安宅船、関船、小早などなど……
水軍、海賊関係の史料を漁っていると、よく目にする船の種類の名だ。
ではそれぞれの詳細な構造や、分類はどのようになされているのかという解説には中々お目にかかれない。
和船というものそのものをテーマにした良い解説書は無いものか?
前回の記事でもいくつか紹介してきたが、最後に「ラスボス」ともいうべき物凄い本を見つけてしまったのでご紹介。
●「図説和船史話(図説日本海事史話叢書)」石井謙治(至誠堂)
約400頁。百科事典のようなボリュームを「和船」というワンテーマで書き尽くした、まさに和船資料のラスボス的一冊。カラー白黒含めて図版もきわめて豊富。和船関係を調べていくと、誰もが必ず辿りつくのではないだろうか。戦国時代の軍船についても、極めて詳細に解説されている。
この本がどのくらい詳しく広範な内容を誇っているかというと、たとえば戦国時代の船なら実在が確実なものはもちろん、地方の水軍書に断片的な記述が残されているだけの、実在には疑問符がつく特異な船についても、真正面から解説され尽くしていることに現われている。
安宅船など、主要な軍船については後々このカテゴリでも紹介していきたいが、今回は試みにそうした「特異な和船」について、この「図説和船史話」を元に紹介してみよう。
【竜宮船】
この異様な姿の船は「野島流」という瀬戸内水軍の一派の伝書に記述された「潜水艦」という触れ込みである。一応戦国時代の書であることになっており、当時の日本人の発明の才を顕彰する意味で、戦中・戦後に賞賛された経緯もあるらしい。
船の前後には竜頭が張り出しており、潜望鏡や通気口の機能を果たしている。その竜頭部分両方に舵が設置されていて、前後自由に航行することができたとされている。船の両舷側部には外車がついていて推進力を得ることになっているのだが、実はこの部分が最も問題とされて実在には疑問符がつく箇所だ。
この人力による「外車」は現在でもスワンボート等に使用されているが、推進力を得るためには上半分が水上に出ている必要があり、この「竜宮船」が本当に潜水艦であるならば、完全に水中に没している状態では外車が使用不可能になってしまう。完全に水中で回転式の推進力を得ようとするならば「スクリュー」でなければならないのだが、元図は非常に稚拙なのだが、それでも構造的に「外車」でしかないことは確実だ。
実在したとしても「半潜水」の船であったか、または元図自体が「将来的にはこんな戦術も考えられる」というアイデア・メモだったのかもしれない。
【亀甲船】
こちらは「全流水軍書」に記述されているという「亀甲船」の図から、独自に描き起こしてみた図。元図は写実性が弱く、「亀甲」部分がペタンと平面的に描かれているのだが、機能面から考えて「ドーム状である」と解釈して再現してみた。
この「亀甲船」は上記の「竜宮船」とは違って、元々半浮上式の軍船として記述されているようだ。推進力は外からは隠れているが、船内に設置された「外車」で、前後の動きを自在にするためにこちらも舵が前後両方に表現されている。
戦国当時の軍船の推進力は手漕ぎの櫓が主流だった。帆船形式よりも小回りが利き、戦術が組み立てやすかったからだ。
手漕ぎではない「外車式」の利点としては、前後の動きの切り替えがスピーディーであったことが挙げられる。反面、人力では機動力に限界があること、波の高い時には使用が難しいことなどの欠点も多かったため、この方式が主流になることはなかったようだ。
この「亀甲船」は「竜宮船」に比べるとよほど実在性のある軍船なのだが、実在したと仮定しても、一撃離脱型の夜間の奇襲など、限定された局面で活用されたのだろう。
元図の「亀甲」部分は黒ベタ塗りで表現されているが、それこそ織田軍の「鉄甲船」のように、鉄板などを貼って防弾・防火処理がなされていたのかもしれない。
他にも、とにかく「読んで面白い」エピソード満載の、強烈な和船資料だった。
戦国水軍の装備が知りたい場合、一度は手に取るべき一冊だと思う。
2010年07月12日
