その過程で、私を最初にその海岸に誘ってくれた古い友人とも、再会することができた。
そのうち、なんとなく頭の中で色んなことの整理がついて、自分でも何か始めたくなっていた。
はじめはそこに訪れてライブを見たりスケッチをしたりしていただけだったのが、2004年以降はフリーマーケットに出店するようになった。
90年代半ばのあのお祭り以降、好きで調べ続けていた神仏の物語をテーマに、Tシャツやポストカード、冊子を自作して、自分のスペースに並べた。
そこで開催されるお祭りに駆け付ける人々が客層なせいか、私の持ち込んだあまり一般受けするとは思えないシロモノの数々も、そこそこ売れた。
自分の描いた神仏の絵や、紹介した神仏の物語を、わざわざお金を払ってまで見てくれる人がけっこう存在するのは、素直に嬉しかった。
この「縁日草子」というささやかなブログが今あるのも、その海岸でのフリーマーケットの体験が元になっている。
立ち寄ったお客さんや、他のお店の皆さんと色々雑談したり、ステージのライブに耳を傾けたり、看板代わりの自作ウクレレをテキトーに弾いたりしていると、あの日のお祭りに衝撃を受け、どんとの物語に巻き込まれるようにここまで来てしまったことが、なんとも不思議な気がしていた。
どんとの、とくに沖縄移住後のソロ作品は、聴き手に友人として一対一で語りかけてくるような雰囲気が強く、私と同様、どんとの描くストーリーに自分も少し加わっていくような感覚を抱いたファンも、数多いのではないだろうか。
この「死後も周囲を物語に巻き込んでいく」という在り方は、優れた芸術家や宗教者の周辺で、よく起こる現象だということも、その時はわかるようになっていた。
お祭りに参加するうち、あの日のどんとのことを手記の形でまとめたものを、ライブに出演していたどんとのパートナー・小嶋さちほさんにお渡しすることができた。
見ず知らずの一ファンの冊子など御迷惑かなとも思ったのだが、どんとの記録の断片として渡すだけでも渡しておこうと思ったのだ。
幸いにして目を通していただけたようで、私の記憶に残るどんとが、微笑みながら眺めていたハンモックで眠る赤ちゃんが、どんとの下の息子さんであるらしいこともわかった。
今年8月、小嶋さちほさんの著書が発行された。
●「虹を見たかい? 突然、愛する人を亡くしたときに」小嶋さちほ(角川書店)
これまでも雑誌やCDの解説などで断片的に語られてきたどんとのことが、本の形でまとめられた一冊で、「ファン待望」と言ってよいだろう。
この本には、どんとにまつわる不思議な出来事が数多く紹介されているのだが、そのエピソードのうちの一つに目がとまった。
私も参加した2001年「どんと院マツリ」での、小さな出来事だ。
祭りの翌日、どんとの遺灰を流した岩場に、みんなで花を流しに行ったことは私もよく覚えているのだが、そこでどんとの息子さん(あのとき、ハンモックで眠っていた赤ちゃん)が、岩場に生えた小さな松の木に、どんとの姿を見ていたらしいのだ。
ジーンズの上下に、帽子をかぶって座っている様子……
読んでいて「そういうことがあったのか」と、深く納得できるものがあった。
あの「どんと院マツリ」は、翌日の岩場の情景まで含めて、本当にいいお祭りだった。
参加していた誰もが、どんとがそこに本当に帰ってきているように感じていた。
どんとの近親でまだ年若い息子さんが、素直な感受性でそこにどんとの姿を見たというエピソードも、たしかに不思議ではあるけれども、心の中で「さもありなん」とうなづけるお話だった。
あの時、確かにどんとはジーンズの上下に帽子をかぶっていた。
(続く)