今年は近所で三ヶ所ほど回れた。
明治時代のとある地方の資料を読むと、当時は村々で少しずつ日程をずらして夏祭りが行われ、夏の間はずっと近隣どこかしらで櫓が囲まれていたという。
踊り好きの老若男女は夜毎繰り出しては夜を徹して舞い踊り、下ろしたての下駄の歯が日程の一巡する頃には磨り減って無くなっていたという。
電気が通わず、娯楽の少ない時代の盆踊りは、現代とは比べ物にならないほどの祝祭空間だったのだろう。
もう十年以上前になるが、そうした昔ながらの盆踊りの雰囲気が残っているのではないかと思わせる風景に出会ったことがある。
大和や熊野の山々の更に奥、奈良県十津川村の「武蔵」という小さな山村で行われた「大踊り」だ。
今は使われていない小さな小さな学校校庭の会場、両手に扇を持ち、「廻らない」不思議な踊り。
昔描いたスケッチに少し着色してアップしておこう。

修行と称してよく熊野の山奥を歩き回った私とは言え、本来縁もゆかりも無い土地の盆踊りなのに、なぜか子供の頃のことを懐かしく思い出してしまう、夢のような体験だった。
私が子供の頃を過ごした地では、小山のふもとの観音堂の石段を降りたところにある公園で、毎年盆踊りが行われていた。
祖父母の家を出発して暗い夜道を抜け、夜の公園を訪れてみると、昼間の様子とはまったく違う、子供にとっては「異世界」が現れていた。
高く組まれた櫓を中心に提灯が明るく揺れて、浴衣の人々が太鼓の音に合わせて踊っている。
子供の私は陶然としながらその風景を眺めている。
そして踊りの輪の内側に、小さな子供達の一段が楽しげに駆け回っているのをみつけ、たまらなくなって自分もその中に加わる。
中に一人、少し年齢の高い踊り上手な子がいて、私の目にはとてもカッコよく映った。
見知らぬその「お兄ちゃん」のあとを追い、手振りを真似ながら時を忘れて踊り、巡った……
毎年の盆踊りの時、輪の中に小さな子供たちが混じって楽しそうにしているのを見ると、色々な記憶が巡ってくる。