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2021年12月24日

2021秋のスケッチ

 昨年、一昨年とかなり充実した秋の野外スケッチが出来ていたのですが、今年はあいにくの天候不順。
 八月後半、やけに涼しい日が続いて「今年の秋は早いかな」と思い、9月早々にスケッチを開始しました。

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 日々の暮らしに忙殺されるうちにヒガンバナも駆け足で過ぎ去ってしまい、今年は描けずじまい。
 十月に入ると一転して暑くなったりわけのわからない日々が続きました。
 そんな中でもまだ描いたことが無かった花梨で一枚。

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 天候不順が祟って桜の紅葉は不発。
 それでも一枚一枚の落ち葉は綺麗だったので、適当に見繕ってスケッチ。

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 その後もなかなかタイミングが合わず、結局秋らしい野外スケッチはキンモクセイの一枚になりました。

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 そして不完全燃焼の気分を抱えつつ、十二月も後半に入ってからようやく、わずかに秋の色彩の残る冬枯れの風景で一枚描けました。

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 今年の秋のスケッチは、こんな感じ。
posted by 九郎 at 22:28| Comment(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2021年12月25日

ワクチン接種その後

 8月末までに、私自身はモデルナワクチン二回接種終了、副反応をなんとかやり過ごした経過は記事にしてきました。
 コロナワクチン一回目接種
 コロナワクチン二回目接種

 そこから同時進行で家族の接種がはじまったので、こちらも経過をまとめておきます。

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 9月11日
 妻がモデルナ一回目。
(当日翌日の副反応は軽い発熱程度で済んだ模様)
 私自身はそろそろモデルナ二回目接種から二週間、そろそろパワーエサ食ったぐらいの防御はできているか?
 そして子供らの二学期開始からも二週間、感染拡大があるとしたら顕在化してくるはず。
(結局、新学期からの目立った感染拡大は無かった。八月末からの冷夏で窓の開放が続いた影響もあったかもしれない)

 9月14日
 新型コロナのワクチンの接種会場で、モデルナに続きファイザー製のワクチンから異物が見つかったとの報道あり。
 いわゆる「反ワクチン」は論外として、普通にワクチン接種を選ぶ人間の不安、不信を煽っているのは、ワクチン製造メーカーであり、何が起こっても「問題ない」で済ます政府や一部医療関係者ではないかと強く感じる。

 9月16日
 うちの中二と小六のワクチン、非常に悩んだのだが、今後予想される第六波の惨状を考え、ファイザー接種の予約をとった。
 不安もあるが「緊急避難」である。

 9月20日
 妻がモデルナ一回目接種一週間後、しばらく微熱続きでしんどそうだった。
 軽くモデルナアーム症状もあり。
 副反応、個人差が大きい。

 9月30日
 酒は控えめに週一回か二回、ハイボールの缶をいただくぐらいのペースにしているのだが、しばらく前から軽く蕁麻疹が出るようになった。
 ワクチン接種後、汗疹状の湿疹が数カ所に出たこともあり、もしかしたら関係しているのかもしれない。
 酒の種類にもよるようで、普通の焼酎では出ないと確認。

 10月9日
 モデルナ二回接種後けっこう時間経ってから少々皮膚疾患が出るようになったが、最近は収束へ。
 皮膚疾患の報告は一般にもわりとあるようなのでメモ。

 10月12日
 ワクチンの副反応を疑わせる皮膚疾患、幸い私は受診するほどではない軽症で済んでいるが、かなり大変な人もいる模様。
 手が腫れてペンが持てなくなった人など。
 各自、記録は残しておいた方がよさそうだ。

 10月13日
 昨日、中二長男と小六妹のファイザー一回目接種。
 今のところの副反応は肩の痛みのみらしいが、くれぐれも無理の無いよう伝える。
 あかちゃんの頃からのかかりつけ医なので、接種自体は問題なく終えた。

 10月13日
 子供らファイザー一回目接種二日目。
 長男は朝何ともなかったが、学校で発熱して早退。
 高熱が出たり下がったりで一日過ごす。
 妹は接種肩の痛み以外とくに副反応無し。
 やはり個人差が大きい。

 10月14日
 子供らファイザー一回目接種、翌々日。
 長男の発熱はおさまり、本日は無事二人とも登下校。

 10月17日
 妻のモデルナ二回目翌日、発熱と頭痛。
 とくに頭痛が長く続いた模様。

 11月2日
 子供ら二人、ファイザー二回目接種。
 明日は一日副反応対応か。

 11月3日
 中二兄、朝から高熱。
 小6妹、今のところ全く平常。
 一回目と同じ傾向。

 11月4日
 子どもらファイザー二回目から二夜明け。
 長男は昨日一日39度超えの高熱も、今朝は平熱に。
 妹は昨日夕方から微熱が出たが、今朝は回復。
 引き続き無理のないように。

 11月5日
 長男はうちで唯一の陽キャなので、回復してくれると助かる。


 11月29日
 沖縄で「3回目からモデルナ」のケースが増えそう。現場は警戒との報道あり。
 この方針、全国にも広がるのだろうか?
 私は反ワクチンには与しないが、三回目もモデルナなら政府及び厚労省に不信感しかない。
 副反応が強かったので、正直打ちたくない。

 12月3日
 心筋炎を「重大な副反応」に―厚労省、警戒度引き上げとの報道あり。
 副反応の心筋炎については以前から言われており、海外では対応が行われていたが、日本はやっと認めたか。

 12月7日
 中高生のファイザー接種が進む一方で、季節的に体育の授業で持久走も普通に行われている。
 子どもには「くれぐれも無理しないように」と伝えている。
 繰り返しになるが「リスクはきちんと発表し、因果関係の証明を個人に求めず、手厚く保障せよ」と求めるのは公衆衛生上当たり前のことであって、断じて「反ワクチン」などではない。

 二年近くに及ぶコロナ禍にあって、政府や厚労省、ワクチン接種を進める「こびナビ」の面々は、基本的に信用ならないものとして認識している。

 日々参照しているのはSNSで「コロラド先生」の愛称を持つ書き手の発信と、それをまとめた以下の書籍。

●「誰が日本のコロナ禍を悪化させたのか?」牧田寛 (扶桑社)

 オミクロン株の感染拡大の足音が聞こえてきた2021年末、覚書にしておく。 
posted by 九郎 at 17:07| Comment(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2021年12月26日

五十肩奮闘記

 今年の春先、2月末の事だった。
 ふと、右手が肩の高さ以上には上がらなくなっていることに気付いた。
 それ以上に上げようとすると肩が痛み、力が入らなくなる。
 どうやら年齢的に、絵に描いたような「五十肩」デビューをしてしまったようだ。
 右手を肩より上げなければなんということも無いのだが、日常生活や仕事ではそうも言っていられない。
 物の上げ下ろしや掲示物、板書など、利き手を上げなければ用を足せないシーンは数限りない。
 あと地味に困ったのが、トイレでお尻を拭くときに肩が痛くなること(苦笑)
 なんとかしなければと対策を練り始めた。

 こうした場合、一般的に推奨されるのは「軽い運動」である。
 小中高で剣道をやっていた以外は大した運動経験のない私が、こうした場合に最初に思いつく「肩の運動」と言えば、「素振り」になる。  
 久々にやってみるかと思ったのだが、あいにく竹刀木刀はどうやら実家にあるようだ。
 しかたがないので、入浴時にラジオ体操的な肩の旋回運動をはじめてみた。
 ラジオ体操の動きは基本的に、肩、腰、股関節等の柔軟性をつけるもので、ちゃんとやるとそれなりの運動量になる。
 一週間ほど続けてみるとわりに「効いている」感じはしたが、あちこちかなり固まっており、まだほぐれるまで時間がかかりそうに思った。

 そして毎日少しずつやっているうちに、だんだん肩が上がる&回るようになってはきたのだが、始めてから二か月経った4月末、はずみで右肩を痛めてしまった。
 物の上げ下ろしをしている時、普段動かない方向にひねって、ぎっくり腰みたいになりかけたのだ。
 瞬間的に脱力して最悪の事態は回避できたのは、過去の数度にわたる「ぎっくり経験」の賜物だろう。
 あやうくGWに何も描けずに棒に振るところだった。

 それでも軽く痛めてしまったことには違いなく、不自由は増した。
 風呂屋に行って養生したいところだが、あいにくコロナ禍真っ最中。
 感染が怖くて二の足を踏んだ。
 せめて家での入浴に時間をかけようと、風呂に携帯端末を持ち込み、電子書籍の読書の時間にあてて小一時間ほど浸かることにした。

 肩や腰が「痛い」という場合、二種類あるのではないだろうか。
 一つは「冷えて固まっている痛さ」で、もう一つは「損傷している痛さ」。
 前者は動かした方が良く、後者は絶対安静。
 温めるのは両者共通である。
 今振り返ると、私の場合は肩筋肉の損傷を、さらに無理押しする形で運動を重ねていたために、微妙に悪化させてしまっていたのではないかと思う。

