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2010年10月25日

どんと2

 当時のどんとは、まだボ・ガンボスのヴォーカルだった。
 お祭りのチラシにもそう表記してあったし、熱心なファンの間でも何の疑問もなくそう考えられていただろう。
 その時の私自身は、ボ・ガンボスやどんとの熱心なファンと言うほどではなかった。ただ、先輩に好きな人がいて、カセットテープに曲をいっぱい詰め込んだものを貰ったので、よく聴いていた。
 十月下旬のこのお祭りの後、ほとんど時間をおかない十一月、どんとはバンドの脱退を表明し、その後は沖縄に移住。独自のソロ活動を行うことになる。
 この夜のライブはかなり葛藤を抱えたものだったのかもしれないが、もちろんそんなことは外からうかがい知れるものではなく、すべては「今にして思えば」ということになる。

 日が落ちると、いよいよライブが始まった。
 昼間から考えると「どこから湧いてきたのか」と思うほど、わらわらと人がたくさん集まってきた。小さな海岸に、二百人くらいは集まっていたのではないだろうか。
 特設ステージ背後の崖にはいたるところに蝋燭の灯が揺れ、赤ん坊から大人まで、あらゆる年齢層の皆さんが集まっていた。
 スピーカーからの大音量とは逆に、海上にはぽっかりと満月が浮かび、客席の背後にはひしひしと潮が静かに満ちてきていた。
 座っている人は一人もおらず、みんな思い思いに踊り狂っていた。
 もう十月の夜だというのに、海に駆け込んで水しぶきを上げながら踊り続ける女の人もいた。

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 ライブ中盤、ついにどんとがステージに駆け上がってきた。
 黒いハットに赤いチェックのスーツ、バカでかい蝶ネクタイに、とんがったサングラス。その時は「バカバカしくてカッコいいな」と思っただけだったが、後にどんとの曲を聴きこんでいく過程で、その時の「赤い服と黒い帽子」の衣装は、けっこう意味深いものであったかもしれないと思うようになる。
 しかし、全ては後のお話だ。
 ステージ上に飛び込んできたどんとはひったくるようにマイクを握り、
 「それではどんとのロックンロールショーをはじめます!」
 と宣言した。
 派手に宣言してはみたものの、基本全部自分で準備しなければならない手作りライブなので、そこからギターの箱を開けておもむろに準備し始めたことに、客席からは爆笑が起こった。
 本人は少しも気にしている様子はなく、ロックの定番曲を中心に、盛り上げていった。

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 途中でギターを三線に持ち替えて演奏した曲が印象的だった。
 当時の私はそれがなんという曲か知らなかったのだが、今から考えると、おそらく「よいよい」だったのかなと思う。
 出番を終えたどんとは、また律儀に楽器を片付けて、本当に「スタコラサッサ」という感じではけていった。
 それからライブはもうぐちゃぐちゃの狂乱状態になり、再び出てきたどんとも含めて小さな海岸は集団発狂の場のようになり果てた……

 ライブが終わった後もお祭りは続いた。
 昼間から絵を描き続けていた私はそれなりに顔が売れていて、頼まれればフリマの店の看板を即興で描いたり、似顔絵を描いたりして、引き換えにお酒や食べ物を御馳走してもらった。
 その日、私は少なくとも二十枚くらいはスケッチを描いたと思うのだが、酔った勢いでどんどん人にあげてしまって、手元に残ったのは今回紹介した数枚だけだ。

 明け方くらいまで焚き火を囲んで話したり歌ったりした。私をこの異空間に誘ってくれた古い友人とも、ゆっくり風呂に入りながら話した。
 やがてみんな力尽きてそれぞれのねぐらへ帰り、私も寝袋を出して海岸で寝た。

 顔がじりじりと熱くなって目が覚めると、もう太陽は高く昇っていた。
 周囲を見渡しても、あまり人影はない。
 当時の私は時計を持ちあるかなかったので、時間がわからない。
 テントの前の焚火でナンを焼いている人に「すみません、今何時ですか?」と聞くと、笑って首を振っていた。

 その日はみんなで祭りの余韻を楽しむ「あとのまつり」ということで、私も一日海岸でのんびりした。
 子供が四人ぐらい走りまわっていたので、一緒に遊んだ。
 その中の一人が、波打ち際で竹の棒を拾ってきて「これ、サンシン!」と言いながら、弾く真似をしてくれた。
 当時はまだ沖縄音楽もそれほど本土で知られておらず、三線のことも「蛇皮線」と呼ばれがちだったのだが、後で聞くとその子はどんとの息子さんだったそうで、「さすが!」と感心した。

 子供たちと遊んでいた流れで、のんびりしていたどんととも、少しだけ雑談した。
 昨夜のライブやその海岸の風景など、なんということもない話題だったが、誰とも知らない人間の雑談に構えずに付き合ってくれたのが嬉しかった。

 日が暮れて、友人に送ってもらいながらバス停に向かっていると、向こうから一人歩いてきたどんとは静かに微笑みながら「お帰りですか?」と声を掛けてくれた。


 それから数年経過した2000年、たまたま立ち読みしていた音楽雑誌で、どんとの訃報を知った。
 本屋で立ちつくしながら、あの時のどんとの微笑を思い出した。
 祭りの会場で、隣のハンモックで眠っていた赤ちゃんの手をしげしげと眺めながら、
 「ちっちゃいなあ…… なんで動いてんねやろう……」
 と呟いていたどんとの姿を、今も憶えている。
(続く)
posted by 九郎 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | どんと | 更新情報をチェックする
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