十日戎が終わってそろそろ一週間、縁日は過ぎ去ってみると余韻もすぐに消えてしまう。
あれだけ露店が密集し、寒い中あれだけ人が集まっていたのに、十一日の残り福の翌朝には、もう影も形も無くなって、夢のよう消え去った。
縁日を彩る露店、テキ屋稼業の風景がどのようなルーツを持つのかを知るのに、絶好の一冊がある。
●「旅芸人のいた風景―遍歴・流浪・渡世」沖浦和光(文春新書)
今日、神社仏閣の縁日を彩る露店風景には、今はもうほとんど消滅してしまった中世以来の旅芸人「道々の者」の姿の痕跡が残っている。
よりふかく遡れば、諸国を遍歴する遊芸者は、芸人であり、職人であり、宗教者であり、薬売りでもあり、様々な要素が混在した実態があった。
著者はそうした存在・ヤブ医者に「野巫医者」という字をあてて捉え、広範に論じている。
近代医療が一般に行き渡る以前には、病に苦しむ庶民はただ本人の自然治癒力に任せるか、そうでなければ諸国を遍歴する拝み屋や祈祷師に頼るほか無かった。
そうした「野巫医者」たちは、何よりもまず患者の心を力付けるために、加持祈祷等の「芸」を執り行うのだが、それだけでは中々病気治しの成果が上がらないことは実体験としてよく知っていたので、同時に整体や漢方薬等の東洋医療の技術もある程度持ち合わせており、医療に縁の無い一般庶民にとっては最後のセーフティーネットでもあったのだ。
西洋医術が本格的に国内に導入された明治以降も、高額な医療費を個人で払いきれない庶民にとっては、長い間「野巫医者頼み」が続いてきた。
一応「国民皆保険」が制度化される戦後になって初めて、一般庶民も近代医療の恩恵を受けるようになったのだが、同時に法的な「野巫医者排除」が進行していった。
薬事法等の各種法令により、身分の定かでない遍歴者が医療行為に類することはできなくなり、必然的に、物売りや芸人に限定された稼業に変容して行ったのだ。
戦後になってTVが普及すると「芸人」も遍歴する層はほぼ消滅。
かくて神社仏閣の縁日には、ただ物販部門だけが痕跡として残ることになった。
縁日の風景を形成する仮設店舗は、混雑する祭礼の安全を確保するセーフティーネットでもある。
隙間の多い、緩やかな構造の店舗が参道を区切ることによって、人の流れを誘導し、時には増えすぎた人を吸収し、脇に逃がす役割を果たしている。
クリーンに整理しきらない猥雑さや緩さ、怪しいものをある程度まで許容する包容力は、突発する危機を緩和する作用がある。
日本経済の低迷が続く昨今、健康保険料を支払えず無保険状態になる層も増加しているという。
とくに児童の無保険状態は深刻なテーマとして報道でも取り上げられるようになった。
ところが昔の庶民が頼った「野巫医者」という最後のセーフティーネットは、もう存在しない。
医者にかからず健康状態を維持するために役立ってきた季節ごとの風習や食べ物の知識も、多くは廃れ、形骸化し、急病の際に対処法を教え、支えてくれる地域共同体も崩れ去った。
戦後多くの命を救い、健康を守ってきた医療保険制度と法規制が、反転して低所得層を追い詰める時代が到来しつつあるのかもしれない。
そうした事態を国がなんとかしてくれるのかと言えば、たぶんなんともしてくれない。
国だけでなく世間の風潮として「保険料払わないのが悪い! 自己責任!」という風に切って捨ててしまいそうな怖さがある。
社会の様々な局面で、曖昧な領域を「合理化」の名の下に削りすぎた弊害が、今あちこちに出てきている気がする。
個人的な体感では、そうした「世の中を短絡的に清潔にし過ぎる」傾向が急速に進行し始めたのが、90年代後半あたりからではないかという気がしている。
2011年01月15日
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