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2009年02月06日

鬼を統べる神

 牛頭天王のルーツは、強いて遡れば世界中に古くから存在する牛頭人身の神々のイメージに連なるかもしれないが、直接的には大陸から朝鮮半島伝いに渡来した神が、中世日本で似た性格を持つ現地の神と合体して成立した鬼神だろう。
 牛頭天王の図像は様々な種類のものが流布されており、これと言った定番は無い。ただ、頭上に牛の頭を冠し、斧状の武器をかざしていることが多いので、それを目印にすれば同定し易い。
 仏教で言えば天部(仏教流に読み替えられたインドの神々)のような姿で描かれることが多いが、中には多面多臂の明王部のような姿で描かれたものもある。
 今回はそうした明王部的図像を元に一枚描いてみた。
 元図は陰陽道の「神像絵巻」に描かれた牛頭天王像で、カテゴリ「節分」参考図書3で紹介の「陰陽道の神々」斎藤英喜(佛教大学鷹陵文化叢書)のカラー表紙を参照した。

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  三面三目多臂で白虎にまたがる姿は、一見すると降三世明王や大威徳明王などの明王部密教尊によく似ている。仏教図像は身体のパーツの数や服装、色、持物に全て意味があり、「図を読む」ことでそれぞれの仏尊の性格を読み取ることができるので、この牛頭天王像も同様の読み取りを行うことにより、その性格設定を知ることができそうだ。
 
 まず、三面三目の忿怒相で、宝冠をかぶり、髪を逆立たせて背後に炎を背負っていること。これは降三世明王と共通した特徴になっている。三叉戟、金剛杵、剣、弓矢などの持物も共通している。
 降三世明王は大自在天と烏摩妃(シヴァ神夫婦)を降し、過去・現在・未来の三世を見通し、欲界・色界・無色界の三界をまたにかける力を持つと言う。大自在天は仏教における敵役としては最強クラスの神だ。陰陽道における最強の祟り神である艮の金神を降した牛頭天王の図像を描くにあたり、似た神話の構造を持つ降三世明王の図像を参照したであろうことは、ありそうに思える。
 
 また、動物にまたがり、三叉戟、宝棒、剣、金剛輪を持ち、凄まじい怒りの表情が目につく点は大威徳明王に通じる。大威徳明王は六面六臂六足で水牛にまたがり、死の神ヤマを降すとされる。ヤマ神は仏教では夜摩天で、水牛に乗った姿で描かれる。密教図像では降伏(ごうぶく)するものは降伏されるものの姿を下敷きに、さらにパワーアップした姿で描かれることがあるが、大威徳明王と夜摩天の関係や、先に述べた降三世明王と大自在天の関係はその代表的なものだ。
 今回の図の牛頭天王は白虎にまたがり、頭上に牛頭を冠している。もしかしたら「うし」と「とら」で「うしとら」の語呂合わせをして艮(うしとら)の金神を降伏することを表現しているのかもしれない。
 
 体色の赤や動物の頭を冠している点、弓矢を持つ点は愛染明王を思わせる。愛染明王は強力な煩悩を菩提心に変換する力を持つとされる。弓と矢は仏教では強い煩悩を意味することが多く、欲望の神第六天魔王の持物でもある。
 赤い体色と動物の冠と言う点では、馬頭観音もよく似ている。「観音」と名はついているが、三面三目八臂の忿怒相で白馬の頭を戴く姿は、別名「馬頭明王」とも呼ばれる。図像的には今回の牛頭天王像と最も近い雰囲気を持っている。牛頭(ごず)・馬頭(めず)という組み合わせは、獣頭人身の地獄の獄卒としてもよく描かれる。何らかのイメージの繋がりがあるのかもしれない。

 頭の左右に掲げた赤白の玉は、おそらく太陽と月を表現しているのだろう。同様の表現は天に刃向かう阿修羅の図像に見られる。
 背後の炎は赤と青で表現されており、どこか動脈と静脈ををイメージさせないことも無い。