 その後も五十肩の養生法をあれこれ模索するうち、7月末ごろについに「決め手」に出会ってしまった。
 前から気になってはいた「肩甲骨はがし」的なストレッチである。
 この「肩甲骨はがし」についての詳しいところは、色んな動画が上がっているので渉猟してもらいたい。
 ごく簡単に言うと、肩の可動は三角筋と僧帽筋が関係していて、私の場合は肩甲骨周りの僧帽筋がカチカチに固まっていたために三角筋だけに負担がかかり、損傷していたようなのだ。

 もう少し具体的に紹介してみよう。
 ラジオ体操等では肩甲骨の「左右の開閉」はできても、「前後にはがす」までは届きにくいので、以下の運動を試してみるとよい。
 プッシュアップ(腕立て伏せ)の姿勢で「肩の位置はそのまま胸だけ落とす」ことを心がけると、肩甲骨を「はがす」方向に力がかかる。
 かたまってると実際に「はがす」には至らないけれども、ストレッチの痛気持ち良さを強烈に感じるはずだ。
 僧帽筋は「お相撲さんの首の両サイドの盛り上がっている所」と書くとわかりやすいかもしれない。
 あの辺の個所につながる筋肉が、肩甲骨をはがす方向に力が加わると「メリメリ、バリバリ」とストレッチされ、少しずつ試すと「痛いけれども心地よい」感覚が生まれる。
 それを角度を色々探りながら毎日徐々にやる。
 僧帽筋をゆるめ、肩甲骨の可動を戻すことで、痛めた三角筋を休ませる理屈である。
 肩甲骨の可動は使わなければ使わないで日常生活を過ごせてしまうので、デスクワークなどをやっているとかたまってしまいがちなのだ。

 普段からトレーニングやってる人には常識かもしれないが、プッシュアップは肩甲骨周りの柔軟性に一番効くのではないかと思う。
 腕を鍛える必要なくて肩甲骨周りの柔軟に特化するなら、机や壁に手をついてやるのも良い。
 一週間ほどで、かなり肩回りが軽くなってくるはずだ。

 入浴時の運動を「肩甲骨はがし」にあてると、それだけで時間がかかるので、読書をする必要がなくなり、これもプラスに作用した。
 目と首と肩の疲労は連動しているので、「目の酷使の上塗り」になる入浴時の読書をやめることで、余計な疲労が回避された。
 つまり、肩そのものの軽運動と言い、風呂での読書と言い、当初の私は五十肩を悪化させるようなことばかりやっていたのだ(笑)
 
 そして11月頃になると、五十肩の痛みによる不自由はほぼ解消。
 まだまだ肩甲骨周りはかたいのだが、ストレッチが楽しくなって色々試し続けて今に至る。

 今後、また何か分かったことがあればレポートしたい。
posted by 九郎 at 17:38| Comment(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2021年12月27日

映画「JOKER」

 今年のハロウィンの日、そしてコロナ禍において対応を失敗し続けた自公維が、にもかかわらず大勝した閉塞感漂う衆院選の同日、「京王線無差別刺傷事件」が起こった。
 誘発されるように似た傾向を持つ無差別殺傷事件、あるいは「拡大自殺」と思しき事件が頻発するようになり、この年末に至っている。
 発端となった京王線の事件では容疑者の服装が映画「ジョーカー」のものに似ているとされ、また警察の取り調べに対し、「容疑者がジョーカーへのあこがれを口にしている」との報道があった。
 こうした事態を受け、問題になった作品の地上波テレビ放送が完全にお蔵入りになったという。

 動画配信が既に一般化し、円盤ソフトも溢れかえっている今現在、「地上波で放送しない」ということにどれほどの意味があるか疑問であるし、そもそも件の容疑者が「どのジョーカー」をモデルにしたのか定かではない。
 ジョーカーというキャラクターはアメコミヒーロー「バットマン」の最も有名な悪役であり、登場する作品は数限りない。
 報道で容疑者の服装を見る限り、問題とされた映画「ジョーカー」のものとは異なっているし、最重要な表象である「ピエロのメイク、あるいは仮面」を身に付けていない。
 コスプレから犯行の手口から全部「雑」で、どれか特定のジョーカーの熱烈なファンとも考え難い。
 せいぜいファスト動画ザッピングくらいではないかという印象を持った。

 問題になった映画「ジョーカー」とはいかなる作品か?
 私は二年前の公開当時、映画館に足を運んで鑑賞している。
 以下に映画鑑賞後の呟きを加筆編集して採録してみよう。


●ジョーカー(トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演)

