インド神話のシヴァ神は仏教に吸収され、大自在天をはじめ、いくつかのシヴァ的な天部の神々に読み替えられた。
【大自在天(だいじざいてん)】(図中央)
シヴァはインド神話の中でも最強の神の一つである。そのためインドにおける仏教とヒンドゥー教の対立は、仏によるシヴァ降伏の神話に投影された。その神話の概略は以下のようなものだ。
「大日如来が衆生を教化している時、大自在天(シヴァ)は、自分こそが宇宙の主宰者であると従わなかった。如来は降三世明王に化身して、大自在天とその妃を足元に踏みつけ、教化した」
大自在天は、牛にまたがり、八本の腕に様々な武器などを持った図像が広く流布されている。牛に乗り、三眼で、三叉に分かれた武器を持つ姿は、シヴァの特徴をよく残している。
須弥山宇宙においては、前回の図のさらに高次にあたる「色究境天」に君臨しており、仏教の敵対役ながら高い地位が与えられている。
【伊舎那天(いしゃなてん)】(図左上)
大自在天の怒りの姿、またはシヴァのルーツであるルドラであるとも伝えられる。三眼、三叉戟に似た三鈷戟を持ち、牛に乗る姿は、シヴァそのものであり、血の入った杯を持ち、髑髏の首飾りを身につける点は、シヴァ一族のマハーカーラやカーリーの姿を思わせる。
【摩訶迦羅天(まかからてん)】(図右上)
マハーカーラ、大黒天のこと。
【焔摩天(えんまてん)】(図右下)
インド神話における人類最初の死者ヤマが、死後の世界の支配者になった姿がルーツ。須弥山宇宙では「夜摩天」に配される。中国仏教では閻魔大王と同体であるとされるので、地獄の支配者でもある。(地獄の閻魔と同体ということは、地蔵菩薩との関係が想起されるが、踏み込むときりが無いので今回はナシ!)
姿を見るとシヴァ的な要素が強く、胎蔵曼荼羅ではドゥルガー又はカーリーを思わせる「黒闇天女」を従えている。死の神のイメージが、この神をシヴァ一族と結びつけたと思われる。
【他化自在天(たけじざいてん)】(図左下)
須弥山宇宙における欲界の最高位、他化自在天(第六天)を支配する。これより下の世界の者が作り出した快楽を、自分自身のものにして自在に楽しむことが出来ると伝えられる。
衆生が快楽を生み出さなくなると、この神の快楽が減る。だから釈尊が悟りを開き、法を説いて衆生を教化することを恐れて、釈迦成道の時に魔を派遣して妨害したと言う。
第六天に住む快楽の魔王なので「第六天魔王」と呼ばれる。
この神も元々シヴァとは別のルーツを持つが、「快楽を司り、仏に敵対する魔王」という構造の、また名前の類似から、大自在天と同体と見られるようになったらしい。
釈尊の時代から長い時が流れ、インドにおいてはヒンドゥーの神々が次々に復権して行った。様々な欲望(つまり生きる力そのもの)を投影した神々と、究極的にはそうした欲望の世界からの脱却を目指す仏教の間の綱引きは、現在でも続いている。
日本史上においては、戦国末期にこの「第六天魔王」を名乗り、仏教僧をを大量殺戮し、寺院を焼き払った人物が存在する。
織田信長である。
2006年05月15日
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インドの神々に興味を持ったところなので大いに勉強させていただきました。
ありがとうございます。
日本の神々と共通点がたくさんあり、これは太古人類の共通せる記憶ですね。
インド神話は本当に面白いですね。
最近そちらの方面では記事を書いていないんですけど、日本の神仏の在り様を考えていこうとすると、何度も立ち戻らないといけない分野だと思います。