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2009年06月27日

大和葛城宝山記2

 原初の水気に生じた常住慈悲神王ビシュヌ、その臍から生じた梵天王ブラフマー。
 大和葛城宝山記の創世神話では、続いて梵天王の心から八子の天神が生まれ、その神々が天地人民を作ったと説く。
 梵天王が心から生んだ神々は、天御中主(アメノミナカヌシ)や高皇産霊(タカミムスビ)、イザナギ・イザナミやオオヒルメ(アマテラス)等の、日本神話でお馴染みの神々であると設定されている。
 インド由来の神々と記紀神話の神々を、一応矛盾無く整合させた本地垂迹の設定だ。
 中でもイザナギ・イザナミは「第六天宮の主、大自在天王に坐します」とされ、須弥山宇宙における欲界の支配者・第六天魔王と習合されており、非常に興味深い。
 第六天宮のイザナギ・イザナミはあるとき、さらに上位の神のみことのりにより、アメノヌボコの呪力で日本の国土や日神・月神を作ったと説かれており、別の箇所ではそのアメノヌボコは「金剛ノ杵」であるとする。

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 「金剛ノ杵」とは密教法具の「金剛杵(こんごうしょ)」、中でも先端が単独の「独鈷杵(とっこしょ)」のことだろう。明王部の密教図像では先端が三本や五本のものが多く使用される。独鈷杵は帝釈天や役行者像によく見られる。
 「宝山記」ではこの独鈷杵が極めて神聖視され、天地開闢のアシカビであり、国土創世のアメノヌボコであり、国の心柱であり、天地人民・東西南北・日月星辰・山川草木の本体であると説く。

 また独鈷杵は形を変じて栗柄(くりから)と化すとされる。
 「栗柄」は不動明王の持つ剣に絡み付く倶利迦羅竜王のことで、「宝山記」の記述によれば、明王・八大龍王に姿を変え、十二神将を心柱の守護とさせ、龍神・八咫烏等の荒ぶる神を使役すると説いている。


 独鈷杵や龍神・八咫烏が重要な役割で登場するあたり、いかにも役行者の本拠地を舞台とする神話にふさわしい感じがする。
posted by 九郎 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛城 | 更新情報をチェックする
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