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 映画「ジョーカー」を観た。
 信頼する目利きの皆さんが「ダークナイト超えたかも!」と評しているのを目にして「マジで?!」と半信半疑だったが、マジだった。
 ビンボー人の私が、映画館で観てパンフまで買うのは、大事件である。

映画「ダークナイト三部作」については、「大人になってからもっともハマった映画」としてレビューしたことがある)

 ダークナイトは「徹底的にリアルにこだわったバットマン」だったが、「ジョーカー」はバットマンの存在以前に時間を戻すことで「リアル」をもう一段徹底させた印象。
 バットマンにリアリティを持たせる場合のネックの一つがウェイン家という「善良な富豪」の存在で、今回の「ジョーカー」はその虚飾を剥ぎとっている。
 ただ、単純に「金持ち=悪」にもなっておらず、あくまで「凡庸な俗物」という描写である。
 バットマンの主人公であるブルース・ウェインの父トーマスは、これまでのバットマンでは「高潔な富豪」として描かれてきた。
 本作「ジョーカー」では俗物扱いであったけれども、その二つは実は矛盾しない。
 幼い頃、父母と死別した孤独なブルースにとって、とりわけ父親は「神格化」されやすかっただろう。
 ウェイン親子というのはかなり「マンガ的」なキャラで、しかも物語の根幹部分の設定なので動かしがたく、バットマンという世界観の中で「リアル」をやろうとするときの、最後のハードルとなる部分。
 それを今回の「ジョーカー」は、「見る者の数だけ真実はある」という視点で乗り越えたのだと思う。
 あくまで「マンガ発祥」という但し書き無しで鑑賞できるリアルのグレードに導いた脚本こそが、最大の功績ではないだろうか。

 今回の「ジョーカー」であるアーサーの出自については、パンフレットに「母親の妄想」という解釈が公式見解であるかの如く記述されているが、作中では「真相は藪の中」と、含みを持たせて描いてある。
 薬物の影響で主人公の事実認識が揺らいだ描写の入った時点で映画の解釈は迷宮化し、ラストもそれを強く印象付けている。
 パンフの解説をそのまま受け入れる必要は全くない。
 薬物の影響でアーサーの現実認識が揺らぎ、妄想との境が崩れた様は、「ダークナイト」でのジョーカーがその場限りの出まかせをもっともらしくしゃべり続けたこととつながる気もする。

 並外れた「大富豪」を生む社会構造は、必ず過酷な「搾取」と膨大な数の「棄民」の存在を前提としている。
 両者はどちらも単独では存在しえない。
 血縁上の親子関係がどうあれ、困窮する主人公アーサーと、そのネガである犯罪者ジョーカーは、ウェイン家の「落とし子」であり、バットマンであるブルースの「魂の兄弟」であることは間違いないのだ。
 貴種流離譚は時代や地域を超えて愛好されるが、映画「ジョーカー」はその暗黒面か?

 ダークナイトのジョーカーを「邪悪のカリスマ」とするなら、今回のジョーカーは悲しいくらいに「邪悪」ではない。
 結果的に「カリスマ的な位地」に祭り上げられるが、「アイドル/偶像」と言った方が良い。
 主人公の連続殺人者に「邪悪」が欠落し、むしろ祭り上げる周囲に邪悪が生じる様は、マンガ「ザ・ワールド・イズ・マイン」を思い出させる。
 今回の作品は「ジョーカー」というキャラクターの誕生を描く「エピソード0」の体裁であるが、ダークナイトのジョーカーと同一人物には見えない。
 しかし今回のあの「弱く哀しきジョーカー」が、あと何度か、更なる絶望=悪のイニシエーションを経たなら、あるいはと思わせる内容だった。

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 元弱視児童たる私は、昨今の日本における「社会的弱者がさらに弱者を殺傷する」タイプの事件を、この上なく嫌悪する。
 であるからこそ、そうした「棄民の犯罪」が発生する構造に切り込んだ作品は、コロナ禍における日本国政府の棄民が現在進行形である中、きちんと鑑賞して評価していかなければならないと思っている。
posted by 九郎 at 09:43| Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2021年12月28日

映画「MINAMATA−ミナマタ−」

 前回記事で紹介した映画「JOKER」は閉塞感漂う世相が呼び込んで再浮上した作品だったが、この秋公開の映画にも、まさに今観ておくべきものがあった。
 ジョニー・デップ制作、主演の映画「MINAMATA−ミナマタ−」である。



