仏教の考え方に「三千大千世界」という言葉がある。略して「三千世界」と呼ばれることが多い。
これまでカテゴリ須弥山で紹介してきたのが、仏教の須弥山宇宙観で言うところの「一世界」の単位だ。
このような須弥山宇宙が千個集まったのが「小千世界」
小千世界が千個集まったのが「中千世界」
中千世界が千個集まったのが「大千世界」
つまり「三千世界」は「三千の世界」ではなく千の三乗を意味しているので、「十億の世界」ということになる。
華厳経などに表現された蓮華蔵の考え方も、こうした宇宙観もとにしている。
東大寺の大仏様は「盧舎那仏」と言う華厳経の仏様なのだが、そのひざもとの蓮弁には蓮華蔵世界の図像が刻まれている。
最下段にはいくつもの須弥山世界が並んでおり、その上空にはよく見ると三層に分かれた天界が見える。
更に上空には盧舎那仏が夢見るように座っている。
これが三千世界の有様。
2008年06月29日
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昔から、この「三千大千世界」を“外から見て”想像するとどうなるのか?と、乏しい想像力を奮ってみましたがどうにも上手くいきません。すると、ウチの開祖がこんなことを言っていました。
振旦一国、なほ小臣にして帝位にのぼらず、三千大千世界に王たる如来に比すべからず。 『正法眼蔵』「四禅比丘」巻
どうやら、そういう見え方が可能なのは、如来だけのようです。
大仏様の蓮弁の図像では、三千大千世界を縦の階層で表現してあって、仏様はその最上段に超然とお座りになっている訳ですが、本当は「上に座る」というよりは、tenjin95さんが想像なさったように「外から見る」とか、または「包み込む」方が、表現としては適当な気がしますね。
そういう意味では大きな世界と小さな世界が入れ子状に描かれている金剛界曼荼羅のような見え方が、仏様の視点に近いのかもしれませんが、これとてしょせんは頭で考えて分かったような気になってるだけで……
図像で分かることはたくさんありますが、それが全部ではなくて、一側面を切り取って分かりやすくしてあるだけであることを、絵描きである私なんかはとくによく覚えとかないといけないですね。