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2006年05月19日

仏教への読み替え3 大聖歓喜天

 インド神話におけるシヴァの息子・ガネーシャは、仏教に読み替えられて「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」となった。単に「歓喜天」とも表記し、日本では一般に「聖天(しょうてん)さま」として親しまれている。ガネーシャの象頭人身の姿、基本的な性格はそのまま踏襲されているが、やや受け止め方に違いもある。
 仏教の歓喜天は、強力な現世利益を約束する引き換えに、真剣な修法によらなければ災いをなす恐ろしさを秘めた神でもある。これは他の天部にも共通する性格であるが、中でも歓喜天はその要素が強いとされている。要注意。
 現代インドのガネーシャは、温和で知略に富んだ神、現世利益、商売繁盛の神として、幅広く信仰されている。しかし、そもそもは魔物の王をルーツに持つ神であり、仏教の歓喜天はやや先祖返りした印象を受ける。これには仏教の歓喜天を信仰している中国人や日本人と、ガネーシャを信仰するインド人の感性の違いも関係しているかもしれない。象頭人身の姿は、象に親しみのあるインドと、長く親しみの無かった中国・日本では「異形性」の受け止め方に違いが出たのではないか。

 歓喜天には次のような神話も残されている。

 むかし、魔物の王がいた。慈悲の心からその悪業を止めようとした十一面観音は、婦女の姿に化身して王の前に現れた。王は婦女に情愛の念を起こしたが、一旦は拒否された。婦女は王に「仏の教えを受けた私に触れたいと願うなら、未来永劫仏教を守護し、修行者を守護し、悪業を積まないことを誓ってください」と告げた。王は約束し、婦女は喜んで王を抱いた。

 この神話を表現した双身歓喜天像も、多く作られている。
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 強烈な煩悩の力を、知恵と慈悲の化身・観音菩薩が受け止め、悟りに向かう力へ変換するこの構図は極めて密教的だが、日本鎌倉仏教の祖師に似た構図のエピソードが残されているのは興味深い。
 浄土真宗の祖師・親鸞には、次のような伝説がある。

 若き日の親鸞は、仏の道を歩むことと、どうしようもない自分の現実の乖離に悩み抜いたと伝えられる。とりわけ性の問題は彼を苦しめた。同時代の多くの僧のように「隠れて嗜む偽善」に埋没することなく、真摯に向き合ってぎりぎりまで自分を突き詰めた。
 道を求めた彼は二十九歳の時、信仰する聖徳太子創建と伝えられる洛中の六角堂に、百日の参籠を行う。開始から九十五日後、夢に美しい救世観音が現れ、彼に偈文を授けた。

  行者宿報にてたとい女犯すとも
  われ玉女の身となりて犯せられん
  一生の間よく荘厳して
  臨終に引導して極楽に生ぜしめむ

 この夢告が契機となり、親鸞は師・法然との出会いを経て、妻帯した非僧非俗の念仏者としての生涯を歩むのだが、それはまた別のお話・・・


 歓喜天の魔王としての一面、強力な現世利益、性的和合のイメージは、シヴァ神系統の神話の特徴をよく伝えている。
posted by 九郎 at 10:51| Comment(2) | TrackBack(1) | 大黒 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
歓喜天 画像で 検索しています。
ゾウのような 二人が 抱き合っているような絵を ある本で 観て 調べています。
画像を いろいろ 見てきました。違う 歓喜天も あるのかなぁ。
宗教研究会(名前検討中
Posted by 村石太ダー&パピル2世 at 2013年06月15日 15:37
>村石太ダー&パピル2世さん

コメントありがとうございます。
歓喜天には、インドのガネーシャ像も含めて、他にも色々な図像があるようですね。
Posted by 九郎 at 2013年06月19日 09:15
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