 タイトル通り、水俣病の惨禍をアメリカ人写真家ユージン・スミスとアイリーンの視点を通して描く作品で、制作発表された段階から強い関心を持って情報を追っていた。
 70年代に子供だった私にとって、公害の問題は幼いなりに報道を通して心の奥底に焼き付いており、その後もずっと関心を持っていたのだ。
 当ブログでも何度か水俣については取り上げてきた。

 呪と怨
 「怨」の幟旗、石牟礼道子、公害企業主呪殺祈祷僧団、等。

 「しゅうりりえんえん」
 三年前の石牟礼道子の訃報へのリアクション。

 良い映画になってほしいと公開を楽しみに待つ間にも、続報は流れてくる。
 その中でも気になったのが「6月末に水俣市が上映会の後援を拒否した」というニュースだった。
 報道によると市はその理由を「作品が史実に基づいているのかや製作者の意図が不明で、差別、偏見の解消に役立つのか判断できない」とし、水俣病問題を忘れたいと思う市民の存在にも触れて説明したという。
 一方で、熊本県は後援を承諾したとのこと。

 市の姿勢を単純に批判することは避けたいが、「環境絵本」などの取り組みもしていたことを知るだけに、残念な印象は受けた。
 そう言えば十年ぐらい前、当時の市長から「いつまでも公害のイメージを負わされるのは…」というような意味合いの話を聞いたことがある。
 一応意見としては理解しつつも感じた小さな疑問が、時を経て蘇ってきたように感じた。

 そしていよいよ映画公開。
 観てよかった。
 二時間のエンタメ映画の範疇でこのテーマが描かれたことの価値ははかり知れず、良くできた映画だった。
 エンタメとかフィクションの役割は「香具師」 であろう。
 虚実交えて面白おかしく耳目を集め、そこに一滴の良心、まことを仕込み、種を撒く。
 史実との相違は数あれど、スタッフキャスト共に、それで地獄に堕ちる覚悟は感じられる作品だと感じた。

 ノンフィクションの記録映像ではなく、あくまでエンタメ作品であるので、この映画を元に事実関係を分かった気になってはいけないが、提示された論点は重要だ。
 公害による被害を「しょせん極少数である」として切り捨て、企業の利益、社会の発展を盾に封殺する企業主、国家の姿勢を抉り出したことが重要なのだ。
 全ての公害、薬害、棄民を生む発想の根源がそこにある。


 元弱視児童であり、現絵描きである私の個人の思いとして、常に切り棄てられる少数派側の立場を忘れずにいたいのだ。
 コロナ禍の最中においても、今現実に世界中の人間に突きつけられている視点であると考える。
posted by 九郎 at 23:04| Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2021年12月29日

白土三平「カムイ伝」

 本年後半、劇画の巨匠の訃報が相次いだ。
 10月には白土三平と作画担当の実弟の岡本鉄二、12月には平田弘史が逝去。

 いずれも私の思い入れ深い劇画の巨匠。
 平田弘史については以下の記事を参照していただくとして、

 平田弘史「薩摩義士伝」

 今回は白土三平「カムイ伝」について、過去記事の内容も振り返りながら集成してみたい。
 日本のマンガ、アニメの世界で、リアルな「強さ」「バトル」を前面に押し出し、60年代を牽引した異能の一人が、忍者ブームを巻き起こした白土三平だった。

 白土三平は1932年、東京で画家の父の家に生まれた。
 十代で手塚漫画を知り、成人前には紙芝居の制作を開始している。
 1957年頃から貸本漫画を描き始め、59〜62年には当時としては異例の長編にして初期の代表作「忍者武芸帳」を執筆。
 並行して「サスケ」「シートン動物記」等を執筆し、64年には「ガロ」の創刊と共に代表作「カムイ伝」連載開始。
 他作品のTVアニメ化(68年「サスケ」、69年「忍風カムイ外伝」等)の進行とともに、「カムイ外伝」「ワタリ」と並行して71年の第一部完結までを描き切った。

 児童を含めた男性読者の「強さ」への憧れは、古くから剣豪物語や講談等で消費されてきた。
 白土三平作品の一連の忍者マンガの特徴は、時に残虐ですらある激しい戦闘描写、当時としてはリアルな絵柄、そして「理屈付け」にあった。
 登場する忍者や武芸者は超人的な技や強さを発揮するけれども、そこには必ず(実際に可能であるかどうかはともかく)合理的な解説があり、読者に「現実にあり得る」と納得させるリアリズムがあった。
 強さの描写にリアリズムを追及する以上、あまり空想的なモンスターは登場させられない。
 しょせん個人の「強さ」などたかが知れているという結論に向かわざるを得ず、「本当の強さ」を追求する過程で必然的に「社会と個人」の問題にまで、作品テーマは深化していった。
 その集大成になったのが、70年前後に描かれた「カムイ伝第一部」ということになるだろう。


