上げについて、師匠は俺にあまりうるさく言わなかった。
下調べや下描きをしっかりすることには、少しだけ厳しかった。
叱られはしないけれども、俺が甘いことをやっていると、忙しい師匠が代わりにやってしまうので、かえって堪えた。
俺は中高生の頃、私立の中堅受験校で戦前まがいの虐待指導を受けたせいもあり、厳しくされないと怠けてしまう奴隷根性が染みついて、二十歳過ぎても抜けきっていなかった。
師匠は俺に「絵描きの矜持」を、身をもって示してくれた。
むかし師匠は俺に対して、「実力のちょっと上」あたりを「おまえ、もちろんできるんやろ?」という感じで投げてきた。「ちょっと上」なのでうまく出来ないこともあったが、フォローはしてくれた。
見たものを真似るのは苦手じゃないので、師匠のタッチをパクるのは我ながら速かったと思う。
しかし、しょせんそれは上っ面のこと。
俺の造園スケッチと師匠との差は、やっぱり「見てきたもの」「年季」だったと思う。
師匠は俺を連れまわしてものを見せ、時間があれば語って聞かせてくれた。
あれから俺も年くった分はものを見てきた。
今師匠のスケッチを見返せば、若い頃より少しは読み取れることが増えてるだろう。
一部でもとっておいて本当に良かった。
これ、若い人に言うと反発されがちで、俺も若い頃師匠に言われた時は納得できなかったんですけど、「センス=知識やで!」というのは、年取るほどに効いてくる。
ウザがられがちだが、年寄はやっぱり言うしかない。
「学びましょう。学びましょう。学びましょう!」
センスを「生来のもの、自前のもの」と思っているといずれ枯渇すると、俺は教えられたのだ。