2006年02月05日
風土記逸文より
備後国風土記に伝えられる所では、昔、北海におられた武塔神(むとうのかみ)、南海の神のむすめをよばひに出て行かれたところ、日が暮れた。
そのあたりには「将来」という二兄弟が住んでいた。兄の蘇民将来はひどく貧しく、弟の将来は裕福で百の屋敷や倉があった。武塔神が一夜の宿を求めると、弟は惜しんで貸さず、兄の将来はこころよく迎えた。貧しいなりに粟柄を敷き詰めて座を設け、粟飯等をもって神に捧げた。
その後、年を経て、武塔神は八柱の御子を率いて、この地に還ってこう言った。
「私は将来のために返礼をしたい。あなたの子孫はこの家に在るか」
蘇民将来は答えた。
「娘と妻があります」
武塔神が「ではその者たちに茅の輪を腰の上につけさせよ」と言ったので、その通りにした。
するとその夜、神と八柱の御子達は蘇民と二人の女子を残し、その地の者をことごとく滅ぼしてしまった。
「吾はスサノオの神である。後世に疫病あらば、汝蘇民将来の子孫は茅の輪を腰の上につけよ。さすれば免れるであろう」
このような言葉を残し、神は去った。
posted by 九郎 at 10:43| 節分
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