このブログでよく取り上げる仏教や神道、道教についても、専門に学んだわけではないので「本当に理解しているのか」と問われると困るのだが、知識としてはある程度知っている。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と言った旧約聖書の世界を母体とする教えについて、もちろん興味はあったのだが、なかなかそこまで手が回らずにいた。
ただ、キリスト教の流れをくむ、日本の「かくれキリシタン」の信仰については、いくらか調べてみたことがある。
特に独自の創世神話である「天地始之事」に描かれる世界はとても魅力的で、繰り返し何度も読んだ。
一応聖書の神話がベースになっているものの、「天地始之事」は非常に日本的なアレンジになっていて、素晴らしい物語世界だ。
中でも生き生きと描かれているのが「びるぜんさんた丸や」というヒロインで、このキャラクターは「聖母マリア」に相当する。
天帝でうすが苦しみの中にある人類を救うため、自らの身を分けるために選んだ少女・丸や。
あんじよさんがむりあ(天使聖ガブリエル)の受胎告知を受けた丸やに、でうすが蝶の姿になって口から入りこみ、処女懐胎が成就する。
王様のプロポーズも断り、父のわからぬ懐妊に両親から家を追われ、丸やの苦難の旅が始まる。
身重の旅路の中、大雪に降られ、しかたなく牛馬の小屋に入りこんで寒さをしのいでいるうちに産気づき、ついに「御身様」を誕生させる。
寒さの中の新生児を気の毒に思った周囲の牛馬は、息を吐きかけて赤ん坊を温め、食み桶で産湯をつかわせてやった。
そして暁になると家主の女房が母子を発見、家の中に招じ入れて、様々に親切な施しを与える。
原典の聖書神話にはない、細やかな情に満ちたイエスの誕生シーンの細部描写だ。
丸やの苦難はこの後もまだまだ続くのだが、新しい命の誕生、極寒の中の温もりのイメージは、読んでいるとこちらも優しい気分になってくる。
貧しい暮らしと苛烈な弾圧の中、信仰を守ってきた人々の思いが伝わってくるようだ。

今回の図像は隠れキリシタンの御神体の中から、聖母子像を元に再現している。
元図はおそらく専門の絵師ではなく、ごく普通の信徒が心をこめて描いたであろう素朴なもの。
何パターンかの「聖母子像」があるが、いずれも「丸や」は赤ん坊を抱き、十字をアクセサリーにつけ、月または日月の上に立った姿で表現されている。
胸元はゆったりくつろげられているものが多く、はっきり乳房が描いてあったり、赤ん坊が授乳している姿のものもある。
絵描きのはしくれとして自分でも描いては見たものの、やはり思いのこもった元図には遠く及ばない。
興味のある人は以下の本で。
各種図像と詳細な解説、「天地始之事」全文も収録されている。
●「かくれキリシタンの聖画」谷川 健一 中城 忠(小学館)
ヒロイン・丸や以外にも、様々な魅力的なキャラクターが登場する。
堕天使ルシフェルも、「七人のあんじよ頭じゆすへる」として登場し、天帝に反旗を翻した結果「鼻ながく、口ひろく、手足は鱗、角をふりたて」た姿に変わり果て、「雷の神」にされてしまう。 じゆすへるを拝んだあんじよも全て、天狗に変わって天から落ちてしまう。
ともかく、一読の価値あり。
隠れキリシタンに伝承された音の世界も、とても良い。
●生月壱部 かくれキリシタンのゴショウ(おらしょ)