この娑婆世界でただ一人、宇宙の法を悟り、言葉で説けた人と設定されているが、「法」そのものはお釈迦様以前から存在していたことになっている。たとえば「ニュートンが発見する以前から万有引力の法則は存在した」ということと似た構図になるだろう。
また、お釈迦様以前にも仏は存在したことになっているし、別の世界には別の仏が数え切れないほど存在することになっている。
だから「仏教はお釈迦様以前から存在する」と表現しても、(歴史的事実関係はさておき)教義上は間違いではないはずだ。
そうした教義上の設定以外にも、一般に「仏教」として扱われている仏菩薩や神々、世界観の由来は、お釈迦様以前に遡る要素が数多くある。
地蔵菩薩もそんな仏尊の一つで、カテゴリ地蔵で紹介したように、仏教以前から存在する「大地母神」が仏教的に読み替えられた仏様だ。
私の好きな土器に、「人面装飾付深鉢」という、縄文中期の作品がある。イラストで再現すると、以下のような形状をしている。

この深鉢の形状・模様の解釈は様々に可能なのだろうが、素直に解釈すれば、やはり「出産」または「子を抱く母」の表現ということになるだろう。安産や、子供の安全を願う要素が含まれる表現であることは、間違いないのではないか。
現在でも、都会のビルの一画や地方の道端に残る素朴な石造りのお地蔵さまには、この中期縄文深鉢の人面装飾に似た顔立ちのものがいくらでもありそうに思う。
日本で素朴な石造りのお地蔵さまが広く定着したのは、仏教の菩薩としてのお地蔵さまが伝来する以前に、この中期縄文深鉢に見られるような、同じ構図を持つ信仰と造型の流れが存在したからなのかもしれない。
かなり早い段階で、過去仏思想が出て来ていることを考えますと、釈尊の言葉の中に、既に真理を見付けた先達の存在があったと考えられるわけです。禅宗、というかウチの宗派ではそれを徹底させて、釈尊ですらその前の仏から直接に法を受け嗣いでいる、とまで考えます。実世界で、その辺のことを論文にしたもので、事実の歴史とは反しますが、宗旨の歴史ということですね。
私の実家の浄土真宗の場合は阿弥陀様なので、教典を素直に読むと、人類史の時間感覚を超えてしまっています(笑)
現代に仏教を読むなら、歴史的事実関係を一応確認するのと、宗教的な物語を味わっていくのを並行させながら、認識を深めていきたいなと思っています。