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2006年02月26日

神話のヨミカエ2「艮の金神」

 時は1836年、世に名高い「天保の大飢饉」の只中、所は霧深い丹波の国、その女は生まれた。時代はあまりに厳しく、「減し子」になるはずであったが、祖母のたっての希望で、なんとか育てられることになった。女は慎ましく誠実な人柄に成長した。貧しいながらも当時の農民女性として必要な様々な技能を身につけ、地元の「三孝女」の一人に数えられるほどであった。幼い頃から何度かの神隠し体験を持ち、予言めいたことを口走り、神仏への敬いの念が篤い一面も持っていた。
 やがて女は親戚筋の出口家に入り、大工の婿を取った。婿の政五郎は善良な性格、名人肌の職人だったが、酒好き遊び好きで生活感覚に乏しかった。よく人に騙され、財産を次々に巻き上げられて、家運は衰退した。
 女はそんな夫に文句の一つも言わず、貧乏子沢山の生活を、健気に切り盛りし続けた。やがて夫は病没し、女はまだ家を送り出せない幼い姉妹を抱えて途方にくれた。明治の開化の世も女の苦境を救う何の役にも立たず、技術の発達は女の最後の収入源であった糸引きの職場すら奪ってしまった。また経済構造の発達は、家の借金体質を生み出す原因ともなっていた。
 57才、いまだ幼い娘達を養うために、女は屑買いで日々をしのぐようになる。女は後に自分の境遇を「地獄の釜のこげおこし」「鉄棒が針になるほどの苦労」と表現した。道理と誠が通らず、嘘と金が支配する世の矛盾。その矛盾をも引き受けようと苦闘する強烈な責任感。とうに限界を超えた肉体の疲労……
 そして明治25年旧正月(古式では節分の日)、女の口に激しい神の言葉が宿った。
 女の名は出口なお
 神の名は「艮の金神(うしとらのこんじん)」

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 「三ぜん世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。この世は神が構はな行けぬ世であるぞよ。今日は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの世であるぞよ。世界は獣の世になりてをるぞよ。邪神にばかされて、尻の毛まで抜かれてをりても、まだ眼が覚めん暗がりの世になりてをるぞよ。これでは、世は立ちては行かんから、神が表に現はれて、三千世界の天之岩戸開きを致すぞよ。用意をなされよ。この世は全然、新つに致して了ふぞよ。三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下泰平に世を治めて、万古末代つづく神国の世に致すぞよ…」

 自分の口からとめどなく溢れ出る、猛々しい神の言葉。慎ましい性格のなおは当惑し、何とか神を鎮め、元の生活に戻ろうとするが、望みはかなわない。警察に引き立てられ、親族に座敷牢に入れられ、様々な辛酸を舐めた後、ようやく神は妥協して、言葉を口で叫ばず筆で記すようになった。
 なおは無筆文盲だったが、神懸りがあれば何故か手は自然に動き、膨大な枚数の「おふでさき」となった。艮の金神の筆先は全てひらがなと漢数字のみであり、句読点もなく、内容も断片的で意味が取りづらかった。筆記者であるなお自身にも明確な意味はわからなかったが、その断片から伺える腐り切った世の矛盾の告発、来るべきユートピア「ミロクの世」のイメージは、なおの心に染み込んでいった。はじめは神に不審の念を抱いていたなおも、神の言葉を記すうちに深く共感し、なんとかこの神を世に出したいと願うようになった。

 筆先で断片的に語られる神話によれば、艮の金神は元は天の大神に命ぜられ、大地を修理固成した地の親神であった。しかしその謹厳な神政は他の多くの神々の不興を買い、隠退させられることになる。「いり豆に花が咲くまで出てくるな」と、この世の艮に封じられた神は、以後世を支配する偽の神々の呪詛されることになる。節句の祭礼は全て、真の善神である艮の金神調伏の呪いなのだ。以後、世は偽りの神々の支配する悪の世に成り果ててしまった……

 これは蘇民将来神話の善悪を全く逆転させるヨミカエで、前回紹介した「天地金乃神」のケースをさらに先鋭化させたものと言える。天地金乃神の取次ぎ金光大神は、農民であったが一応村の共同体の中で確固とした地位を持つ男性だった。金光大神の教えは社会批判には向かわず、自己の内面を重視したものだった。なおに懸かった艮の金神は、自らの目的をはっきりと「世の立替え立直し」であると規定し、激しい社会批判を正面切って叩きつけた。明治の世の恩恵を何一つ受けられず、村落共同体の中ですら見捨てられた女性であるなおの境遇が、この激しい神格と同期したのだろうか。
 社会に対する姿勢に温度差はあるけれども、天地金乃神と艮の金神は、ともに「立て分ける」神であるという点で一致している。強い原理原則で、混濁した要素をすっきりと糺す神である。古い蘇民将来神話においては、巨旦は外来の神を拒絶する潔癖さを持っていた。価値観の善悪は変遷しているが、基本的な神の性格には一貫性があるのかもしれない。

 やがてなおは優れた予言能力と病気治癒力を発揮し、地元綾部で小さな教団が形成された。後の新宗教「大本」の原型になった小集団である。しかし当の艮の金神は、病気直しを主体とするこの小さな教団に満足せず、繰り返し「立替え立直し」を宣言する。なおも含め、当時の信徒達には具体的な「立替え立直し」の方策など判るはずもなく、途方にくれるばかりであった。
 艮の金神は「この神を判けるみたまは東から現れるぞよ」と予告し、なおは「その人」を待ち続けた。そして帰神から七年後、ついに「その人」は現れた。

【図像について】
 今回の図像はもちろん、艮の金神と出口なおを描いたものだ。参考資料としては、次回紹介する出口王仁三郎が描いた「艮の金神」と、明治25年に一番近い年代の出口なおの写真を参照した。
posted by 九郎 at 22:09| 節分 | 更新情報をチェックする