宮崎駿監督最新作『君たちはどう生きるか』を、割と公開直後に観た。
公開当初、大方は「観る人を選ぶ作品」という世評の中、私は普通に「宮崎駿の最高傑作」だと感じた。
とくに創作を志すタイプの若い人には観てほしい作品だった。
事前情報が無く、公開後もしばらくはネタバレ無しが推奨されていたけれども、確かに白紙状態が望ましく、エンタメのテンプレや、なんなら監督名とか会社名も邪魔になるかもしれない。
この作品のマイナス評価というのは、多くの場合、監督名や会社名に対して期待するものとの落差から生じているのではないかと感じた。
マルチバースやパラレルワールドの世界観が一般化した2020年代の今だからこそ制作できたともとれるが、どちらかというと昔ばなしや神話、異世界譚をアニメ化していた50年前、それこそ宮崎駿の活動初期のアニメに先祖返りしているともとれる。
以下、感じたところをメモしておきたい。
https://amzn.to/4dsEKfh
●アニメ『君たちはどう生きるか』
この作品、初見で私は「十四歳の魔境」を描いた物語ではないかとみた。
主人公・眞人(まひと)の年齢は、作中では明示されていないはずだが、順当に受け止めればその心象は思春期に入った直後と感じられた。
時代設定は第二次世界大戦中なので、当時の学制でいえば、尋常小学校高学年から旧制中学1〜2年あたりの年齢であろう。
声変わりし、日々変化していく自分の心と体を持て余す年代ということは間違いない。
作品冒頭、入院中の母が火災で亡くなっており、そこから一年後、父親とともに新しい母夏子の実家に引っ越し、転校した時点から物語は始まる。
眞人の心の問題は早すぎる母の死に端を発しているが、父や新しい母との関係が、それを拗らせている。
若く美しいまま炎にまかれた母ヒサコの死を、眞人がまだ受け入れられない状態で再婚した父。
しかも相手は亡くなった母の実妹である。
父・勝一は若くして軍需産業で成功した有能な実業家らしく、快活で裏表は無さそうだが、身内の微妙な心情を理解できそうなタイプではない。
亡妻の妹との再婚というのも、もしかしたら勝一なりに息子に配慮した選択なのかもしれないが、実際は眞人にも、そして懐妊している夏子の心情にも、裏目に出てしまっている。
思春期の入り口に立った少年にとって、亡くなった母と同じ顔をした母の美しい妹が、父の配偶者として目の前に立つという状況は、「ごく普通に自然に過ごす」には難易度が高く、手に余ってしまっている。
新しい母に罪がないのは分かっており、申し訳ないと思いつつも、心に壁を作ってしまう。
亡き姉への責任感もあり、なんとか眞人とうまくやっていきたい夏子も、頑なな息子の態度になす術がない。
勝一はそうした新しい母子の間の微妙な空気は読めないらしく、忙しく事業に取り組んでいる。
決して家庭を放棄した仕事人間というわけではなく、眞人が学校でトラブルに巻き込まれた際には問題解決に奔走している。
力の及ぶ範囲では極めて有能だが、目の前の妻と息子の心情は全く読み取れないタイプなのだ。
眞人も父親には一定の敬意は持ちつつ、自分の精神面への理解は一切期待していないようだ。
自然豊な夏子の実家で、互いに悪意はないままに、眞人と夏子の心情は行き場を失って閉塞していく。
行き場を失った少年の逃亡先になれる場として、屋敷の「裏山」が視界に入ってくる。
眞人は自室の窓から目撃した奇妙な「鳥」に導かれるように、自作の武器を手に、じわりと「裏山」へ分け入っていく。
裏山にそびえる封鎖された無人の塔。
身内の伝説的な人物「大叔父」にまつわる不思議な逸話。
気の病にとらわれ、裏山へ入って「神隠し」に巻き込まれる夏子。
実母・ヒサコも過去の少女時代に同様の神隠しにあったことがあるという。
じわりじわりと家系の秘密が明かされていく。
眞人は継母を救うための旅に出て、物語はここからめくるめくファンタジー展開に入っていく。
ロジカルな設定や筋書きを追うことが意味を持つのはここまでで、異世界譚に入って以降は、畳みかけるように展開されるイメージの洪水に、ひたすら没入していくことになる。
異世界転生譚として鑑賞することもできるし、孤独な少年が裏山で観た幻想、心の中の旅路ともとることができる。
眞人の傍らには常に眞人を異世界に誘い込んだ奇妙なサギ男、青サギがいる。
そして助力者として現世で縁のあった老女の若き日の姿もある。
神隠しになった新しい母夏子の行方を追う過程で、実母ヒサコとも出会うことになる。
同年齢の少女の姿で現れた母は、この異世界では炎の化身ヒミであった。
火は母を決して傷つけず、むしろ火は母を守護し、使役される力で、眞人に助力してくれる。
ともに冒険する過程で、眞人の「火災で焼かれた母」の悲惨なイメージは昇華されていく。
異世界からはたまに現世が垣間見えるのだが、そこでは父勝一が懸命に自分を助けようと、(全く的外れではあるが)奮闘している姿がある。
その奮闘は、残念ながら眞人の異世界での戦いにはなんら貢献していないのだが、「父は自分を決して見捨てず、懸命に救おうとしている」という信頼感は、眞人に与えたようだ。
父親といえども所詮他人、自分のことを本当には理解してくれないけれども、役割を果たそうとする姿を認めることはできる。
そんな「親離れ」の形があってもよいと思わせる。
異世界探訪の果てに、眞人は家系の因縁の出発点である大叔父と対峙する。
大叔父は現世に出ることを拒否した眞人であり、眞人は現世に戻ってこられた大叔父だ。
終末に向かう他ないどうしようもなく混濁した現世で、少年は自分も汚濁にまみれながら生きることを選択する。
新しい母を取り返す任務を果たした眞人は現世への関門をくぐり、炎の化身ヒミも、最後は炎で焼かれることを知りながら、眞人を生むため過去の時制の現世に。
悲嘆で崩されたバランスは、その悲嘆をリセットするのではなく、新たな意味を上書きすることで回復され、物語は閉じていく。
現世ですでに起こってしまったことはもう変えられないが、現世とは違う価値観、異界の物語を通すことで、受け入れられる可能性が開かれる。
劇場の画面からイメージの洪水を浴びながら、遠く過ぎ去った自分の思春期を様々に振り返る、濃密な映画鑑賞になった。
魔境に足を踏み入れた十四歳は、武器を作って裏山に入り、さまよい、結界を張って机の下で眠るものだ。
はるか昔の自分とも重なるイメージの断片の数々に、あの頃のことを懐かしくも痛く思い出した。
いつの時代も一部の少年少女には、逃げ込める「裏山」が必要だ。
しかし今の子には武器を作るための使い込まれた肥後守は無いし、身近に裏山的な空間もない。
文字通りの「神隠し」になれる時代ではないが、この世に疲れ傷ついたなら、一人隠れて傷を癒せる物語を探せばいい。
そのためのツールや、膨大なフィクションなら、存分に用意されている現代である。