私の生まれ育った土地は、さほど近くは無かったけれども、一応沿海部にあった。自転車で海辺に行ける範囲だったし、鉄道使用の際には路線沿いに広がる海がまぶしく眺められた。
中高生の頃、学校の裏山に登れば、海を眺望できた。部活の合間に一人登り、岩場に腰掛けて海をぼんやり眺める時間が好きだった。
当時の友人の一人が港町に住んでいて、遊びに行った時にはよく海岸沿いをブラブラした。
その友人は都合により、高校の半ばで引っ越していったのだが、奇しくもその十年後、ある海辺のお祭りで再会することになる。このお祭もまた、当ブログ「縁日草子」の源流の一つになった。
高2から高3にかけての受験生時代には、美術の実技対策のために通っていた絵画教室が、海辺の小さな街にあった。
日曜午前、自転車を飛ばして教室に行き、授業が終わった後は近所の海浜公園で休憩していた。
二十代の頃、ベランダから広く海の眺望できるアパートに住んでいた。家賃二万五千円、四畳半風呂無しトイレ共同。激安家賃と海の眺めが気に入って、よくベランダで過ごしていた。
夏、毎年のように出かけていた熊野修行も、一週間近く山や里をほっつき歩いた後には、いつも新宮や那智の海岸で、補陀落の波を莞爾ながら一日休息してから街へ帰っていた。
そして沖縄。まだ数回しか行っていないが、海の向こうにはあの島もある。
近年はずっと海から離れた住居で過ごしていたのだが、去年また海辺の街に移ってきた。
休日には自転車で港へ向かい、海を眺めながら、沖縄や和歌浦、熊野のこと、そして最近は石山合戦で活躍した「海の民」のあれこれを、空想している。
そろそろ「海」についても語り始めてみよう。
(「船出」MBM紙 木炭 パステル)