自分の経歴や仏教についての考えを書いたもので、いずれ冊子にまとめたいと希望していたという。
晩年は持病もあってPC操作が困難になり、結局完成はしていなかったのだが、それなりの分量のデータがあった。
未完の執筆分に、別に公開していたweb日記から抄出分を加えて補完すれば、一応完結した形になりそうに思えた。
不肖の長男であるが、手製本の同人誌なら作り慣れている。
せめてもの供養に、四十九日を目途として、身内で読める仮冊子にしようと思い立った。
その編集過程で「少し不思議」と思えることがあったので、覚書にしておく。
父の手記は、ある程度まではまとまったデータがあったが、私の使っていない編集ソフトのファイル形式だったので、開いて編集可能にするまでに多少手間取った。
その間に父が書いた他の原稿のデータをコピペしていて、この十年ほどやったことが無いような初歩的なミスで消してしまった。
「やれやれ、最初からやり直しか……」
少々うんざりしながら、同時進行でようやく開けた執筆分のデータを読んでみると、消してしまったあたりはもう父がまとめ済みの内容だった。
なんとなく、父に「そこはもうええから」と言われたような気がした。
父は元々執筆活動は好きで、文章力もあったのだが、徐々にPC操作が困難になる晩年の作なので、校正すべきと思える所は多々あった。
もう本人の意向は確かめられないものの、書いたからにはできるだけ読んでほしいと思っているはずなので、編集を通したら当然求められるであろう程度の修正は入れることにした。
未完の章のどこまでを収録すべきかということも迷った。
かなり力を入れて書いているが、途中までで出すべきではないと判断した章もあった。
その章の削除はプリントアウトする寸前まで迷っていたのだが、念のため父のPCを最後に確認してみると、たまたま開いたファイルに「〇章は削除」という指示が明記してあるものが見つかった。
ここでも「編集方針はそれで合っている」と、父に言われたような気がした。
晩年の父は「法事等は長男にまかせるように。見えないだろうけれども自分はその場にいるから」と言い残したという。
父は若い頃から組合の闘士で、せっかちで迷信嫌いの合理主義者で、霊現象やオカルトは完全否定していた。
そんな父の中で、僧侶としての阿弥陀の浄土や親鸞の言説への信心がどのように同居していたのか、あらためて聞いたことはなかった。
この半年ほどの間に言い遺されたこと、あったことは、今後も色々考えて行きたい。
真宗僧侶子弟の私は仏教その他に関心があり、経典の類を読み、資料を漁り、時にはこのブログで紹介している。
同時に絵描きなので、そのままの受け売りを「表現」として採用することはない。
自分の頭と手を通して身についたものだけ採用する。
現時点での私は、近代美術の徒として基本的に唯物論である。
ただ、絵描きであるので、感覚や認識の領域で様々な「不思議」が起こることは知っている。
その延長線上に自分なりの「浄土」や「還相回向」は見えてくるのかもしれない。
そんなことを考える春だった。
(「出立の春」了)