(「中陰和讃」続き)
五七日まもる地蔵菩薩
なみだを流す三途川
追善菩提の功徳にて
舟に乗りつつ越えるなり
(六七日に続く)
浄土系中陰和讃、五七日の部分である。真言系のものも細かな語句の相違以外は、内容に大きな異同はない。
五七日は十王説では閻魔王の審判、十三仏信仰では地蔵菩薩の守護となるので、和讃の内容と一致している。
ここでは閻魔王=地蔵菩薩と三途の川がセットになっている。一般的な「あの世」のイメージとしては、死者は三途の川を越えた後に閻魔大王の法廷に立ち、照魔鏡で過去の罪を暴かれながら閻魔帳に判決を書き込まれることになる。
中陰和讃の世界観ではそのような厳しい審判の場面は出てこないが、死出の旅における七つの難所は設定されている。しかしいずれも遺された家族の追善供養や仏菩薩の守護によって乗り越えられることになっている。
和讃中の「なみだを流す三途川」という表現も、様々に味わうことが出来る。死んで慕わしきもの全てと分かれなければならない涙ともとれるし、目の前に出現した大河に思わず涙する様子とも取れる。
あるいは、自分の死にともなう諸々の「なみだ」を三途の川に流して、新たに旅立つ様子とも取れる。