あるときNHKの受信料徴収人が部屋にやってきた。
ドアを開けると「さあ、どんな理屈でも言って見やがれ。全て論破して払わせてやるぜ」と顔に書いてある(妄想)まだ若い男性が、にこやかに立っていた。
私が一言「うち、テレビ無いっすよ」と言うと、想定外だったらしく「エッ!」と絶句した。
「なんなら、部屋見ます?」
私が身をよけると、男性の視界が四畳半一間を一望できる形になった。
「あの……あれはテレビじゃないんですか?」
男性の指差す方を見てみると、当時ですら骨董品に近かったバカでかいブラウン管モニターのワープロ機が鎮座していた。
私がその旨説明すると、狭い部屋のこと、他にはもうテレビらしきものの影も形もなく、男性はそそくさと退散していった。
ちなみに「テレビじゃないか?」と疑われた、その骨董品ワープロ機は、数年前、つまり当ブログ開設前後まで「実用」していた。もしかしたら同機種の中では実用されていた最後の一台だったかもしれない。処分したのは去年(笑)
テレビがなかったのは、まあ一番の理由としては貧乏だったからなのだが、日本にいる限り貧乏でもテレビくらい調達する方法はいくらもあった。
安いモノならその気になれば買えたし、友人知己の中古品は少し探せば回ってきただろう。当時アパートの向かいの部屋に住んでいたアメリカ人留学生のケント君は、テレビを含めた家財のほとんどを荒ゴミの日に拾って揃えていた。
その気になれば金がなくても入手できたのだが、敢えて入手しなかった理由は特にない。
強いて言えばめんどくさかったというのが一番大きい。
当時はまだインターネットも一般化していなかったので、長い夜はもっぱらラジオを聴いていた。
けっこう精神的に内向的な時期でもあったので、FMラジオの若者向き音楽番組等は聴く気が起きず、十代の頃みたいに思い切り笑える深夜放送を渉猟するほどテンションも上がらず、もっぱらAM放送の「NHKラジオ深夜便」なんかを聴いて過ごしていた。
古典芸能や演芸、昭和歌謡の面白さを知ったのは、この数年間「ラジオ深夜便」を聴いていたおかげだ。
そうした演芸の「語り」の中に、幼いころから親しんできた念仏和讃に似た音階を見出したりしているうちに、今現在このカテゴリ・カミノオトズレで扱っているような諸々の事象について、あれこれ考えるようになった。
たまにやっている音遊びも、あの数年間、映像抜きのラジオ放送を聴きこんだ延長線上にあるような気がする。
また、たまには聴いてみようか。