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僕は古船についてほとんど興味がないのですが、この本はたしかに面白いと感じました。
ちなみに父はこの本を参考に安宅丸の模型を作成しています。もう30年近く前に作ったもので埃をかぶるだけ被っており、しかし掃除がなかなか難しいので今はそのままにしていますが…、もし見て頂けるのでしたら写真をアップしますのでこのコメントにでもご返信ください。
自分もいつの日か作ってみたいと思っていますので、
安宅丸の模型はぜひ拝見してみたいですね。
よろしければまたお知らせください。
ヤフーの写真共有サイトにアップしておきました。よろしかったらご覧ください。
模型は60分の1サイズ、製作期間は約1年とのことです。もう15年は掃除すらしてないので汚れているだけ汚れています。
これがよくできているのかどうかは僕にはよくわかりませんが、父混信の力作ではありますので…何かコメントをいただけたら本人も喜ぶと思います。
なお、汚れている上にほとんど物置同然の散らかった部屋での撮影です。恥ずかしいので他の方へは紹介しないでください^^;
ちょっと驚いたのですが、約60メートルという設定でスケールが60分の一ということは、模型自体の大きさも100cmぐらいありますよね?
この大きさだと、強度的にも視覚的にもごまかしがきかないはずなので、まず制作を思い立って、完成までこぎつけたこと自体が素晴らしいです!
和船については私もまだ調べはじめなので、細部について語れるほどの知識は無いのですが、船体の形状や素材なども一通りは「和船史話」の記述を再現しているとお見受けしました。
しかも内部構造まで!
「紹介しないでください」ということですが、もしよろしければ、私の個人的な戦国趣味仲間だけでも紹介させていただけませんでしょうか。
ともかく、大変な力作を見せていただき、ありがとうございました。
お父さんにもよろしくお伝えください。
そうですよね、こんなものをよく作ろうと思い立ったものですよね。思い起こすと30年ほど前の一時期はすべてのプライベート時間をこの製作に費やし熱病にかかったように没頭していました。我が父ながら凄いのやら呆れるやら…。ただやはり手先は結構器用であることは間違いないと思います。
さて、船首から船尾まで丁度1メートルほどあります。ですから置き場が大変ですし掃除するのも結構な手間がかかります。しかも甲板には銅板が張り付けてあるためそこが錆始めておりこれをどうするものか途方にくれています。内部にも埃やクモの巣までチラホラ…。なんでガラスケースに入れなかったかと思います。きっと小遣いの都合だったのでしょうけど。
さて、仲間内で紹介されたいとのことですが、そうですね、匿名性は保たれるでしょうからごく親しい方であられれば紹介されても構いませんよ。ただし写真は1カ月程度で消してしまうつもりです。
それと、同じヤフーフォトのページですが鎌倉時代の帆船を復元した模型もありますのでアップしておきました。ぜひご覧ください。
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/228420/
と、ブログ主さんからお褒めいただいていると、何やらやっぱり凄いものなのかな、なんか遠まわしに自慢しているみたいな気もしてきたなぁ・・・と思えてきましたが、僕は本当にこういうのがよくわからないもので・・・。子供のころからあるとあんまりピンとこないもんなんでしょうね。
お父さんはもしかしたら帆船模型の御趣味をお持ちではないでしょうか。模型製作の中でもけっこう難易度が高いと言われているので、私も多少はプラモを作ってきたのですが、まだ手を出せないでいます。
銅板の手入れは、車磨き等を使ってみてはいかがでしょうか。一度十円玉等で問題なく磨けるかどうか試しておけば、大丈夫だと思います。
当ブログのカテゴリ「原風景」でも記事にしておりますが、私の母方の祖父が木彫趣味の大工だったので、私も色々奇妙なものに囲まれて育ちました。
なんとなくコメント主さんのお家の雰囲気も、わかる気がします(笑)