2008年06月12日

南無地球菩薩

 西村公朝著「仏の道に救いはあるか―迷僧公朝のひとりごと」に、以下のような一節がある。



たとえば、諸々の仏たちの中で、地蔵菩薩は、弥勒の時代がくるまで頑張って人々の救済に当たるといっておられる。
そして今も現に、現世で人々を救い、地獄では閻魔に変身して亡者を救っておられる。
この地蔵菩薩を先にいった三身の説で考えると、地蔵菩薩とは報身であり、その法身は土ということである。
つまり土は、この地球の本来の本質であり、この丸い形そのもののことである。
だから私たちが、地球に住いしているということは、土の上にいるということであり、お地蔵さんの身体の上で住いしているということである。
また私たちは、土からできたもの、米、いもなどを食べて生かせてもらっている。
つまりお地蔵さんの身体から産み出されたものを食べて生きている。
またお地蔵さんから生まれた樹木を切り取り、組み合わせて住居とし、お地蔵さんから掘り出した鉄やコンクリートでビルを建てている。
このように私たちは、お地蔵さんの身をけずり取って生活しているのである。
そのお地蔵さんが、弥勒の時代になるまで頑張るといっておられることは、この地球の本質の形は続いていくということであろうか。
(第2章「仏たちの苦行」より引用)

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 お地蔵さまが「地球」であるという発想に、胸を突かれた。

 お釈迦様が涅槃に入り、弥勒菩薩が下生する56億7千万年後までの無仏時代に衆生を救済するのがお地蔵さま。
 様々なお地蔵さまにまつわるエピソードに接してみると「救済」というよりは「同じレベルに降りてきて苦しみに付き合ってくださる」と言う方が適切かもしれない。
 地球も、その上に生きる衆生と、太陽系の寿命が尽きるまで、ただただ付き合ってくれるだろう。
 
 私は率直に言って「地球に優しい」という、よく耳にするエコの表現はあまり好きではない。人間は地球に対して、優しくしたり厳しくしたりできるほどの存在ではない。
 よく使われる「地球環境の破壊」と言う表現はしょせん人間本位のものであって、人間が破壊しているのは「人間にとって都合の良い環境」だ。それは「害虫・益虫」という表現と同種の発想で、虫自体には本来「害」も「益」も無い。
 今後地球環境が人間の手によって、人間にとっての地獄と化そうとも、地球は急に消滅してしまったりすることなく、ずっと長く付き合ってくれるだろう。その「地獄」の中で、人間を含めた生物を育む事を止めたりはしない。地獄で活動できる唯一の仏・地蔵菩薩と同じく。

 太陽の寿命は、一般にはあと五十億年程と言われている。こうした「科学的」数値はけっこうコロコロ変わるので、そのまま真に受けることは出来ないが、弥勒菩薩の下生する56億7千万年後という設定と、近似しているのは何か暗示的な感じがする。
posted by 九郎 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 地蔵 | 更新情報をチェックする
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