五木寛之は好きな作家の一人で、折に触れ読んできた。
今回の能登半島の震災報道で挙がってくる地名を見るうちに、いくつか思い出した五木作品があった。
未読のものもあったので、この機会に開いてみた。
●五木寛之『内灘夫人』
内灘夫人 (新潮文庫 い 15-1) - 五木 寛之
1969年作。
50年代後半からテレビやラジオの仕事等を経験し、60年代半ばから金沢での小説執筆、作家デビューなので、初期作の一つということになるだろう。
私は主に90年代以降の五木作品読者なので、初期作はまだ読んでいないものがけっこうあり、この作品もその一つ。
読もうと思い立って探してみたが、現在新本では入手困難のようだ。
五木寛之クラスの作家でも、よく知られた作品が新本で手に入らない出版不況を感じつつ、図書館で探して借りた。
60年代後半に盛り上がりを見せていた学生運動が時代背景なっており、世代であれば感情移入のポイントであろうけれども、私も含めたそれ以外の世代でも作品に入り込める要素はある。
主人公霧子は三十過ぎ。
戦後50年代の学生時代に、石川県の米軍試射場反対運動「内灘闘争」を経験している。
全身全霊で運動に打ち込み、感情のピークを経験した結果、心身に大きな傷を負っている。
ともに戦った伴侶とともに、現在は経済的には恵まれた生活をおくれているが、心の空洞を抱えながら都会の夜で衝動のままに放蕩し、何かを探すように彷徨っている。
たまたま出会った現役で戦う全共闘世代とのかかわりの中で、霧子は運動にかける若者の夢や残酷さを追体験しつつ、過去の記憶に刻まれた金沢、内灘を巡る。
そして傍観者であることを踏み越えていく……
政治運動と限定しなくとも、二十歳前後で何かに打ち込み、挫折した経験のある者であれば、誰もが引き込まれるだろう。
そこまででなくとも、三十代、四十代などの節目に、ふと「このままでいいのか?」という自問が生じる時期にある者には響く作品であるはずだ。
三十歳を超えたあたりというのは、本人の心の中では「若い自分」というものが喪失したように感じられ、何もかも手遅れになってしまったように沈みがちなものだ。
しかし五十歳を超えて振り返ってみれば、三十歳など大した節目でも何でもなく、そこからのスタートで全く問題ないとわかる。
四十歳でも同じようなものだ。
論語でよく知られる「三十にして立つ、四十にして惑わず」という表現は、自分が五十になってみるとよくわかる。
ここから先も、「振り返ってみればそこからスタートで全然かまわない」ということが繰り返されるのではないかとも思う。
内灘に還り、その土地でともかく体を動かして働くことで再起をはかる、今の私から見れば眩しいほどに若い三十過ぎの霧子を、心の底から祝福したい読後感が残った。
そして作中の時代設定から半世紀以上。
霧子はもちろんフィクションであるが、もし実在して存命であれば、現在九十歳前後だろうか。
内灘の避難所の一画で、その場でできることを、しぶとく差配している女性の幻想が浮かんできたりもする。
著者はデビュー前後の時期に金沢で生活していたことに加え、戦後すぐの「内灘闘争」についても実際に足を運んでその盛り上がりを体験したという。
その運動の最中、「真宗王国」と呼ばれる北陸の庶民の連帯の力についても感じるところがあったのだろう。
後年の著作では、現在の真宗の礎を築いた本願寺八世・蓮如をテーマにしたものが多くある。
北陸に限定すれば、『日本人のこころ』シリーズのうちの『一向一揆共和国』、また『百寺巡礼』のうちの第二巻がそれにあたるだろう。
隠された日本 加賀・大和 一向一揆共和国 まほろばの闇 (ちくま文庫 い 79-7) - 五木 寛之
百寺巡礼 第二巻 北陸 (講談社文庫) - 五木 寛之
日々のニュースで流れる地名の多くが、上掲二冊の中で、歴史とともに紹介されている。
戦国時代前期の蓮如の活躍により、日本各地で一向一揆は燎原の火のごとく燃え盛り、中でも加賀は「百姓の持ちたる国」として百年近く自治が行われた。
戦国末期の最終決戦である石山合戦でも、加賀を中心とする北陸門徒の力は、大坂の本山を強力にバックアップした。
加えて北陸は日本海交易の玄関口であり、豊かな文化の花開く先進地域でもあったのだ。
この度の能登半島の震災に際し、現地の一日も早い救済を祈念するとともに、かの地の歴史についてももっと学びたいと思った。
手始めに三冊読んでみてスタートを切った2024年である。