京都平安京の北方に「鞍馬天狗」で有名な山岳修験の地、鞍馬山がある。
標高569mの山であるが、昼なお暗き深い森は一名「闇山」とも言う。西暦770年の開山と伝えられ、平安京の北方の守護として、四天王の北方に相当する毘沙門天が祀られた。
鞍馬寺所蔵の「鞍馬山曼荼羅図」には、中央に三叉戟様の武器を構えた毘沙門天、右には妻神の吉祥天、左には童子が描かれ、背景にあたる上方山間には天狗達が描かれている。
鞍馬山の信仰はこの曼荼羅図に表現されている通り、寺からさらに山に分け入った奥の院に、天狗である「鞍馬山魔王尊」が祀られていることに特色がある。
鞍馬山の天狗と言えば、牛若丸に兵法を伝授した「鞍馬山僧正坊」が有名だが、魔王尊はこの僧正坊を配下に治める元締めにあたると言う。奥の院本尊の魔王尊像は60年ごと開帳の秘仏になっているが、写真や描かれた図像をみると、毘沙門天とシンクロする持物・ポーズで、翼を背負った異様な天狗の姿に驚く。
なぜ天狗と毘沙門天が重ねられるようになったのだろうか?
天狗は日本における魔物のイメージの代表格。仏道から堕落した僧等が堕ちる魔境で、六道輪廻からもはぐれた一切の救いの無い「天狗道」の存在すら想定された。また、天かける能力から「天魔」であるとも言われた。
しかし強大な力を持つ敵対者は、しばしば読み替えられて強力な守護神ともなる。日本の山岳修行の霊山では、多くの天狗が守護神として信仰を集めている。
仏教の敵
天魔
転じて仏教の守護神
この構図は、カテゴリ「大黒」で概観してきたシヴァ的神々の構図と一致する。
また源義経の物語は、魔王尊(天狗)とシヴァのつながりを傍証する。牛若丸は鞍馬山で遮那王(しゃなおう)と名乗ったが、この名は仏教に読み替えられたシヴァの一つ伊舎那天(いしゃなてん;伊遮那天とも書く)と結びつく。鞍馬山で天狗に兵法を学んだ遮那王は、平清盛入道が打ち立てた平家の世を終わらせたが、結局奥州に追われて非業の最後を遂げる。
鞍馬山は昭和になってから天台宗から独立した。
新たに読み替えられた神話によれば「約650万年前、人類の進化を司る霊王として金星から魔王サナート・クマラが降臨したのが鞍馬山の起源」であると言う。
この「サナート・クマラ」という神名は、シヴァの息子の少年神の名であり、スカンダの異名でもある。
このように鞍馬山にまつわる様々な物語の断片には、随所にシヴァの息吹が感じられる。
2006年06月23日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック