70年代生まれの私たちは、その活躍を初期から順にリアルタイムで追ってきた世代にあたる。
80年代初頭に『Dr.スランプ』のヒットがあり、友達が熱心なファンでコミックを集めていた。
小学生当時は「この作品はあいつ」みたいな感じで、それぞれ集めている単行本の分担があって、私は『じゃりン子チエ』担当だった。
その後も中高〜学生時代を通じ、それぞれの年代で身近に「ガチの鳥山ファン」がいて、私が担当ではない状態が続いた。
中高生の頃に自覚的に絵を描くようになり、人気作品の模写なども熱心にやっていた私だが、手元に現物として絵が無いと、やはり影響は受けにくくなる。
かくして「かなりの鳥山ファンなのに絵柄の影響は受けない」という、私としては珍しい状態になった。
鳥山明の絵の凄さを挙げだすと切りがない。
80年代前半、マンガの作画レベルは目に見えて向上していったが、基本的には「従来の平面的なマンガ絵にリアル描写を盛っていく」という方向だった。
見た目は「リアルっぽく」なっていたが、写実デッサン的な意味ではさほど立体が描けておらず、空間も出ていない絵が多かった。
それまでとレベルの違う立体感や、奥行きのある空間が持ち込めていたマンガ家はそんなに多くなくて、鳥山明、大友克洋、宮崎駿あたりが飛び抜けていた。
三人とも模型趣味があり、立体物を日常的に触っていたことと無関係ではないはずだ。
私が子供の頃から注目していて、技術的になぜそうなるのかいまだによくわからないのが、「スクリーントーンをほとんど使わないフリーハンドのモノクロ絵が、なぜかカラーに見える」という点だ。
仮説として、80年代にマンガ家の多くが「マンガ絵に写実描写を取り込む」という方向をとったが、鳥山明は逆に「写実をデフォルメマンガ絵に落とし込む」という方向だったのではないかと思った。
マンガで立体感や写実表現を取り入れれば取り入れるほど、「モノクロなのにカラーに見える」という感覚は薄れていきがちだ。
鳥山明は「マンガ絵の範囲内での立体感」を追求して、写実にはあまり踏み込まなかったことに、なんらかの解がありそうだ。
訃報後に再刊された画集を見ながら、あれこれ考えている。
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●週刊少年ジャンプ特別編集
鳥山明スペシャルイラストレーションズ『鳥山明 the World』
いま鳥山明のマンガを読み返すなら、初期作や短編が良い。
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●『鳥山明〇作劇場』1〜3
デビュー当初から立体感や奥行きのある空間はもう描けていて、『Dr.スランプ』連載中に絵がどんどんこなれ、見た目はむしろシンプルになっていったのだなと再確認。
また『鳥山明のHETAPPIマンガ研究所』を再読してみると、小学生向けのマンガ入門の体裁をとりつつ、意外に高度な絵作りの秘密が明かされていて興味深い。
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●『鳥山明のHETAPPIマンガ研究所』
昔から鳥山作品はジャンル分けが難しいと思っていた。
代表作のドラゴンボールで「バトルマンガの王様」になってしまったが、初期からの読者はそれが本筋ではないと知っていたはずだ。
今思い返すと「独自の世界観」をオリジナルデザインで絵解きするタイプの、80年代以降の潮流を先取りした表現者だったのだとわかる。
悟空の子ども時代にあたる初期の『ドラゴンボール』は鳥山作品本流の異世界冒険絵巻で、成長して天下一武道会で初優勝するところまでで、実質的な一旦完結したのだろう。
それ以降バトルマンガ化した『ドラゴンボール』が嫌いだったわけではない。
フリーザ編などは、もう大人になっていたにも関わらず、週刊連載マンガを追ってきた中でもトップクラスに興奮した。
しかし連載が進むほどに(作品自体は素晴らしく面白いのだが)、鳥山明本人の好みから外れていったのは確かだろう。
純粋に楽しんで描いていたと思しき緻密なSFタッチの扉絵やオリジナルメカがどんどん減っていったことからも、それはうかがえる。
後に『SAND LAND』を読んで、「ああ鳥山先生、やっと描きたいものを好きなように描けたんやなあ。良かったなあ」と思った。
アニメ化の際に作中に登場する1/35戦車がプラモで発売された時も、「先生よろこぶやろなあ」と思った。
昔からモデラーとしても実力を知られていたのだ。
昨年の突然の訃報にまず思ったのは、「先生、戦車のプラモ作れたんかな?」だった。
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●マンガ『SAND LAND』
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●『1/35 SAND LAND TANK 104』

どの鳥山作品も読むとただただ面白く、そして年月が経って再読してみると大人の深読みにもたえる。
ある意味、良質の児童文学ではないかと思う。
(続く)