2010年04月18日

海と鉄砲と自治

 ここまでカテゴリ和歌浦で、戦国時代の雑賀衆について紹介してきた。(中間報告参照)

【石山合戦は宗教戦争ではなかった】
 雑賀衆は織田信長と本願寺の一向一揆勢力が総力戦を行った「石山合戦」にがおいて、本願寺方の主力部隊として活躍し、信長の天下布武の目論見を大幅に遅らせた。
 石山合戦については様々な捉え方をされているようで、よく目にするのは「無神論で合理主義者の信長VS強固な一神教である一向宗勢力」という、一種の宗教戦争であったかのような論調だ。
 私も以前はなんとなくそのように思い描いていたのだが、ここまで自分なりに調べてきて、どうやらそうした図式は間違っていると考えるようになってきた。
 信長は中世人として当然のように様々な神祇への信仰を持っていたようだし、一向一揆は信仰「だけ」を基盤とした集団ではなかった。
 信長と本願寺方の信仰の相違は、石山合戦の起こった原因とは直接関係がないと言い切ってしまってもよいと考えるようになった。
 それでは石山合戦は、いったい何を争って十年以上の歳月と膨大な資源を費やし、数え切れない程の死者を出したのか?
 それは「日本の流通経済を支配するのが誰か?」ということだったのではないかと思う。
 当時の本願寺の所在地である「大坂」は、京都や琵琶湖から続く河川の道の終着であり、西日本の物流や海外貿易の大動脈である瀬戸内海の終着点でもあった。
 陸運や空運の発達した現代では分かり難くなっているが、戦国時代の交通・物流は、海運・水運こそが中心で、それを抑えたものが経済の勝者となった。
 戦国時代の「いくさ」も、地方の紛争の域を超え、天下の支配権を巡る規模になってくると、単純な武力の争いではなく、政治力・経済力がものをいう「戦争」に拡大してくる。
 政治・経済に敏腕を振るった信長と、寺内町自治のネットワークで経済力・軍事力を行使した一向一揆がぶつかった要因は、どうやらそのあたりに集約されてきそうだ。

 そこで持ち上がってくるキーワードは三つ。「鉄砲」「海の民」「寺内町」だ。
 これまでにも少しずつ調べてきたが、もう少し詰めて行ってみたいと思う。
 まずは「鉄砲」から。

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posted by 九郎 at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 和歌浦 | 更新情報をチェックする
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