●「沖縄 時間がゆったり流れる島」宮里千里(光文社新書)
とても楽しい本だ。
本土人が思う沖縄の「不思議」を巧みにすくい上げ、沖縄愛に溢れるユーモラスな語り口で一つ一つ解き明かしていく。
・沖縄の新聞には何故「死亡広告」が満載なのか?
・沖縄には何故「並ぶ文化」が存在しないのか?
・沖縄の結婚披露宴は台風直撃の方が出席率が高い?
などなど。
何度も笑いながら読み進めるうちに、本土人である私の方まで愛すべき沖縄の皆さんに「身内意識」のようなものを抱いてしまう一冊だ。
笑いばかりでなく、感動的な部分もある。
沖縄の信仰についての頁では、神の島・久高島の神女達の歌う神謡を、歌意を添えて紹介している。以下に引用してみよう。
あがりなーぬ/うちんかてぃ/とぅいや/うたてぃ/うぶくぅばらよ/うぷちっん/うちあきてぃ/むるとぅぬぎ/むるぐぅるい/ゆぃーくぅりーぬ/なしぐぅ/うぬげさびら
≪歌意≫(東の方角の)ニライカナイの/真正面を見据えて/鶏は/謡う/神々しい女たちよ/白い神衣装を/(身体の)すべてをはだけて/全身全霊で、神(の愛)を受け入れます/全身全霊で、神(の愛)を受け入れます/男の子を/誕生を/お願い奉ります
この神謡を記録したのが、宮里千里が師と仰ぐという異色の写真家・比嘉康雄で、比嘉康雄の本も入手しやすい新書版で発行されている。
●「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄(集英社新書)
タイトル通り、神の島・久高島の信仰世界について、素晴らしく詳細にまとめ上げられた一冊。
こんなに素朴で美しく精緻な神話に彩られた人々の生活が、ほんの最近である80年代まで確かに残っていたという事実に驚きを禁じえない。
古くから伝えられた神の息づく生活は、日本にはもう数箇所ぐらいしか残っておらず、その数箇所も神話解体の過程にあるのだろう。この本で紹介される久高島も、その一つ。
考えてみれば、久高島のような神話世界は、昔は世界中にあったのだろう。私の祖先もそのような世界の内に在ったはずだ。
神話の世界から遠く離れた生活にもそれなりの意義があるわけで、それは例えば行動の自由であったり、思想信条の自由であったり、便利な文明生活であったりする。
私がこうしてブログを個人的に運営し、好き勝手な与太話を書き散らしていられるのも、日本という一応文明化された国に生まれて、高速通信網の恩恵を受けているからだ。
神話世界は現地の人々のものだ。それを残すのも捨てるのも、現地の人々が決めるべきことで、本で読んだりたまたま訪れただけの余所者が、単なる感傷から口をはさめる領域ではない。
当たり前のことだけれども、それでもやっぱり「このまま消えてしまうにはあまりに惜しい」という言葉が、喉まで出掛かってしまうのである…