●「カムイ伝 第一部」
 私にとっては、他のどれよりも本作の印象が強い。
 孤高の抜け忍・カムイの物語としては、アニメ化された「カムイ外伝」の方が、一般の認知度は高いかもしれない。
(実はアニメ「忍風カムイ外伝」の後番組が「サザエさん」だったりする)
 並行して往年の「ガロ」で描かれた本編「カムイ伝 第一部」は、抜け忍・カムイに加えて武士の草加竜之進、農民の正助という三人の主人公が存在した。
 とくに中盤からは正助の比重が増し、ストーリーの本流は壮大な百姓一揆に収斂されていった。
 脇へと一歩引いたカムイの活躍をシンプルに描く場が、スピンアウトして「外伝」になったということだろう。
 子供の頃、既にアニメ化されていたこともあり、この「外伝」の方は私もかなり早い時期から読んでいた覚えがある。
 本編「カムイ伝」に手が伸びたのは思春期に入ってからで、マンガ版「デビルマン」とともに、当時最もハマって読み耽った作品だった。

 主人公を始め、登場するキャラクターたちは、物語の進行と共に多くのものを失っていく。
 失うのは身体の部位であったり、顔であったり、身分であったり、愛する人であったりするのだが、それでも生き残った者はより強く成長していく。
 欠損することでオリジナルを得、失うことで心定まるキャラクター達の生命力に、思春期の私は深く感情移入していた。
 作中の「抜け忍」の孤独や強さに憧れ、感化されたことで、私は中高生の頃の酷い虐待指導をサバイバルできたのだった。

 中二病真っ盛りの読み方にとどまらず、「カムイ伝」は武術や民俗学に関する知識をを一巡した後読むと、更に面白い。
 登場する剣術「無人流」は、作中最強ながら「手段を選ばない魔剣」扱いだったが、描写を見ると「武器術も包含した柔術」と言う感じで、今読むとむしろド真ん中の武術だ。
 極端な遠間か密着でしか戦わず、剣の間合いで戦う他流の技をまとめて無効化するという理屈はかつてのグレイシー柔術の他流試合と同じ構造で、大人になってから読み返すと一々腑におちる。
 農民の生活描写にとどまらない、山民や海民、芸能者等の民俗学的な描写についても、ある程度知識を得てから読み返すとあらためて唸らせられるのである。


 私が思春期に「第一部」を読み耽ってから数年後のタイミングで、「第二部」の連載がビッグコミックで始まった。
 その後90年代を通じて断続的に執筆され、現在は一応「完結」したセットが刊行されている。



 90年代当時の私はこの「第二部」の内容が、正直あまりピンと来なかった。
 壮大なカタルシスのあった「第一部」の印象に引きずられ、いつまでもプロローグが終らずにページだけが重ねられていくような不満を感じていた。
 もちろん、今は全く違った感想を持っている。
 青年から大人に成長した主人公たちは、熱狂や祝祭のカタルシスではなく、淡々と続く日常の中でそれぞれの足場を固めながら、なお「志」を持続させるステージに至っていたのだ。
 年齢を重ねた「かつての青年」が読むべきは、むしろこの「第二部」であろうと、今現在は感じている。


 そして長らくの沈黙の後、2018年4月発売のマンガ雑誌「ビッグコミック」に、白土三平インタビューが掲載された。
 久々の露出、そして久々のカムイのイラストに引きよせられて雑誌を手に取った。
 いまだ描かれぬ「第三部」について、何か情報がないものかと淡い期待をいだいたのだが、主な内容は本人が日々続けているという「狩猟」だった(苦笑)
 インタビューの中で、まだ描かれていない「第三部」についても、最後に質問されていた。
 笑いながら言葉を濁している白土御大だったが、私は「おや?」とかすかな期待を抱いた。
 活きた線で描かれた雀と戯れるカムイのイラストと、第三部についての質問も避けないその姿勢に、「まだ種火が残っているのではないか」と感じたのだ。

 当初の第三部の構想通り「シャクシャインの戦い」を長尺で描くことまでは望まない。
 流れ流れて北の地に至ったカムイが、アイヌの暮らしの中に安息を見出す短編など、叶うことなら読んでみたい……
 そんな空想を楽しんでいたのだが、今となってはそれもかなわなくなった。

 
 閉塞感漂うコロナ禍の世相の中、「一揆」や「抜け忍」について、再び考えることが多くなった今日この頃である。
posted by 九郎 at 23:18| Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2021年12月30日

