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葛城・金剛山周辺を舞台とした中世神話「大和葛城宝山記」には、それぞれの峰に鎮座する神名や、その由来が詳しく記述されている。
国の始まりのとき、イザナギ・イザナミが金剛杵をもって降り立ったのがヤマトの地であり、今は葛城山脈の主峰である金剛山に鎮まっている。
葛城山に静まるのは孔雀王、またの名を一言主ノ神、飛行夜叉。
他にも二上山に鎮座する神名や、役行者との関わりも記述されている。
大和葛城山脈は、総じて西側が緩やかで東側が急峻な地形になっている。だから東の山麓にある葛城の里では、そそり立つ山影のせいで、太陽が傾き始める午後の早い時間帯には、すぐに闇が深くなってくる。
とくに二上山麓にある当麻寺の地は、夕日の沈む様が劇的で、西方極楽浄土を描いた当麻曼荼羅や、阿弥陀来迎図のイメージと結びついて信仰を集めた。
二上山を西へ越える竹内街道を抜けると、そこには古市古墳群があって、まさにこの山は生と死の境と受け止められてきた。
ところがこの竹内街道を反対側から(西から東へ)辿ってみると、尾根付近までなだらかで明るい風景が続くことになる。(竹内街道、竹内街道2、竹内街道3参照)
実際の日照条件では、東の「生」の領域は暗く、西の「死」の領域は明るいことになってくるのだ。
二上山から金剛山にかけて続く葛城古道は、秋にはヒガンバナが咲き乱れる怪しの道と化し、吉野川の流れる五條市あたりまでその雰囲気は続く。
五條市から南へは、遥か熊野へとむかう十津川街道。
役行者の聖地である吉野からの川の流れは、徐々に幅を広げて紀ノ川となり、和泉葛城山脈の麓を並行して続く。
大和から紀淡海峡・友ヶ島まで、100kmを優に超える逆L字を描く葛城山脈。それぞれの峰には役行者ゆかりの「葛城二十八宿」を祀る経塚がある。
金剛山の西山麓には楠正成ゆかりの千早城址があり、和泉葛城山脈の西端あたりでは雑賀孫市(鈴木孫一)が活躍した。
役行者
楠正成
雑賀孫市
葛城山脈周辺で名を成した三人は、「神出鬼没の反逆者」という点で共通したイメージがありそうだ。
紀見峠を越え、紀ノ川を渡った対岸には高野山への参道。
さらに下流へ進んだ山麓には粉河寺、根来寺。
現在の和歌山市内で大阪から続く熊野古道と交差し、加太・友ヶ島まで街道は続く。
和歌浦、雑賀崎では古来、ハナガフルという現象が目撃されてきた。
夕日が真西に沈むお彼岸の頃、太陽の方から様々な色の光の玉が降って来るという不思議な現象は、地元の人々に「西方浄土」のイメージと重ねられてきた。
闇の深い大和二上山から光まぶしい和歌浦まで、山々の峰や川の流れは神仏と人を結びつけ、海で新しい旅に出る。
それぞれの土地で物語は生まれ続ける。