 この牛頭天王像は様々な「魔的な神々」の道具立てを下敷きにしつつ、それらを凌駕する強力な神のイメージを作り上げていると言えそうだ。

 牛頭天王の御利益のうちで代表的なのは「疫病避け」であり、それに相応しく本地は薬師如来であるとされている。今回の牛頭天王像の、牛頭のさらに上には薬師如来が描かれており、それを表現してある。
 怪異な風貌の牛頭天王と、清浄な東方浄瑠璃世界の薬師如来のイメージは、一見結びつきにくく思われる。しかし薬師如来には、仏教世界の中でも最強の部類に数えられる十二神将を率いているという一面もある。経典によるとこの十二神将の出自は、それぞれが七千の夜叉を率いた鬼神の王であるという。病を癒すためには、その病をもたらす鬼神の力を我が物としなければならないという「免疫」に近い発想が、はるか昔から存在したのかもしれない。

 ふと気付いて今回の牛頭天王像の腕を数えてみると、薬師如来の十二願や十二神将と同じく、十二本。頭上の薬師如来の左右には、その脇侍の日光菩薩・月光菩薩を思わせる二つの玉が捧げられている……
posted by 九郎 at 22:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 節分 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 管理人様

色々と勉強になりました。牛頭天王は、曹洞宗寺院でも祀っている場合があるようです。あまり多くはないようですが・・・

> 病を癒すためには、その病をもたらす鬼神の力を我が物としなければならないという「免疫」に近い発想が、はるか昔から存在したのかもしれない。

これですが、類似したお話しであれば、多くの経典や論書で見ることが可能です。弟子を折伏するために、まずその師匠を折伏した例(論力外道という人の、有名な話があります)、或いは煩悩即菩提という発想も、煩悩が大きければ、それだけ菩提が大きくなるということで、本来滅したい対象を取り込んで、良い方向に変えるという発想はあったように思いました。
Posted by tenjin95 at 2009年02月07日 07:47
tenjin95さん、コメントありがとうございます。

>牛頭天王は、曹洞宗寺院でも祀っている場合があるようです。あまり多くはないようですが・・・

 前に記事にした木造牛頭天王のある津島市の興禅寺も、確か曹洞宗だったと記憶しています。明治期の神仏分離で神社側の牛頭天王はスサノオに読み替えられた場合が多くあったようですが、その牛頭天王が寺院の方に残っているのは面白いですね。
 煩悩即菩提という言葉も、親鸞聖人の悪人正機と共通する発想があるような気がします。今後も考えて行きたいテーマです。
Posted by 九郎 at 2009年02月07日 21:45
> 管理人様

度々失礼いたします。

> 前に記事にした木造牛頭天王のある津島市の興禅寺も、確か曹洞宗だったと記憶しています。

確かに、ございますね。ちょっと住職さんは知り合いではありませんでした。

> 煩悩即菩提という言葉も、親鸞聖人の悪人正機と共通する発想があるような気がします。

元々、天台宗の本覚思想で多用された不二一元論では常套句でした。親鸞聖人はそこからの脱皮を図ろうとしましたが、不二から改めて絶対の一に戻り(悪の徹底)、そこから、その悪を救済してくれる阿弥陀仏を見出したということが言えるでしょう。しかし、この領域は、まだまだ学べることがたくさんありますね。
Posted by tenjin95 at 2009年02月11日 11:17
tenjin95さん、いつもコメントありがとうございます。

>この領域は、まだまだ学べることがたくさんありますね。

そう言えばずっと前にカテゴリ「今昔物語」で発表した「極楽往生源大夫」と言う作品を制作しているときに、こうしたテーマをあれこれ考えていた記憶があります。
非常に興味をそそられる領域なんですけど、それと同時に、危うくて下手に踏み込んではいけないような気もしています。
明王部の図像や曼荼羅のことを調べていると、「煩悩即菩提」という発想に度々行き当たるのですが、早飲み込みしないように、慎重に学んで行きたいですね。
Posted by 九郎 at 2009年02月12日 00:49
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