そうした風景を団塊ジュニア世代の私が直接見聞きしているわけではない。
しかし、北杜夫『どくとるマンボウ青春記』に代表されるような、親世代より上の方々の創作物のおかげで、わりと強く旧制高校の在り様は刷り込まれている。
また、昔通っていた私立中高一貫校が「旧制高校の校風を今に伝える」というコンセプトだったので、比較的イメージが湧きやすかったということはあるかもしれない。
中一の頃の担任の英語の先生が、確か大学で西洋哲学を学んだ人だった。
当時は今よりカリキュラムがずっと緩く牧歌的な時代だったので、たまに一時間ぐらいは授業を雑談で済ませてくれることがあった。
ある日その先生の授業中に「哲学ってなんですか?」とうまくのせることに成功し、英語の時間が即席哲学入門に変わったことがあった。
あの雑談は今思い返すと、「我思う故に我あり」のデカルトの紹介だった。
そんな成育歴があるせいか、その後も長らく「哲学」という言葉には、夕闇迫る教室の窓辺で一人読書しているようなイメージがあった。
四十年以上経って、それが一変する本に出合うことになろうとは、思いもしなかった。

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●『史上最強の哲学入門』飲茶(河出文庫)
中高生でも手を出せる哲学入門としては、文字通り「最強」ではないだろうか。
西洋哲学史と『バキ』という絶妙な組み合わせを発想した時点で、もう面白くなることが確定したような本である。
一応説明しておくと『バキ』シリーズとは週刊少年チャンピオンの連載マンガで、その主人公が範馬刃牙(はんま ばき)という十代の少年だ。
東京ドーム地下闘技場を中心に世界の強者が集い、「強さとは何か?」について、己の肉体と技術と思想をぶつけ合うバトルが、もう四半世紀ほど描かれ続けている。
先人の思想を打ち倒し、乗り越え、認識の領域を拡張してきた西洋哲学は、言われてみるとまさに『バキ』の最強トーナメントの世界観そのものだ。
もちろん元ネタを知っていればより楽しめるが、『バキ』未読でも十分楽しめるのが凄い。
一読してみて、およそ体育会系とは縁遠いテーマだった「哲学」のイメージは塗り替えられ、西洋哲学の巨人たちのビジュアルが、表紙絵のような絵柄に劇的に変換されていくのを感じた。
総勢31人、古代から現代までの哲学者を紹介してあるので、一人一人の思想はもちろん概説だ。
この本の肝は「幾多の哲人が先人の思想をどう乗り越えたか」という、大きな流れを追うことにある。
エンタメの筆致で「大きな流れ」を一通り知ることで、個別の思想に入るきっかけを得られるのだ。
今回とくに「第二ラウンド 国家の『真理』」で繰り広げられる「国の統治の在り方」をめぐるバトルは、手に汗握りながら読んだ。
思想が政治を先導し、中世近世の名残を破壊しつくし、力づくで近代をもぎ取った時代があったのだ。
新自由主義が世界中で「公共」を破壊しつつあるまさに今現在、読むべき内容であると感じた。
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●『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』飲茶(河出文庫)
東洋哲学を扱ったこちらも無類に面白いが、前著の西洋哲学編とは少し趣が変わっている。
目次を一見すると13人しか登場せず、前著の31人と比べて「少ない?」と思ってしまったが、読み始めてみると人物以外の歴史的背景にけっこうページを割いてあるので納得。
また、「最強トーナメント」形式でないことも、すぐに納得した。
これは元ネタの『バキ』が、「最強トーナメント編」終了後、「最凶死刑囚との路上バトル」に移行したのとシンクロしているのだろう。
強さがインフレしがちなバトルマンガは。どこかの時点で「パワー比べ」が相対化され、強さの尺度が多様化する。
東洋哲学を描くには、地下闘技場という限定された条件下の「格闘技」より、時と場所を選ばない「武術」の方がよく似合うのだ。
中国や日本の哲学の初心者向けの解説書はたくさんあるが、古代インドの哲学をここまでエンタメ化できた本は珍しいのではないだろうか。
前著西洋哲学編と合わせ、是非『バキ』の絵柄でのコミカライズが見てみたい。