(「中陰和讃」続き)
三七日まもるは文殊菩薩
うづまき峠はてしなと
中陰途切れず供えある
日の立ちほどで越えるなり
(四七日に続く)
浄土系中陰和讃、三七日の部分である。真言系のものも内容に大きな異同はないが、「うづまき峠」は「百八坂峠」になっている。
三七日は十王説では宋帝王の審判、十三仏信仰では文殊菩薩の守護となるので、和讃の内容と一致している。
この部分の「うづまき峠はてしなと」という言葉も、どういう状況を述べているのか明確ではないが、雰囲気はよく伝わってくる。
ぐるぐると渦を巻くように彷徨ってしまう峠道で途方に暮れても、中陰の追善供養を途切れさせなければ「日の立ちほどで」抜けられると説いているのだろう。