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2006年02月24日

金神

【巨旦の精魂】
 「金烏玉兎」では、滅ぼされた巨旦大王と眷属の精魂が「金神(こんじん)」となって人間世界を遊行し、衆生を殺戮すると伝える。中でも巨旦大王は鬼門(北東)から来る最強の祟り神「艮の金神(うしとらのこんじん)」として忌み嫌われるようになった。
 中世から近世にかけて民間陰陽師たちは「金烏玉兎」を種本とし、「牛頭天王縁起」をはじめとする陰陽道の物語の流布につとめた。そうした民間陰陽師たちの活躍もあって、金神への恐怖は民衆の意識の中に深く根を下ろしていくようになる。

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【陰陽道】
 陰陽道は中国の陰陽五行思想を基礎とし、仏教の説や日本の神道を取り込んで成立している。もともとは社会の発展にともない、天文や建築などの必要から生まれた学問であって、合理性が求められるものだった。
 例えば鬼門(北東)と裏鬼門(南西)の方向に対する建築上の禁忌は今でも根強く、単なる迷信であるとの批判もある。しかし日本の風土では、北東は最も日照時間が短く湿気のこもりやすい方角であり、南西は西日の強烈な方角であった。上下水道の無い時代の木造建築では、そうした方角に建築上の配慮をすることは、建物の耐久性や住人の健康を考えれば、むしろ当然のことであった。
 節句の祭礼を執り行うことは、季節感を意識して生活や食べ物にメリハリをつけ、健康を維持するために役立っただろう。
 また、日本においてより正確な西洋の暦法にいち早く注目したのは陰陽師であったと言われている。

【迷信の跋扈】
 陰陽道は時代とともに様々な思想を貪欲に吸収し、より強力な呪力を獲得していった。それは「蘇民将来神話」において、外来の神を積極的に受け入れ、免疫力を獲得した構図とも共通している。
 融通無碍に様々な要素を吸収していくことが陰陽道の力の源泉であったが、時代の流れとともにそうした在り方の弊害も現れてくる。禁忌は無限に増殖し、無意味で煩瑣な迷信が人々の心を縛り、生活を縛り、健康を害する迷信に堕して行く。
 「生活上の知恵」という本来の意味から遊離した儀礼は、それ自身が人々を苦しめるものに変質する。「金神」はそうした矛盾から生じる災厄の捌け口として、全ての罪を被せられ、ますます忌み嫌われて行った。

【図像について】
 今回の図像は暦などによく使われている金神の図を下敷きにした。双竜にまたがる鬼のような不気味な姿に見覚えのある人もいると思う。
posted by 九郎 at 21:18| 節分 | 更新情報をチェックする