どんぐりがたくさんあるのを見ると、なぜか楽しくなってくる。拾ってどうなるわけでもないのに、手のひらやポケットがいっぱいになるまで、ひとしきり拾い集めてみたくなったりする。
子供の頃の頃の記憶がよみがえってくる。
たしか祖父母の家の近所にあった観音様のお堂にも、たくさんのどんぐりが転がっていて、拾ったり、並べたり、転がしたりして、飽きずに遊んだ覚えがある。
どんぐりの季節には木々の葉は色づき、空は秋晴れで、木立を歩くと落ち葉を踏む音がにぎやかで、心は自然に浮き立ってきた。
宮澤賢治「どんぐりと山猫」を読むと、そんなにぎやかな秋の山の情景が、華やかに楽しく目の前に広がってくる。
青空文庫「どんぐりと山猫」
冒頭部分、主人公のもとに山猫から届いた手紙の文面で、読者は即座に作品世界に巻き込まれてしまう。
かねた一郎さま 九月十九日この奇妙な手紙に誘われて森の中へと入り込んだ一郎が、どんぐりたちの「めんどなさいばん」に参加して、代官役の山猫に協力するお話。
あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
山ねこ 拝
落ち葉の中に見え隠れするどんぐりは、どれもつややかに光って見えて、いっぱい拾うと何か得をしたような気分になって、無駄と知りつつついつい家に持って帰ってみたくなったものだ。
持ち帰って部屋の中で見てみると、あんなに光って見えたどんぐりたちも、魔法が解けたように土で汚れてくすんで見えてしまうのだけれども。
作品の終わりの以下の描写は、そんなどんぐり拾いの思い出とよく重なって、読んでいると思わず笑みが浮かんでくるのだ。
馬車は草地をはなれました。木や藪がけむりのようにぐらぐらゆれました。一郎は黄金のどんぐりを見、やまねこはとぼけたかおつきで、遠くをみていました。
馬車が進むにしたがって、どんぐりはだんだん光がうすくなって、まもなく馬車がとまったときは、あたりまえの茶いろのどんぐりに変っていました。そして、山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこの馬車も、一度に見えなくなって、一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持って立っていました。