物語の終わり、終わらない物語

 本年は90年代以来の日本のサブカルチャーをてきた牽引してきた二大作品が、一応の「終結」を見たことでも記憶に残る。
 アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」と、マンガ「ベルセルク」である。
 両作品ともに、70年代のカルトバイブル的なマンガ「デビルマン」へのリアクションとも言える作品だった。
 マンガ「デビルマン」と70年代の永井豪作品については以下の記事を参照。

 70年代サブカルカイザー・永井豪

【劇場版アニメ「シン・エヴァンゲリオン」】
 アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」は95年のTV放映以来、マンガ版や劇場版、劇場版リメイクを重ね、2021年4月ついに「完全なる完結編」が公開された。
 最初のTV放映当時、私は阪神淡路大震災に被災したり、あと色々あってそれどころではなく(笑)、評判を知ってはいたが、ちゃんと鑑賞はしていなかった。
 その頃の私の「二十代半ば」という年齢が、ぴったりハマるには年を取り過ぎ、一周回ってハマるには若すぎるという、微妙な年代だったせいもあろう。
 一応横目に見てはいるけど、作品そのものよりヒットしている社会現象であるとか、「庵野秀明、心の旅路」を見守る関心だった。
(付記すると現在の「鬼滅」も似た感じで、引用元を知りすぎていて本当にはハマれないけど、観察して楽しんでいる)

 きちんと「作品」として向き合えたのはごく最近で、今年の完結編公開に先立ち、無料配信されていた過去三作を視聴したあたりからだった。
 たいへん面白く、そして色々思うところあり。
 十代の少年少女が登場するリアルロボ作品は、やっぱり彼彼女らの日常描写の尺が不可欠なのだが、劇場版になるとそれが不足しがちで、最初のTVシリーズのバックグラウンドがあってこその劇場版なのだなというのが、まず一つ。
 公開当時色々論争された問題の「Q」は、「そらそうよ、こうなりますわな」と思ってしまった。
 どんな形であれ一回燃え尽きた作品を、長い期間を経て「もう一回」と要請されれば、作り手の心象は否応なく作品に映り込む。
 無理矢理作品に引き戻された主人公の困惑と、もうストレートな続編を作ると嘘っぽくなってしまう作り手の心象が噛み合って、あのような世界観の変更になったのだろう。
 最初のTVシリーズの流れを汲む完結編は、今となってはマンガ版で十分なのではないかと思った。
 最初のTVシリーズの時点からその傾向はありましたが、ストーリーと言うより受け手が色々妄想を膨らませるための世界観を提供する作品で、「Q」はそこに特化しているようにも見えた。

 そして4月、コロナ感染の合間を縫って、完結編である「シン・エヴァンゲリオン」を観た。
 公開時の社会状況も含め、「2021年」に刻まれる作品として、観ておくべきだと思った。
 そもそも「新劇場版」シリーズは、「ストーリーの続き」というより「世界の上書き」という構造を持っているので、これまでのエヴァ未見の人も、たぶん単体でも普通に観られるのではないだろうか。
 実体も心象も含めた「風景」描写が素晴らしい。
 キャリアも実績もある監督が、ここにきて心の恥部をさらけ出すような絵作りをしてきたからこそ、刺さるのだと思う。
 そして、さらけ出すだけでなくきっちり消化・昇華しているのがなお良い。
 そこにたっぷり尺を割き、感情表現をどっぷり込めながら、なおメカもアクションも堪能できる。
 最初のTVシリーズから三十年近く引っ張ったキャラクター間の感情にも、次々に決着が付けられていく。
 本当に良かったのは、最後の戦いに赴く前の、アスカの「好きだったんだと思う」という告白だ。
 その一言が言えなかったり聴けなかったりで何十年も引きずっているかつての少年少女の背負った荷物を、少しだけおろしてくれたのではないだろうか。
 アスカはシンジ不在の間戦い続け、眠るシンジを守り続け、完結編の時点では半ば以上「人間」の範疇から外れてしまっている。
 あの一言は、薄れていく人間としての感情の中でも、後生大事に抱きしめていた最後の一欠片だったのではないだろうか。
 そして物語の核心、ゲンドウとシンジの父子の感情の決着。
 ゲンドウのサングラスが飛んで異形化した目が現れた瞬間、なんとなく「勝負あったな」と感じた。
 ついにサングラスをはずしてシンジと目を合わせることはなく、逃げ切ってしまったのだなと。
 人間を捨てることで父親として息子と直接対決することを避けたからには、それで大きな力を得たとしても息子に勝てるわけがなく、逆に救済されてしまうしかないのだなと。
 映画館で鑑賞しながら、「Q」で開けた感情移入の端緒がどんどん拡大し、完結編の「シン」ではじめてシンクロできたのを感じながら、2時間35分の鑑賞を終えたのだった。

 絵描きとして語るなら、やはりとにかく自分の記憶の底に沁みついた「風景」を描くべきなのだなと思った。
 年月をかけて身に付けた技量の全部を傾け、極私的な風景を描くことができれば、それで自ずと普遍に到達できるのだという思いを新たにした。


【マンガ「ベルセルク」】
 完全決着した「エヴァ」とは違う形の終幕を見たのが、マンガ「ベルセルク」で、作者・三浦建太郎の急逝による絶筆という幕切れだった。
 デビュー当時から注目していた、まだそんな年齢でもないマンガ家の死はショックだったし、「ベルセルク」のストーリー上の未完はたいへん残念だけれども、ガッツとキャスカの心の平安は、大方描ききれていたのではないかと感じた。
 壮大な暗黒神話体系を三十年以上背負い、ここまで描ききったことに、惜しみない賛辞をおくりたい。

 この年末には作者による筆の入ったエピソードが収録された「最終巻」が刊行された。



 私は年齢的にも「作品が形としてきっちり完結する」ことに対する拘りは、もうない。
 これまでにも多くの長編の作者が完結前に亡くなってきたし、こちらが作品の完結前に亡くなるかもしれない可能性も見えてきた。
 だから長期間執筆された作品については、ストーリー上は道半ばであっても、作中で主要キャラクター達の「鎮魂」が成っていれば「納得」できる術が身についてきた。
 私にとっての「ベルセルク」は、既にその領域だったのだ。

 当初のベルセルクは「復讐物語」で、その怨念の源泉であるキャスカの地獄が描かれたのが、前半のクライマックス。
 そこから物語は質的に変化して、壊れたキャスカの魂の救済が大きなテーマになったと読んでいた。
 一度壊れたものは二度と「元通り」にはならない。
 ガッツは長い戦いと旅の果てに、その苦い真実を受け入れ、キャスカの魂は曲がりなりにも帰還していた。
 ここまで描かれただけで、私にとっては素晴らしい物語体験だったと思うのだ。
 作者の胸先三寸で「昔のままのキャスカ」の帰還を描くことも不可能ではなかったはずだがが、ぎりぎりまで掘り下げ、リアルに息づいたキャラクターたちの感情が、そうした「作りごと」「嘘っぽさ」を許さなかったのだろう。
 だからこそ、絶筆になったベルセルクの終盤は、あんなにも苦く、美しいのだ。
 ガッツとキャスカ以外の主要なキャラクターについても、それぞれに「バランスされた状態」にはなっていたのではないかと思う。
 それはむしろ、ここから先を描くのが難しそうに感じるくらいで、作者の急逝に驚きつつも、私はどこか「納得」を感じてしまっていた。


 物語の終わり、終わらない物語、人生の終幕について、あれこれもの想う2021年だった。
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2021年12月31日

ネットプラモコンペ「酒餅11PM」

 2021年中もプラモ制作は続けていました。
 あいかわらず80年代旧キットを中心に、「あの頃のやり残し」を解消する心理療法的な何かを試みる感じで(笑)
 
 80年代のあの頃の小中学生もすっかりおっさんになり、同様の志をもつ皆さんも多いらしく、ネットでは各種プラモコンペが行われています。
 私がこの三年ほど参加している「酒餅」というコンペもその一つ。
 初回参加ではありがたいことに賞も頂きました。

 ネットプラモコンペ「酒餅009」

 そして三度目の今年は色んな意味で原点に還るべく、幼児の頃の私が初めてハマったプラモシリーズ、ロボダッチのガマロボで参加。

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 詳しい制作記事は「酒餅」サイトでご覧いただくとしてなんと、松本州平賞をいただきました!
 松本州平先生と言えば、80年代中盤のあの頃、モデルグラフィックス誌上で作例と記事に夢中になっていたことが記憶に刻まれています。
 当時私は中学生。
 先生のゴジラやリックディアス等のキャラクタープラモはもちろんのこと、フィギュアの会話が聞こえてきそうなミリタリーモデルの作例が本当に楽しみでした。
 その先生に自分のプラモに目をとめていただける日がくるとは!
 こんな日がくることをあの頃の自分に教えてあげたいです。
 本当にありがとうございました!

 2022年もまた、プラモ制作は続けます!
posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする