今日は本来なら夕方に皆既月蝕が見られたはずなのだが、あいにくの雨模様。
こんな風に「あったはずの月蝕」を残念に思うことができるのは、現代の感覚。
昔の感覚なら、「見えなかった月蝕」などと言う表現がありえないだろう。
月の欠ける過程が見えることが月蝕なのだから、雨雲の上で人知れず起こっている事象は、存在しないに等しかったのではないか。
天体の運行に常に関心を払う呪師ならば、あるいは何事かを感知出来ていたかもしれないが。
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2010年12月21日
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