うちは父方が祖父の代から真宗僧侶で、寺ではなかったが地域の門徒の公民館的な「教会」とか「道場」と呼ばれる寺院風の家屋の管理をする「衆徒」だった。
祖父の死後は父が得度し、法務を継いだ。
父の代にはその教会もなくなり、同じ地域の寺院の衆徒として、公務員と兼業で法務をやっていた。
このあたりの事情については、何度か記事にしてきた。
私の得度についてはさほど強くは勧められず、結局継がなかったのだが、仏教に対する興味はそれなりに持っていて、たとえばこのようなブログを続けている。
父はまた、若い頃から反権力で、社会的弱者側に立つ人でもあった。
そうした反骨精神とともに、継げるものは継いでいきたい。
家の宗派のことは、慌てることはなく、なんなら一生かけてゆっくり考えればいい。
別に考えなくてもいいが、家の宗派について考えることは、自分について考えることにつながると思っている。
せっかちで合理を好む父の遺志により、葬儀には旧知の所属寺院住職を呼び、参列は近親中心の簡素なものになった。
父方祖父母の時のように多人数を集めて三部経その他を全部やる葬儀も、私は実は嫌いではない。
普段会わない縁者と会い、普段読まないお経の節回しを体験できる良い機会だったと思う。
ただ、少子高齢化のこの御時世、もうそれをやるには人手と負担が過大に成りすぎた面は否めない。
うちは父方母方一同、形式ばらない庶民的な雰囲気で、内心の哀しみはともかく、葬儀や法事でもことさら湿っぽくせず、たまの親族の集まりとして「歓談」するのが常だった。
陽性で社交的だった父もずっとそのようにふるまっており、今回もみんな変わらずそうした。
生前の父の意向で、葬儀以降の法事のお勤めは、基本私がやることになった。
法事を家族でやるのは、昨今とくに珍しくはないらしい。
僧侶ではないので本格的なことはできないが、「こいつにやらせておけば、興味を持って調べ、できることはやるだろう。この際勉強せよ」という意図のはずで、実際そうしている。
父は当ブログの読者でもあった。
あらためて調べたことなど、ぼちぼち覚書にしていきたいと思う。
その後も身内の訃報が続き、日々『白骨の御文章』を口ずさむ春である。
【白骨章】
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、 まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず一生過すぎやすし。 いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。 われや先、人や先、今日ともしらず明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。 すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。 さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて、夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。 あはれといふもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。
