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2006年02月28日

神話のヨミカエ3「スサノオ」

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 筆先に曰く、
「綾部の大本には出口なおの大気違いがあらわれて、化かしてご用がいたさしてあるから、見当はとれんなれど、もう一人の大化物をあらわせて、神界のご用をいたさすぞよ。この大化物は東からきておるぞよ。この大化物があらわれてこんと、何もわからんぞよ」

 綾部の東南、亀岡から来たと言うその男は、まったく奇妙な風体をしていた。尻のところで二つに割れたブッサキ羽織、手にはコウモリ傘とバスケット、口にはオハグロまで塗っている。歳は二十八と言うことだったが、茶目っ気のある顔立ちは歳より若く見え、苛烈な人生を送ってきたなおにはまるで子供のように映った。
 男の名は上田喜三郎。後の大本聖師・出口王仁三郎である。
 喜三郎は亀岡の貧農の長男で、過酷な労働の人生を送ってきた苦労人だったのだが、生来の楽天的な性格がそれを感じさせなかった。なおの思い描く助力者のイメージは、経験を積み成熟した男性だったと思われ、この初対面ではピンとこなかったらしい。こんな筆先が残っている。
「お直のそばへは正信の御方が御出で遊ばすから、来た人を粗末なあしらひを致すでないぞよ。不思議な人が見えたれば我を出さぬと、ひそかにお話を聞くがよいぞよ。変な人が見えたらば、低くういくがよいぞよ。我を出したら結構を他から取りに来るぞよ」
 あまり乗り気でないなおをたしなめる艮の金神……

 当時の上田喜三郎は、鎮魂帰神法を身につけて売出し中の若手宗教者であった。天性の驚異的な記憶力と理解力で様々な知識を吸収し、宗教や自然科学、文学等の素養をあわせもった在野の教養人だったが、あれこれと事業に手を出しては失敗する器用貧乏な一面も持っていた。前年地元の高熊山で神示を受けて以来、ようやく思い定めて宗教者としての道を歩み始めたところだった。
 自身の高熊山での体験と、艮の金神の筆先との間に奇妙な符合を認め、喜三郎は綾部の大本に入り、即座に「金明霊学会」を設立し、明治三十三年には筆先の命により、なおの末子・澄と結婚。得意の霊学・鎮魂帰神で教団を席巻した。

 そして明治三十四年、綾部の大本に奇怪な現象が勃発する。突然なおと喜三郎がともに神懸りし、激しい言霊戦を繰り広げだしたのだ。
 なおには艮の金神をはじめ、様々な神霊が、 喜三郎にはスサノオをはじめ、様々な神霊が懸かる。対立する神霊の懸かった二人は互いに雄叫び、四股を踏み、荒立つ。謹厳ななおと柔和な喜三郎、火と水、復古と開明、国粋と国際、縦と緯、変性男子と変性女子、厳の御霊と瑞の御霊、二人の対照的な性質は真っ向からぶつかりあう。
 二大教祖が互いに懸かる神を「悪」と断じ互いに改心を迫り合う、この空前絶後・驚天動地の現象は、後に火と水の戦い、「火水(かみ)の戦い」と称される。

 周囲の役員・信者達は、ただただ恐れうろたえるばかり。およそ人知の及ばぬ奇怪な神々の闘い……

 ここで艮の金神側に対抗する神格として、スサノオが登場していることに注意を払いたい。このカテゴリ「節分」で概観してきたように、スサノオは一般に牛頭天王と同体とされる、巨旦(=艮の金神)を封じた側の神格である。つまり蘇民将来神話において敵対した二つの神格が、神代の時を超えて綾部の大本で現実の肉体を借り、再び対峙したことになる。
 博学な喜三郎は当然このことを承知していたはずである。断片的にではあるが、巨旦、金神、牛頭天王に関する考察をいくつか残していることからも、そのことがうかがえる。

 この「火水の戦い」はその後も長く続いた。その間に喜三郎は筆先の命により「おにさぶろう」と改名し、正式に出口家の家督を継いだ。スサノオの神霊をつけた喜三郎を「おに」と名付け、対立しつつも後を継がせた艮の金神の真意は如何に……
 喜三郎は喜三郎で、「おにさぶろう」にすかさず「王仁三郎」の字を当て、「鬼」のイメージを「外来の学者」のイメージで切り返してみせる。二大教祖の息詰まる丁々発止のやりとり……

 長い戦いの末の大正六年、ついに艮の金神から王仁三郎を認める筆先が下ろされる。これにより王仁三郎は、それまで一字の改変も許されなかった筆先の、取捨選択、編集の権威が与えられた。現在「大本神諭」として読まれているものは、なおの筆先を王仁三郎が編集し、漢字をあて、読み方を確定したものである。
 通常「大本神諭」の筆者は「出口なお」と表記されているが、脚本;艮の金神、主演;出口なお、監督;出口王仁三郎の作品であるとも考えられる。
 原型である筆先は、ひらがなと漢数字のみの表記で、句読点も改行も無い。それに漢字をあて、切ったり繋いだりするという行為は、ほとんど意味そのものの創造に匹敵する。長らく敵対していたなおと王仁三郎に懸かる神々が、互いにそれに合意したというのは非常に興味深い。

 例えば「大本神諭」には、こんな一節があった。
「此世の鬼を往生さして、外国を地震雷火の雨降らして、たやさねば、世界は神国にならんから、昔の大本からの神の仕組が、成就致す時節が廻りて来たから、苦労はあれど、バタバタと埒を付けるぞよ」
 後に「霊界物語」に収録された最終バージョンでは、以下のように読み替えられている。
「此世の鬼を往生さして、邪神を慈神神也慈悲の雨降らして、戒めねば、世界は神国にならんから、昔の大本からの神の仕組が、成就いたす時節が廻りて来たから、苦労はあれど、バタバタと埒を付けるぞよ」
 前者と後者ではほぼ同一内容であるが、危機的終末思想や排外思想の色濃い前者に比べ、後者は巧みにその部分を宣り直し、より普遍的な表現に昇華されている。
 艮の金神の「原理原則を立て分ける」神格と、スサノオの「様々な要素を包み込む」神格が、微妙なバランスで共存しているのがよくわかる。

 天保の大飢饉とともに出生し、誠を貫きながら明治の世の片隅で打ち捨てられた一人の老女。その心の深淵から爆発した激しい神の叫び。地の底から響くようなその叫び声を、醒めた知性と包容力を併せ持ったトリックスターが真っ向から受け止めて、軽やかに普遍の高みへと導く。

 神代の昔から続いた蘇民将来神話の因縁は、それぞれの時代に必要な語り手にヨミカエられ、ついに和合の時を迎えたのだ。

【図像について】
 今回の図像も出口王仁三郎の描いたスサノオの神像を下敷きにした。スサノオと言えば、一般的にはヤマタノオロチ退治の猛々しいイメージが強いが、記紀神話では和歌の元祖でもあり、音楽を愛する芸術の神としても描かれている。王仁三郎の描くスサノオは、童子のような瑞々しい容貌が特徴的だ。
posted by 九郎 at 11:28| 節分 | 更新情報をチェックする