(「中陰和讃」続き)
二七日まもるは釈迦如来
火ふり峠をさか落とし
おのおの供えし手向けある
水をたよりに越えるなり
(三七日に続く)
浄土系中陰和讃、二七日の部分である。真言系のものも内容に大きな異同はない。
二七日は十王説では初江王の審判、十三仏信仰では釈迦如来の守護となるので、和讃の内容と一致している。
この部分の「火ふり峠をさか落とし」という言葉は、どういう状況を述べているのか必ずしも明確ではないけれども、雰囲気はよく伝わってくる。
火の降り注ぐ急峻な道行の助けとなるのは、やはり遺された家族が手向けに供えた水であると説かれている。
初七日の「火」と二七日の「水」というモチーフは、仏教伝来以前から続く日本人の「聖」のイメージが下敷きになっているのかもしれない。