(「中陰和讃」続き)
初七日まもるは不動なり
くらやみ峠のあてなしと
中陰途切れず称えやり
光明たよりて越えるなり
(二七日に続く)
以上が浄土系中陰和讃、初七日の部分である。真言系のものも、多少語句に違いはあるが、ほぼ同内容だ。
初七日は十王説では秦広王の審判、十三仏信仰では不動明王の守護となるので、和讃の内容と一致している。死者は初七日までに「死出の山路」を越えるとされることが多いが、和讃では「くらやみ峠」と表現されている。
光の差さない真っ暗闇の山路をあてどなく彷徨う死者が、遺された家族が途切れず供えるお灯明によって無事通過する様が描かれている。
不動明王と言えば、背後に燃え盛る炎を連想するが、ここでは暗闇を打ち払う光明のイメージと重ねられているようで興味深い。