
それがいつ頃からかは定かではないが、お地蔵様は子供の守護神としても信仰されるようになった。生きている子供を守護するのはもちろんのこと、親に先立ち、幼くして亡くなった子供の死後も、守ってくれると信じられるようになった。
十歳に満たず逝った幼児は、賽の河原で親恋しさに石を積み、泣き叫ぶ。そこに鬼どもがやってきて、鉄棒でせっかく積んだ石の供養塔を突き崩す・・・
幼い子供に何の罪があってそのような世界に行かねばならないのか、現代人には中々理解できない。しかし幼児に先立たれた親の心、守りきれなかった悔いの思いが、そのような物悲しい風景を生み出してしまったのかもしれない。
有名な「賽の河原和讃」は、時代を超えて聴く者の心に突き刺さる。
『賽の河原和讃』
これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる
賽の河原のモノガタリ 聞くにつけても哀れなり
二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬみどり児が
父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は
この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり
かのみどり児の所作として 河原の石をとり集め
これにて回向の塔を組む
一重組んでは父のため 二重組んでは母のため
三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して
昼は独りで遊べども 日も入りあいのその頃は
地獄の鬼が現れて
やれ汝らは何をする 娑婆に残りし父母は
追善さぜんの勤めなく 親の嘆きは汝らの
苦患を受くる種となる
我を恨むる事なかれと くろがねの棒をのべ
積みたる塔を押し崩す
その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出させたまいつつ
汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり
娑婆と冥土はほど遠し 我を冥土の父母と
思うて明け暮れ頼めよと 幼き者を御衣の
裳裾の内にかき入れて 哀れみたまうぞ有難き
いまだ歩まぬみどり児を 錫杖の柄に取り付かせ
忍辱慈悲の御肌へに いだきかかえなでさすり
哀れみたまうぞありがたき
南無延命地蔵大菩薩
以上、いくつかある和讃のバージョンの中から、一つ紹介してみた。
この和讃は詠み人知らずで、誰の作かは定かではない。哀しみを背負った親たちの口から口へ、伝えられていくうちに完成した嘆きの結晶だ。
どんなにありがたい説教も、完成した教義も、愛児を亡くした者の心には虚しく響くばかりだろう。ただ涙を流して泣き尽くすことでしか癒せない悲嘆もある。
お地蔵様はそんなどうしようもない悲嘆に際して、まるで幼子のような姿でかたわらに立ち、無学文盲の者にも「和讃」という形で哀しみの表現手段を教えてくれる。