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2024年01月10日

能登半島は明日の日本

 2024年は元日から能登半島の大震災で幕を開けた。
 29年前に阪神淡路で被災した者として他人事とは思えない。
 幾多の自然災害を経てもなお、いまだに被災者を体育館で雑魚寝させ、一向に省みるところのない国や自治体の体たらくに憤る日々である。
 今週あたりから避難所生活の不便に感染症の危険が重なってしまうだろう。
 これも自然災害で毎度繰り返される行政の不作為である。
 国民負担率が五割を超え、六割に迫ろうとするのに、文化教育、医療福祉は削られるばかりで、災害被災者すらまともに救わない。
 そのくせ国や自治体与党と癒着した業界には湯水のごとく税金を注ぎ込み、一般庶民は困窮する。
 腐れ切った斜陽国家である。

 今回の震災の報道を追いながら、北陸の地理についてあまりに知らないことを痛感し、理解のための絵図を描いていた。
 ざっくりした覚書程度のものなので、絵図上のそれぞれの地域の皆さんにとっては変に感じるところも多いと思うが、ひとまずの模式図としてアップしておきたい。

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(クリックで画像拡大)

 構図としては能登半島を中心に、日本海側から関東、中部、関西までを視界に入れてある。
 突貫で作成したので自動車道は入っていないが、JR各線と新幹線は表記してある。
 こうしてみると北陸は、関東、中部、関西の三エリアから、いずれも「近くは無いがほぼ等しくアクセスできる」位置にある。
 本来であれば、公的な支援やボランティアが、広く見込める地域であることは確認しておく。
 石川県は歴史的には加賀と能登が統合されたもので、今回の主な被災は能登の範囲。
 能登半島と接する石川県の加賀や富山県までは交通の寸断は起きておらず、今のところ観光も通常通り行える状態だ。
 震災後の一月二日に報じられた渋滞は、主に例年通りのUターンラッシュと、地震の報を聞きつけた親族が急遽駆け付けたためであった。
 その後目立った渋滞は起きておらず、「迷惑なボランティアの殺到による混乱」なども一切起こっていない。
 むしろ被災地は切実に人手を欲している。
 阪神淡路大震災の被災者で、3.11の原発震災の顛末を追ってきた身としては、国や自治体のアナウンスをそのまま無邪気に鵜呑みにはできないのである。
 
 北陸は戦国時代から念仏信仰の篤いい地域だ。
 とくに加賀は「百姓の持ちたる国」として、一向一揆勢が百年近く自治したお国柄で、今回の震災でも「お東さん」は、いち早く動いていると聞く。

 能登半島を含む北陸は、原発地域だ。
 福井県若狭湾は国内最大の密集地であるし、石川県の志賀、新潟の柏崎刈羽も抱えている。
 巨大地震でかなり損傷を受けたと思しき志賀原発に関する報道は、かなり制限されていると感じる。
 深刻な臨界事故を二十年以上隠ぺいしてきた「前科持ち」の原発である。
 五月雨式で訂正され、刻々と深刻さを増す情報が、不気味極まりない。
 能登半島の首元で敷地内に断層が走っており、もともと「何か事故があったら半島の住民はその原発に向かって逃げなければならない」という、きわめて悪質な立地であった。
 長期停止中であったことは不幸中の幸いという他なく、稼働中であれば3.11以上のカタストロフになりえただろう。
 まして、珠洲原発計画が反対運動で葬られていなかったら、いったいどうなってしまっていたことか。

 被災者の皆さんの困窮は災害列島に住む私たち自身の明日の姿、原発という時限爆弾を抱えて逃げ場のない能登半島は日本の縮図である。
 注意深く情報を追いたいと思う。
posted by 九郎 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする