そんな中、遅まきながらマンガ『チェンソーマン』(藤本タツキ)にハマっている。
マンガ『チェンソーマン』1〜11巻
アニメになったことも知らなかったのだが、好きなバンドのマキシマム ザ ホルモンがエンディングテーマを担当したらしいという情報から作品に辿り着いた。
エンディング曲『刃渡り2億センチ』の出来が物凄く良く、原作マンガの序盤だけでも読んで世界観を知り、曲を味わう参考にするつもりで読み始めたら、すっかりハマってしまった。
勢いで既刊十三巻分を一気に読了。
作風でいうと好みそのもので、今まで手に取らなかったのが不思議なくらいだ。
以前ネットで話題になった同じ作者のある作品が「良くない」と感じ、同じ人だとは認識していなかったけれども、そのせいで無意識の内に避けていたかもしれない。
単行本十一巻までで一区切りの第一部完結。
一読、凄まじい傑作だと感じた。
正直、絵や展開は粗いと思う所も多々ある。
しかしそういうマイナスが全て作品にとってのプラスに逆転するのが、良い週刊連載マンガで起こるマジックだ。
下手にじっくり構えて引き伸ばさず、初期衝動のまま突っ走って第一部完結まで描き切ったのが素晴らしい。
おそらく作者自身が「生粋の週刊連載少年マンガ好き」なのだろう。
本当に好きでたくさん読んできて、下手に丁寧になって勢いを失ったり、無理な引き延ばしで終われなくなった残念なマンガもたくさん見てきて、ナチュラルに「俺ならこうする!」というビジョンがはっきりしていたのだろう。
作品自体は第一部完結後、間をおいて再開された第二部連載が続いているが、作者自身による質の高い二次創作、または外伝的なエピソードから語り始められている。
あまり描かれてこなかった「悪魔の存在する世界の一般人の日常」を踏み台に、第一部からの主要キャラがじわりと再登場し、本編へとつながる構成。
第一部が凄まじすぎ、人気マンガ家の先生と言えど、キャリアの中でそうそう描けるレベルではないはずなので、賢明な仕事の続け方だと思う。
完結した第一部を二か月ほどかけてじっくり再読を繰り返し、色々思うところがあったので、感想をまとめてみたいと思う。
以下、ネタバレ上等で書き散らすのでご注意。
【世界観】
マンガ『チェンソーマン』は週刊少年ジャンプ連載としては必ずしも読者に親切な作品ではない。
読者がそれぞれに補完すべき謎や余白部分が多い作品で、そのことが再読や様々な考察を楽しむ余地を残してくれている。
基本的には現代劇として描かれているが、いくつかの点で現実とは違う世界線になっている。
ソ連という国名が残っていたり、携帯端末が見当たらなかったり、TVがブラウン管らしく描かれていたり、喫煙がさほど厳しく扱われていなかったり、日本でも多くの墓標に十字架が使われていたりなど、色々違いがあるようだ。
核兵器をはじめとする様々な世界史上の重要要素が消失しており、その消失には「チェンソーの悪魔」が関与していることが、第一部終盤で明かされている。
第二部に入った最新十四巻の描写によると、時代設定は90年代終盤であるらしく、改めて色々辻褄が合う。
現実と一番大きく異なるのは物質的な肉体を持った「悪魔」が存在することで、この世の人間界と合わせ鏡のような悪魔の世界である「地獄」も存在し、互いに影響し合っているとされる。
作中の「地獄」や「悪魔」の有り様には、現世の人間の想念、とりわけ「恐怖」が反映されるらしい。
悪魔は人間が恐怖を抱く「名前」の数だけ無数に存在し、その名が恐れられるものほど力が強い。
地獄の深奥には「超越者」として、「闇」等の根源的な恐怖の名を持つ何体かの強大な悪魔が存在するが、出現することは稀である。
地獄では常に悪魔同士が闘争しており、中には人間界に転生してくるものもいる。
根源的「超越者」が人間界に出てくることは第一部の時点ではほぼ無かったらしく、人間界と地獄を往還する悪魔達は比較的「格下」で、ある意味「社会性」を持っている。
悪魔が人間界に干渉し始めたのがいつ頃か、明確には描かれていないが、最短でも二十年程度は経っているらしい。
悪魔と人間界の接触が長期に及んだためか、人間の体を悪魔が乗っ取った「魔人」や、稀には悪魔の能力を組み込んだ人間(ここでは「半分悪魔」と仮称する)も存在している。
作中では度々悪魔による殺傷事件が起こっており、中には大規模テロや戦争状態に匹敵する被害もあったという。
そうした悪魔の被害に対抗するのが「デビルハンター」で、大きく分けて民間と公安所属の二種がある。
デビルハンターは基本的には人間で、対悪魔の戦闘力を得るために、人間に友好的な悪魔と契約して能力を借り受ける者が多い。
悪魔の能力を借りるためには代償が必要で、肉体の一部や寿命など、かなり過酷な契約内容を課される。
公安のデビルハンター機関には、人間だけでなく悪魔や魔人、ごく少数の「半分悪魔」も存在する。
作中の「十三年前」にはアメリカで「銃の悪魔」による100万人規模の大量殺戮事件があった。
事件後姿を消した強大な銃の悪魔を捜索して滅ぼすため、世界各国のデビルハンター機関が捜索を続けているというのが、物語のスタート地点の情勢である。
続いて主要登場人物を見ていく。
【主人公・デンジ】
屑父親の虐待を受け、父の死後は孤児となって義務教育すら受けられないままに放置され、ヤクザに騙されて支払い義務の無い親の債務に縛られた十六才の少年である。
唯一の友だちは「ポチタ」と呼ばれる小型愛玩犬のような悪魔で、頭部にチェンソーが生えており、実際にチェンソーとして使うことができる。
ポチタとは数年前、屑父親の死の直後に偶然出会っている。
怪我で瀕死のポチタに自分の血を飲ませて命を助け、代わりに自分を助けるという「契約」をすることで、デンジと小さな悪魔の共同生活が始まった。
その後デンジはヤクザに指示されるままに、ポチタを使って木を切ったり、もぐりのデビルハンターをやったりしてその日暮らしを続けている。
二人でなんとか暮らして行くことで充足はしていたが、悲惨な境遇から脱するための教養を得る機会はない。
長年の虐待やネグレクトから習慣性の無気力状態になっており、作品のスタート地点では債務返済のために片目や一部臓器を売り飛ばされ、健康は損なわれてしまっている。
やがて奴隷労働させられていたヤクザに使い捨てにされ、ポチタもろとも殺害されるが、ポチタが心臓となって合体。
変身してチェンソーの悪魔の力を使える人間として復活し、自分たちを殺したヤクザと悪魔を皆殺しにして借金奴隷生活から解放される。
現場に駆けつけた公安デビルハンター機関の要職、マキマに身柄確保され、以後は公安所属のデビルハンターとして働くようになるまでが第一話である。
デンジの性格は、まわりにまともな大人がおらず、義務教育も受けていない成育歴を反映してか、十六才という年の割には非常に未成熟に描かれている。
欲求は極めて即物的で、他者への共感能力は低い。
ポチタと合体後は無気力状態を脱し、やや明朗さを回復している。
ずっと夢見ていた「普通の生活」に対しては極めて貪欲で、良く言えば率直で嘘がない。
こうしたデンジの性格は「主人公に必要なマンガ的誇張」という面もありつつ、「幼少期からの虐待やトラウマで感情が凍りついている」という解釈もあり得る設定にしてあるのが巧い。
マンガ『チェンソーマン』は、一面では過酷な境遇で凍り付いた少年の心が、様々な戦いや触れ合いを通じて回復する物語なのだ。
作中の悲惨な成育歴そのままでなくても、デンジにシンクロする少年読者がたくさんいるのは理解できる。
見た目はなんでも与えられているようでいて、本当に必要なものには出会えず、自分で何が欲しいかも分からず育った思春期の「魂の迷い子」たちは、デンジが一つ一つ実体験を積み重ねて心を取り戻す様に、みな共感するだろう。
【マキマ】
いきなり最重要のネタバレから語り始めてしまう。
マンガ『チェンソーマン』第一部のラスボスがマキマに確定したのはいつ頃のことなのだろうか?
当初の予定通りなのか、週刊連載マンガ的に「キャラが勝手に動いた」結果なのか、正確な所はわからない。
第一話の登場時から只者ではない雰囲気はあったが、本格的に怖さが出始めたのは、「サムライソード編」での京都からの遠隔呪殺シーンからだろう。
直前の「永遠の悪魔」編でデンジの属するデビルハンター特異四課チームの面々、とくに女性ハンター姫野先輩の存在がクローズアップされた流れを打ち消すように、一気にメンバーをリセットしてしまった襲撃事件は、後にマキマの「黙認」の結果であることが示唆される。
その後のマキマは、常に自ら手を下して物語の流れに介入するようになり、ラスボスのオーラを漂わせ始める。
当初は「銃の悪魔」との対決に向けて盛り上がる構図であったのが、途中からマキマが大きく成長して物語を簒奪したと見るのが順当だと思う。
マキマがふと漏らした意味ありげなセリフの積み重ねが、週刊連載のマジックを発動させたのではないだろうか。
謎めいたマキマの言動を理解するには、彼女がたまに垣間見せる「創作者気質」に注目したい。
後に「支配の悪魔」であったことが判明するが、はじめから他者を完全に自我を失った傀儡にすることは少ない。
多くの場合、個性はなるべく残したまま、ゆるいコントロール下に置いて、やりとりを楽しんでいる節がある。
デンジとの対話で「夢の実現」について、「追いかけていた頃のほうが幸せだった」という述懐にことのほか反応したり、出来が良い悪いに関わらず映画鑑賞を好み、感情移入の機微を楽しんだりする様は、真意が極めて掴みにくいマキマの表出の中でも、意外に本音に近いのではないだろうか。
マキマはその気になればいとも簡単に他者を支配下に置くことができるが、クリエイターの感覚も持っているので、キャラを安易に傀儡にしてしまうと物語が死ぬことも知っている。
そしておそらく、傀儡にされた者は自我を失うことで力も減じてしまうことも知っている。
それでは「つまらない」のだ。
特異四課メンバーとの他愛のない飲み会の翌日、京都に向かう新幹線の車中でふと漏らした言葉も、本音に近いのではないだろうか。
「偉い人達と会いたくない」
「みんな怖いんだもん」
「昨日のお酒美味しかった」
支配の悪魔の自分と等質なものを「偉い人達」に感じ取り、剥き出しの権力志向にはうんざりしながら、無礼講の酒席を愛でる感覚。
マキマは支配の悪魔としてどのような相にあるのか、作中で明確には描かれていない。
頭部に目に付く特徴がないことから「魔人」ではなさそうで、素直に受け取れば「悪魔」そのものだろう。
マキマが支配の悪魔そのものだとすると、最後まで大きく変わらなかったあの年若い人間の女性の姿をどう考えるか?
人間界での支配に特化した結果であった可能性はある。
初手では魅了してコントロール下に置き、一たび敵対すれば凄惨な能力とのギャップで恐怖を植え付ける例が、作中でも数多く描かれている。
人間の姿をとっていることから、デンジ等と同じ「半分悪魔」の可能性も考えられる。
その場合、人間体は何者なのかという妄想も湧く。
本来の支配の悪魔とは別に、あのマキマの姿形を持った人間体があったとすると、どんな人物像が考えられるか?
幼少期から何者かの完全な支配下に置かれ、「ハイかワン」以外の返事が禁じられ、一般社会から切り離された虐待被害者、という可能性が考えられる。
マキマの正体について、「人間側」で早い段階からよく分かっていたと思われるのが、「血の悪魔」が少女に取り憑いた魔人、パワーだ。
普段は極めて傲慢で自己中心的なパワーが、マキマの前に出ると完全に怯え、「優秀で怖い姉にビビった妹」のような態度になることから、関わりがかなり深く長いことが伺われる。
共に眼と髪色に特徴があり、嗅覚が鋭いことも気になる。
或いはマキマとパワーの間には、人間体でなんらかの関りがあったのかもしれない。
(続く)