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2023年06月05日

播州剖判

 播州平野について、『播磨国風土記』にこんな一節がある。
 託賀の郡。右託賀と名づくる所以は昔大人在りて常に勾り行きき。南海より北海に到り東より巡り行きし時、この土に到り来て云ひしく「他し土は卑かければ常に勾り伏して行きしに、この土は高ければ申びて行く。高き哉」といひき。故れ託賀の郡と曰ふ。その踰みし迹の処数々沼と成れり。


 意訳してみると以下のようになる。(大きくは間違っていないはず)
 むかし並外れて大きな人がいて、常にかがんで進んでいた。
 南海から北海にいたり、東から巡って来た時に、この土地に着いて言った。
「他の土地は低いのでかがまり伏して来たが、この土地は高いのでのびて行ける。高いなあ」
 だから多可郡と言われる。
 ふみあとはたくさんの沼に成った。


 足跡が沼に成るくらいだから「大人(おおひと)」はそうとうな「巨人」なのだろう。
 海を渡って南から北へ、そして東から播磨に来て、現在の多可町に至ったということは、神戸大阪方面から印南野を通り、加古川を遡上して小野、西脇を通過したルートだろうか?
 多可郡の「高ければ」に対して、それまで通ってきた土地は「卑(みじ)かければ」と表現されている所に、単に「低い」という以外のニュアンスがありそうだ。
 太古の昔のことであれば、海岸線は今よりずっと北にあり、加古川流域はまだ固まりきらない湿地帯だったかもしれない。

 このあっさり短い記述を「播磨国の修理固成神話」と読む人もおり、そうなると「大人」のイメージもかなり雄大なものになる。
 くらげなすただよえる湿地帯を神話的な巨人が歩き回る。
 あちこちに穿たれた巨大な足跡には水分が流れ込み、その周囲は乾いて固まる。
 巨人の旅によってつくり固め成されたエリアが、広大な播州平野となる……
 
 三十年ぐらい前、はじめてこの箇所を読んだ時、低い土地でかがみ、高い土地で背筋が伸びるのは「逆じゃね?」と思った。
 空の高さが同じなら、高い土地の方が窮屈になりそうに思ったのだ。
 巨人なりの感性なのかなとか、独特のノリの「巨人ギャグ?」などと妄想したりした。

 合理的な解釈では、「湿地帯で転ばないよう腰をひいておそるおそる進んでいく様子」とされている。
 上流に至って土地がしっかりすると、足元の心配なく気持ちよく堂々と歩けるようになったということだ。

 登山などをしている時に思ったこともある。
 普段平地で暮らしていると、空の高さを感じにくい。
 しかし高低差があり、見晴らしがよいところを移動していると、平地と空の間に、どこまでも空間が広がっているのを体感できる。
 我らが「大人」は、山間部に入ってそれと同じように感じたのではないか?

 播州平野はだだっ広い平地が広がるばかりで、せいぜいなだらかな丘陵や、さほど深い森にはならない低い岩山がぼこぼこと点在する程度。
 今ではそれなりに市街化の進んだ地域もあるが、昔から田んぼが多く、そのわりに雨が少ないので溜池や用水路が数多い。
 風土記のあっけらかんとした「巨人伝説」は、そんな風景に相応しく、地元の人間には自然に受け入れやすいのである。

 ずっと前から知っていた逸話だが、最近ふと気になって読み返し、スケッチも描いてみた。

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(クリックすると画像は拡大)


●『風土記』(平凡社ライブラリー)
 風土記はどこを読んでも面白いエピソード満載なのだが、手軽に親しむには現代語訳され、廉価な平凡社ライブラリーがお勧め。

●『風土記』(岩波文庫)
 風土記は日本の古典の中でも最古層に属するが、内容的にはさほど難解なものは無い。より原典に近い雰囲気を感じ取るには岩波文庫版がお勧め。
posted by 九郎 at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2023年06月18日

溜池ハルマゲドン

 今月6月1日から、アメリカザリガニとミシシッピアカミミガメの法律上の取り扱いが変わり、無断放流が禁止になった。
 捕獲と飼育はこれまで通り合法だが、放流が厳罰化されたとのことで、NHKニュース等でも紹介されていた。
 ただ、ニュースや各種解説を見ても「子供がザリガニ釣りを楽しんだ後」の対処についてははっきりしない。
 厳密にいえば「釣ったらリリースできない」になるはずだが、そこはグレーゾーンとしてボカしてあるのかもしれない。

 わが原風景たる播州平野は、往古の播磨国風土記の記述にもある通り、田んぼだらけのわりに降水量が少なく、溜池や用水路だらけの土地柄である。

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 私が子供の頃の70年代は、件のアメリカザリガニやミシシッピアカミミガメをはじめとする外来生物が、どんどん広まる時期にあった。
 当時すでに私たちが「ザリガニ」と呼んでいたものはほぼ100%アメリカザリガニであったし、ミシシッピアカミミガメのかわいらしい幼体が「ミドリガメ」と称して縁日の夜店などで盛んに販売され、飼いきれなくなると近所の池などに悪意なくどんどん放流されていた。
 80年代に近くなると、ルアー釣りブームとともにブラックバスやブルーギルが次々と無断放流で広がっていった。
 大人たちは多少その異様さを感じていたと思うが、私たち子どもにとっては在来の魚類や水棲昆虫とともに「普通に生息している」生き物であった。

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 フナもコイもいるし、雷魚やブラックバス、ブルーギルもいる。
 両生類にイモリもアマガエルもトノサマガエルもウシガエルもいる。
 水棲爬虫類ではイシガメもクサガメもミドリガメもいる。
 岸近くには水生植物が繁茂し、水棲昆虫が生息していて、トンボやイトトンボも飛び回っている。
 私たち子どもは大いに釣りや虫捕りに精を出し、駆け回っていた。
 それが普通の風景だったので、ずっとそのまま続くと思っていた。

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 しかし、そんな風景は長くはもたなかった。
 2000年代に入った頃には、近所の溜池の多くは様変わりした。
 植物はなくなり、ドロッと濁った水にコイとミシシッピアカミミガメだけが泳いでおり、たまにザリガニ釣りの子供が散見される程度。
 他の生き物はほぼ姿を消した。
 アメリカザリガニ、アカミミガメにコイも加えた外来生物三種は、雑食で極めてしぶとく繁殖する。
 一時期猛威を振るったブラックバスやブルーギルは「捕食者」なので、エサがなくなれば早々に姿を消すのだが、雑食生物は始末が悪い。
 池の植物まで食べつくしても、近所の人のエサやりなどがあれば、そのまま増え続ける。
 かくして播州平野のかなりの溜池や水路は、最終的にこの三種の天下となり、他の生物は消滅していく。
 元の多様な生物相を復活させるには、「無断放流の禁止」だけでは全く足りず、積極的な駆除が必要ではないだろうかと思う。

 団塊世代とそのジュニア世代前後(私も微妙にそこに引っかかっている)は、あまりに無邪気に原風景すら消費しつくしてしまったのだ。
 そしておそらく、消費しつくし、後に何も残さなかったのは、溜池の原風景についてだけではない。

 つらつらそんなことを考える、出生率1.26の今日この頃である。
posted by 九郎 at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする